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第40話
ゆっくりと仄暗い眠りの淵から意識がふわりと上昇し、優しい日の光に包まれた柔らかいベッドの上で春は目を覚ました。
確か眠りに落ちるその瞬間まで隣に藤ヶ谷がいたはずなのに、今は1人だ。
不思議なことに、身体の不調は嘘のように消えていた。まるで霞がかかったような重苦しかった頭も、今はスッキリとしていた。
春は辺りを見回してベッドから出る。
窓辺に立ちぼんやり眼下の街を眺めていると、春の起きた気配に気がついた藤ヶ谷が寝室に入ってきた。
「起きた?体調はどう?」
藤ヶ谷の声に振り返り、春は答える代わりに小さく頷く。
「少しお腹に入れたほうがいいと思うんだけど、食べられそうかな?」
ふわりと微笑む藤ヶ谷に釣られ、思わずにっこりしてしまいそうになり、春はキュッと唇を噛み締める。
そんな、まるで好意を拒否するかのような表情を見せても、藤ヶ谷は嫌そうな素振りもしなかった。
「お粥をね、作ってみたんだ。良かったら食べてくれると嬉しいな」
「あの・・・ご迷惑を・・・」
おずおずと謝罪を口にする春に、藤ヶ谷は歩み寄ると優しく肩に触れた。
「謝るなら・・・そうだな。自分の体に謝ろうか。さあ、おいで?」
促されるまま寝室を出て、食卓につかされる。
「お口に合うといいんだけど・・・どうぞ」
目の前に置かれた器からは、ふんわりと温かな湯気が立ち上り、ほのかに米の甘さが香る。
あまり食欲のない春は、黙ったまま正面に座る藤ヶ谷をちらりと見た。
「子供の頃ね、体調を崩すと母が作ってくれたんだ。見様見真似だから味は全然違うんだけどね」
「・・・お母さん、が?」
ひとくち、口にした藤ヶ谷が顔をしかめる。
「うん、母のとは全然違う。少し食べてみて?」
その様子に興味を持った春は、スプーンでほんの少しだけお粥をすくい口に運んだ。
――味は、しない。
お米の味しかしない・・・。
いや、そうじゃなくてもっと違う・・・。
春が複雑な表情でお粥を眺めて黙り込んでいると、感想を待っていた藤ヶ谷はため息混じりに呟く。
「ごめんね、あんまり美味しくなかったね」
肩を落とす藤ヶ谷を見て、春は思わず吹き出して笑ってしまった。
「え、西野くん。なんで笑うの?」
それに答えず、笑いながらテーブルに顔を伏せてしまった春の髪を藤ヶ谷は優しく撫でる。
しばらくそうしていると、笑い声はいつの間にか嗚咽へと変わっていた。
「・・・西野くん」
髪を撫でる手を止め、藤ヶ谷は席を立つ。
そして春の隣に座ると、その震える背中をそっと抱き寄せた。
「やっぱりもう少し休もうか。ベッドに行こう」
藤ヶ谷はドクターに言われたことを思い出した。
『番のないΩは、発情期を抑制剤で抑え込むのが一般的だが、そのあと稀に情緒が不安定になることがある。多分この子の症状はそれだね。藤ヶ谷さん、しっかり支えてあげる気がないなら、これ以上深入りするのは後々ご面倒かと思いますよ』
藤ヶ谷は最初から・・・会社の前で春と出会った時から決めていた。
まだ知り合ったばかりで心も開いてくれない彼だが、なにかしらのトラウマを抱え1人で殻に閉じこもって生きてきたことは、手に取るように分かる。
遊びで手を出していい相手ではない。
それも、分かっている。
藤ヶ谷は、自分の胸中に渦巻く春への想いが
崇高な物だなんて思ってはいない。
でも、今までのゲームのような曖昧な感情とも違う。
だとしても、どうしても手に入れたいのだ。
彼の、Ωとしての体だけではなく
西野春としての、全てを・・・。
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