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第37話
「西野くん・・・眠ったかな?」
髪を撫でる藤ヶ谷の手に、春は夢と現実の狭間でゆらゆらと漂っているようだった。
ささやく彼の声は、耳に心地よく届く。
「・・・寝ていてくれたほうが、いっか。
俺ね、前にも同じようなことがあったんだよ。でもその時は、助けられなかった」
藤ヶ谷の温かい手が、春の頬を優しく包む。
「だから、助かってくれて・・・俺を呼んでくれて、ありがとうね」
その手を取り、直ぐにでもすがりつきたくなって春は気がついた。
自分は、この優しい人に釣り合うはずがない。
第一あの苦しい時、最初に思い浮かんだ相手は藤ヶ谷ではなく店長だった。
次に思った相手は清川だ。
自分が救いを求めた相手は、今、目の前にいる藤ヶ谷ではなかった。
それは抗えない事実だ。
それに本当の自分を彼が知れば、きっと幻滅され軽蔑されるだろう。
好きになど、なってもらえるはずがない。
「・・・どうして泣いているの?」
溢れ出した涙を指でそっと拭われ、春は目を開けた。微笑む藤ヶ谷を見て、急いでタオルケットを頭まで被ると、背を向けて丸まる。
「西野くん?」
「・・・もう、やめてください」
絞り出すように呟いた春に、背中を撫でていた藤ヶ谷の手が止まる。
「お願いです・・・お願いですから、もう優しくしないでください」
「・・・なぜ?」
背中に置かれたままの藤ヶ谷の手の温もりに、そのまま身を委ねることが出来たらどんなに幸せだろう。
そんなことは春だって、わかっている。
別に自虐的な嗜好があるわけではないし、人並みの幸福感を得られたら、と夢見たことも過去にはあった。
――でも・・・自分には出来ない。
幸せになる権利など、自分には・・・ない。
いくら願っても、あの日の、絶望に支配された母の顔が頭をよぎり、結局は春の思考を暗く冷たい闇の淵へと沈めてしまうのだ。
「・・・点滴、終わったからドクター呼んでくるよ?取り敢えず帰ろう、ね?」
藤ヶ谷の言葉に、両手で耳を塞いで
切れてしまいそうになる感情の糸を、春は必死につなぎ止めようとした。
――――――――――
春は藤ヶ谷の運転する車の助手席で、流れる街の景色をただ眺めていた。
――もう、会うのは止めたほうがいい。
春はそう心に決めていた。
これ以上、優しさに甘えていたら確実に藤ヶ谷の優しさや温かさが欲しくなってしまうだろう。
そうなってから、嫌われるのは辛すぎる。
そうなる前に・・・傷が深くなる前に会うのを止めたほうが、きっといい。
ふとすると揺らいでしまう貧弱な決心が鈍らないよう――あえて何も考えないよう、溢れ出しそうになる感情に蓋をする。
そうしなければ、自身が脆く壊れてしまいそうだった。
「そうだ・・・俺、謝らないといけないことがある」
交差点での信号待ちで、藤ヶ谷がポツリと呟いた。春はまだ重い頭をゆっくり動かし藤ヶ谷のほうを無表情のまま見る。
「スマホ、勝手に見て店長に電話した」
「え・・・」
春が思わず身を乗り出すと、その反応に藤ヶ谷は顔をわずかにしかめて言葉を続けた。
「悪いとは思ったけど、シフト入っていたら困ると思ってね・・・」
「あの、店長は・・・なんて?」
「今日は休むってことを伝えて、明日以降はまた連絡するって言っておいたから。彼、とても心配していたよ」
ホッとした春は、再びシートに身を委ね外を眺めた。
最近シフトに穴を開けすぎて、きっとまた店長や宮田さんに迷惑をかけている。
今回ばかりは、ひどい自己嫌悪と罪悪感に胸が締め付けられた。
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