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第97話

 質問に質問で返すそれはひどく居心地の悪いもので。  今のスーツを着こなす姿を見ていれば、金銭が絡む理由ではなさそうだ。 「  申し訳ありません。わかりかねます」 「物が崩壊し始める瞬間はいつかね」  こちらに視線をやらずに続けられる言葉はもうすでに一人語りだ。  聞いてくれる人間が必要なのであって、答えは求められていない。 「完成した瞬間から崩壊は始まる」  冷たい水に浮く氷を眺めて、一人語りは続く。 「私はそれに耐えられないから手にしないようにしている」 「   」 「家庭だったり、地位だったり、生活だったり   それらが崩れることが酷く業腹だ」    答える言葉を持たないまま話を聞いていると、「ふ ふ 」と笑い出した。 「君は耐えられるかね」 「    私は……」  物事は常に変わる。  それが分からないほど子供ではないし、達観できるほど大人ではないし、この老人のように突き抜けることができるほどの答えもない。 「独り言だ。忘れたまえ」  やはり一人語りだと思っていたことはバレているらしい。 「   私は、人間関係は、終わりを見据えて動くものではないと思っています。崩壊は、物で起こるものであって精神的なものは別の次元の話ではないでしょうか」 「そうか」 「物の崩壊と、おっしゃいましたから」  ふ ふ とした笑いは続く。 「別れるのが心配で許しが頂けないと思ってよろしいでしょうか?」 「許さなくば、どうするね」 「駆け落ちもいいですが、日参しますね。甘いものを持って」  笑いの感覚が短くなり、老人は大きくなった笑いを抑えるためか一度大きく咳き込んだ。 「和菓子より洋菓子が好みだ」 「覚えておきます」  美味い洋菓子店はどこだったかと思い出しながら、そう言えばと切り出す。 「  計都の、名前のことですが」  自分で話したことなのに、老人はその話題を持ち出されて驚いたようだった。 「  本名は?」 「なぜ私に聞く」  それは本人に聞けと言っているようだったが、計都は答えない気がする。 「そう、答えは計都も持ってはいない」 「    」 「会話は大切だぞ?言葉を喋るのを億劫になるのは感心せんな。言葉が足りないとすれ違いの原因になる」  あなたが喋らせないだけですと言いたい言葉を飲み込み、「はい」と頷いた。 「計都の前が誰だったか、計都も知らん。だから便宜上、島木計都を名乗らせた」 「それは  警察案件では」  老人の笑いは謎めいていて、至極真っ当なことを言っているはずの自分が間違っているのではないかと不安になる。 「まともな親なら、とっくに探し出してるだろう」  計都が居場所が欲しいと繰り返した根本に関わっているのかもしれないが、本人でも分からないことが、他人が推測でどうこう言えるはずがない。  ただ、計都の寄る辺のなさが…… 「あの子に同情するかね」 「同情   」  同情も憐憫も、計都はいらないだろう。 「私は、計都をフラミンゴにしてやると言いました。その約束を守るだけです」 「フラミンゴミルクか」  ふ ふ と言う笑いは、老人が機嫌のよい時に出す笑い声のようだ。 「知っているのかね。フラミンゴの赤い色素は  」 「常に摂取しないと色褪せていくんですよね」  情報社会は便利だ。  知りたいことを教えてくれる。 「白いフラミンゴなんて、見せてくれるなよ」  そう言うと老人は一口水を飲んだ。 「月に一回、第二水曜、講義のためにこの格好になる」 「講義……?」 「大学の。教授らしい格好だろう?」  大げさな身振りで手を広げてアピールされるが、それが正しい教授像なのかはぴんとこない。

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