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第29話
清川は仕事の飲み込みがとても早く、朝の様子からあまり期待をしていなかった春を
いい意味で驚かせた。
バイト初日はまず手洗いから覚えるのが基本だが、やり方の細かく決められた丁寧な手洗いの方法に、ほとんどの新人は苦労する。
春も入店当初はなかなかオーケーがもらえず大変だった記憶がある。
それなのに――
清川は一発で完璧に覚え、なんと店長のチェックまであっさりとクリアしてしまったのだ。
「清川くんって、もしかして飲食店とかでバイトしたことあるの?」
あまりに見事な手洗い術に、春は感心しながら尋ねた。
「そうそう!手洗いの仕方、教える前から知っていたみたいだったよね!」
後からシフトインしてきた宮田さんも、会話に加わってくる。
宮田さんは、慣れてしまえばとても良くしてくれる優しい主婦さんなのだが、一人前として使い物になるまでは案外当たりが厳しいと、他のバイトスタッフには恐れられている存在だ。
なんとその宮田さんまでも、清川の働きぶりを認めようとしていた。
「昨日の夜、飲食業界の手洗いってのをネットで調べたんですよ!動画めちゃリピったおかげでなんとかなりました!」
ピースをしながら満面の笑みで答える清川に、宮田さんは「やる気あるじゃーん」と頭をいい子いい子と優しく撫でてやっていた。
春は二人のやりとりに、なんとなく複雑な気持ちが芽生えるのを感じていたが、そんなそぶりは一切見せず、努めて冷静を装った。
「へぇ、そんなのあるんだ・・・。てか、清川くんて意外と真面目なんだね」
「意外って・・・西野さんは意外と失礼なんですね!」
ニコッと笑う清川に、春は「ごめん」と小さく呟く。
「いえいえ気にしないでください!俺、よく言われるんです。見た目と中身のギャップが酷くて意外って!」
おどける清川の姿に、宮田さんは「ギャップいいね!私、そういうの好き」と笑った。
「俺、こう見えて実は、清く正しく美しく!
仕事に対してはめちゃくちゃ真面目なΩですから安心してくださいね!」
そう言って胸を張り宮田さんとはしゃいでいる清川を、春は羨ましい気持ちで眺めていた。
それと同時に、酷い自己嫌悪にも襲われる。
明るくあっけらかんとしていて、すぐ周りに受け入れられ、みんなを笑顔にできる清川のようなΩにどうしたって自分はなれそうにない。
卑屈で、ネガティブで
自分自身に価値など見出せないでいる・・・。
自己肯定感があまりに低すぎて、春は他人と背極的に関わることがとても苦手だ。
誰かに手を伸ばし振り払われることを恐れているうちに、誰にも手を伸ばすことが出来なくなってしまった。
その瞬間――ふと藤ヶ谷の顔が浮かび、春は困惑する。
そう言えば、昨夜手を伸ばし触れた彼にも
結局は――拒絶された。
・・・全てが合致したような気がした。
「どう?指導は順調かな」
様子を見に来た店長が、カウンターでボーッとしている春の肩をマッサージし始める。
「あ、はい。彼、覚えるのが早くて・・・」
「そう!春くんの教え方が上手なんじゃない?」
「・・・そんな」
慌てて否定すると、店長は顔を顔を覗き込む。
「春くん、もしかして調子悪い?顔色イマイチなんだけど」
実のところ昨夜はあまり眠れていなかった。
それに発情期が明けてから、まだ体力が回復できていない自覚のあった春は正直に頷いた。
「そうだよね。ここのところ春くんにシフト甘え過ぎてたもんな・・・。今日は清川くんと一緒にもう上がっていいよ」
「いや、でも・・・」
「こっちは大丈夫だって。そのかわり体調よくなったらバンバン頑張ってもらうからね。いいよね、宮田さん」
つい最近まで発情期で休みをもらっていたのに、その上でまた早く上がらせてもらうなんて
春は申し訳ない気持ちで宮田さんを見る。
「いいに決まっているよ。今日は暇そうだし大丈夫だからそんな顔しないで?」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる春に宮田さんは「いやだ、大袈裟よ春くん」と笑いながらダスターを手に取ると、客席の方へ出て行った。
「・・・本当に、ありがとうございます」
こんな自分に対する身に余る優しさに、いたたまれなくなり
春は誰もいないカウンターの中で、小さく呟いた。
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