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第11話 密やかな間接キス【草薙/柏木】

 ある日の放課後、音楽室を覗いた草薙は、柏木のトロンボーンが置き去りにされているのを見つけた。  (圭先輩、楽器を置きっぱなしだ。どこかのパートから呼び出されたのかな。楽器、部室に持って行ってあげた方がいいかな? あ、それだと、分からなくなっちゃうか。このままにしておいた方がいいのかなぁ・・・。)  草薙は、先輩の楽器を前に、思案した。 気が付けば、その楽器を手にしていた。彼の目の前には、いつも柏木が口をつけているマウスピースが、(にぶ)く銀色に光っている。  一度、きょろきょろと周りを見渡して、誰もいないことを確認し、草薙は、そうっと、柏木のマウスピースに口付けた。まだ、ほんのり、柏木の唇の温もりが残っている。自然と瞼を閉じ、草薙は、愛しい人の体温を味わった。  (ああ・・・。圭先輩と、間接キスしちゃった・・・・。)  胸がときめいた。唇を離し、楽器全体を、自分の胸に抱き締めた。  (圭先輩・・・。大好きです・・・。 あなたに片想いしてても、いいですよね・・・?) ***  草薙は知らない。 この時、音楽室の外で、柏木が、草薙の行動の一部始終を目撃していたことを。  草薙の想像通り、柏木は、ホルンパートからの呼び出しで、パート練習に付き合っていた。彼が音楽室に戻って来た時、自分の楽器を手にしている草薙の姿に、なぜか、いけないものを見てしまった気がして、その場で、物陰に身を隠した。  その数秒後、躊躇(ためら)いつつ自分のマウスピースに口を付け、うっとりと瞼を閉じる草薙を目にした。まるで、自分がキスされたかのような錯覚に陥り、柏木は、赤面しながら自分の口を手で抑えた。    草薙が、自分の楽器をいとおしそうに抱き締めると、自分が抱き締められたような気分になる。堪らなくなって、両腕で自分の身体を抱き締めた。  (草薙・・・。俺のことを、そういう意味で「好き」だって、思ってもいいか・・・? 俺も、お前が好きだ・・・。)  柏木は、その翌日、桜井を呼び出し、正直に別れ話を切り出した。  「俺、他に好きな人ができたんだ。別れてくれないか。・・・勝手でごめん。佑のことは、今でも可愛い後輩だと思ってる。こんな俺に、中等部の時からずっと付いてきてくれて、感謝してる。本当にありがとう。」  桜井は、唇を噛み締め、目に涙を浮かべた。柏木の真剣な表情から、彼の中で、既に自分とのことは過去になっており、その心を取り戻すのは無理だと悟った。  「圭の好きな人って・・・」と言いかけて、首を左右に振り、キッと柏木を見据えた。 「僕と別れたら、その人と付き合うの?」 「いや。まだ、告白してない。俺の気持ちを受け入れてもらえるかどうかも、分からない」柏木の生真面目な返事に、桜井は、フッと切なげに笑った。  「自分から告白するつもりなんだね・・・。圭が、自分から好きになるって、初めてじゃない? いつも、相手から言い寄られて付き合ってたもんね。・・・でも、圭に告白されて、ノーって言う人なんか、居ないから、大丈夫」  何か言おうとする柏木を手で制し、桜井は、最後のプライドで、自らの恋にピリオドを打った。  「圭、今まで僕と付き合ってくれて、ありがとう。圭と付き合ってた間、すごい大事にしてもらったね。いっぱい色んな気持ちとか、思い出を貰えて、嬉しかった。じゃあね。さよなら。」  優しい声で別れを告げると、桜井は、その場を立ち去った。一度も振り向くことなく。最後まで、涙は(こぼ)さなかった。  柏木の好きな人が誰なのか、桜井は、少し前から気付いていた。  彼氏の目に映っているのは誰なのか。  彼氏の心を捕らえているのは誰なのか。  気付かない方がおかしい。  わかっているから、敢えて、誰なのか、尋ねなかったのは、桜井のプライドだった。  わかっていても、自分からは別れを切り出せなかったのは、桜井の愛だった。

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