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第36話

ゆっくりと目を開く。 見慣れない天井に、周囲を見渡そうと頭を上げるがキリキリとした痛みを感じ、春は顔をしかめた。 「あ、目が醒めた?」 声のしたほうに目を向けると、心配そうに眉を下げた藤ヶ谷と視線がぶつかる。 「あ・・・の・・」 体を起こそうとして、藤ヶ谷に制止された。 「まだ休んでいたほうがいいよ。ドクターを呼んで来るから待ってて?」 「あの・・・」 春のおずおずとした呼びかけに、藤ヶ谷は振り向き優しく微笑む。 「大丈夫。西野くんは何も心配しなくていいんだよ。だからもう少し休んでいて?」 その言葉に小さく頷き、春はゆっくり目を閉じる。 そして、静かにそっと閉まる扉の音で、再び目を開けた。 漂う消毒液のようなキリリとした匂いと無機質な部屋。それに腕から伸びる点滴の管。 病院であることはすぐにわかったものの、なぜ自分がここにいるのか春は理解できずにいた。 ――確か、熱っぽさを感じて風邪薬を飲んだ。 そうしたら急に・・・ ゆっくり思い出していくうちに、ハッとした。 発情期のような感覚に襲われて、急いで抑制剤を口に放り込んだことまでは、なんとなく思い出せる。 ――でも今は発情していない。なんで? あの時は確かに発情期のような熱っぽさに浮かされていた。 なのに今は全く感じない。 発情したΩの熱を醒ますのは、αとの行為が一番効果的だとどこかで聞いたことがある。 まさか・・・。 春は勢いよく起き上がり、掛けられていたタオルケットを剥ぐと両手で自身の体を弄り確かめた。 「・・・俺は西野くんの許可なしに、そういうことはしないよ」 小さな声に振り向くと、いつの間にか戻っていた藤ヶ谷が扉の前に立っていた。 春のしていた行動がどんな意味を持つものなのか、そこに佇む藤ヶ谷はきっと全部理解しているのだろう。 そう思うと、春は自分がひどく恥ずかしいものに感じ俯く。 「目が醒めたね。気分はどうかな?」 藤ヶ谷の後ろから入ってきた白衣の男性の声に、春は顔を上げる。 黙ったまま見上げる春に、医師は静かに言葉を続けた。 「君は、薬の過剰摂取で中毒になりかけたんだよ。量は多くなかったけど、発見が遅ればそれなりに大変なことになっていたかもしれない。それは、理解できるね?」 落ち着いた優しい声色に、春は顔を歪め涙を零しながら頷く。 「定期受診はちゃんとできている?一度しっかりした専門医に診てもらったほうがいいと思うんだけど、どうだろう」 春はタオルケットをギュッと握りしめ、俯いたまま静かに涙する。 きっと自分のしたことが表沙汰になれば、またあの時のように医療施設に強制的に保護されてしまう。 そうなったら、保護者のいない未成年の春は、間違いなくΩの保護施設へ送られてしまうだろう・・・。 「ここはね。うちに関係のあるクリニックだから、西野くんは余計な心配しなくて大丈夫だよ?」 まるで春の心中を見通しているような藤ヶ谷の口ぶりに、驚き顔を上げた。 「まあ今回は大事に至らなかったし、琉聖くんが引受人になってくれるから、取り敢えずは点滴が終わったら帰っていいよ」 「・・・はい」 「でも、落ち着いたら必ず専門医を受診すること。いいね?」 春がコクンと頷くのを見て、医師は藤ヶ谷に何かを手渡して部屋を出て行った。 藤ヶ谷と二人残された静かな空間に 居た堪れない気持ちになり目を閉じる。 ふわりと感じるシダーウッドの香りに薄目を開けると、ベッドサイドの小さな椅子に腰を下ろし自分を見つめていた。 静かに、ゆっくりと伸びてきた藤ヶ谷の大きな手が、春の髪にそっと触れる。 何度も、何度も。 慈しむように髪を撫でられ、その心地よさにさっきまで春の心に宿っていた不安や焦燥感はいつの間にか消えていた。

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