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第31話

開け放たれた窓から涼しげに風が入り、白いレースのカーテンがひらひらと揺れている。 風の中に、微かに埃っぽいような湿気の匂いを感じて、雨の予感に春は窓の外に目をやった。 「そういえば西野さんっていつから一人暮らしなんですか?ご両親は?」 「うん・・・」 ジャスミンティーを一口飲んで、深呼吸をする。今まで、誰にも話したことのない家族のこと・・・。 果たして昨日今日出会ったばかりなのに打ち明けてしまっていいのだろうか。 嫌われたり、蔑まれたりしないだろうか。 ジッとテーブルの上のペットボトルを見つめ黙り込む春に、チョコレートを一つ口に放り込んだ清川が 「俺の両親、2人ともβなんですよ」 と自分のほうから告白を始める。 「βの夫婦の間に生まれたんで、あんまり両親にΩの性質ってやつを理解されなくて・・・。初めて発情したの、中2だったんですけどね。父親はβなのに俺のフェロモンに当てられちゃうし、母親には汚らわしいものみたいに扱われるし、なんか散々な記憶しかないんですよね・・・」 「・・・そう、なんだ」 微動だにせず耳を傾ける春に、そっと微笑み 清川は言葉を続ける。 「親に知識がないもんだから、病院には連れて行ってもらえないし抑制剤は買ってもらえないし、まして対処の仕方なんて教えてもらえないじゃないですか?まるで生き地獄でしたよ本当に。で、そのころから不登校になっちゃったんです、俺」 他人には話しにくいような内容を事もなげに話す清川の言葉は どうしてか、今まで出会った誰のものよりも すぅっと春の心の中に染みていく。 それが同じ苦しみを持つもの同士の同情なのか、傷を舐め合う行為なのかはわからない。 ただ今ここで・・・自分だけは、清川の受けてきた苦しみを否定したくはなかった。 「結局、抑制剤欲しさに手っ取り早くウリをやって、いつの間にか家になんか全然帰らなくなって・・・」 そこまで聞いて、春は気がついた。 テーブルの下で握りしめられている清川の手が微かに震えていることに・・・。 彼は笑顔で、事もなげに話しているんじゃない。真剣な気持ちで自分に語りかけていてくれた・・・。 ようやくそれに気がついた春は、自然と口から言葉が流れ出す。 「うちはね、父親がβで母親がΩだったんだよね・・・」 ―――――――――― 春はβの父親とΩの母親の間に生まれた 待望の第一子だった。 父は、Ωである母との結婚に 親族一同が大反対したため、ほとんど駆け落ち状態で一緒になったのだと その後父が酔うと毎回のように聞かされた。 約20年近く前の話なのだ。 当然今よりも、当時のほうがΩに対する偏見は強いものだったろうと簡単に想像がつく。 春が物心ついた頃には、一家はもう少し賑やかな都市部で暮らしていた。 父は印刷会社の工場で働いていて、母は専業主婦の、暮らしぶりは所謂中流階級だった。 この頃の記憶で春が一番覚えているのは、 自宅近所の公園で、父親とシャボン玉やボール遊びをするのを、母親が近くのベンチに座って眺めている、という光景だ。 ときおり駆け寄る春を優しく抱きしめてくれた母の温もりは、その後もずっと 記憶の中に大切にしまってある宝物のようなものだ。 父と母に手をひかれ自宅に戻り 母が夕飯の支度を始めると、部屋中にふんわりとクリームシチューの匂いが漂い始め、 言葉には表せない幸福感と喜びを子供ながらに感じたものだった。 永遠に続くだろうと思っていた小さな幸せが、いとも簡単に壊れるものだなんて、 まだ幼い春は、知るよしもない。

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