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第12話 仲間割れの危機を乗り越えて【草薙】

 季節は巡る。新年度がやって来た。  草薙は、大きく変わった。  二年生への進級を機に、髪を短く切った。つぶらな大きい瞳は変わらないが、今や「トイプーちゃん」と呼ぶ者はいない。180センチ近い長身に、細身ではあるが筋肉の付いた身体つき、甘く優しげな顔立ちが、王子様のようだと、近隣の女子高生が色めき立った。  先輩たちに引けを取らない演奏技術と、控え目な人柄もあいまって、ブラスバンド部の新入部員の中には、草薙に憧れる者も少なくなかったが、  「鳴かぬ蛍が身を焦がす」を地で行くように、草薙は、秘かに柏木を想い続けていた。  トロンボーンには、二人の一年生が入った。後輩にも分け隔てなく親切に接する草薙を、慕ってくれる。二人が順調に上達するのを見るのは、嬉しかった。  最上級生になった柏木は、そんな草薙に、 「後輩が育つのを見るのも、いいもんだろ?」と、微笑んだ。 「ええ、本当に。去年、僕を教えてくれた圭先輩ほど、うまく教えてあげれてるか、自信はないですけど」草薙が控え目に言うと、 「これで良かったのかなぁ? とか、悩むだろ? 一緒だよ。ようやく、お前も、俺の気持ちが分かったか」と、柏木はニヤリと悪戯っ子のような表情で、草薙のお尻を軽く叩いた。  トロンボーンパートは、士気も高く、足並みが揃っていたが、一方、吹奏楽コンクールを控えた青陵高校ブラスバンド部全体が必ずしも順風満帆に歩みを進めているとは言い難かった。  梅雨入り前のある暑い日、全体合奏で、サックスパートの状態が悲惨だと判明した。殆どのメンバーが、譜面通り吹くことすらできない。  フルートの三年生でパートリーダーの菊田が、声を荒げた。  「おい、お前ら、どういうことだよ。この譜面が配られたの、いつだと思ってる? 一か月以上前だぞ。なんで、ろくに読めてないんだよ。この一か月、何やってたんだよ?」  「・・・仕方ないだろ。体育祭だったし。みんな、色んな競技に選ばれてて、そっちが忙しかったんだよ。・・・お前らみたく、部活だけに専念できなかったもんでね」サックスのパートリーダー片桐が言い返す。  「・・・なんだって?! リア充自慢で誤魔化してんじゃねえよ。やること、ちゃんとやってからにしろ。コンクールまで、あと二か月ぐらいしかないんだぞ?!」真面目な菊田は、更に鼻白(はなじろ)む。  「まーまー。菊田、落ち着けよ。片桐だって、ちゃんと考えてるよ。こっから巻き入れてくよな?」お調子者だが平和主義者のユーフォニウムの上杉が、両者を宥めにかかる。  「上杉は、優しいよなぁ。俺はぶっちゃけ、菊田と同意見だね。県大会まであと二か月なのに、これを危機的だと思わない方がおかしいよ。俺は、去年の二の舞にはなりたくないね」クールで皮肉屋ではあるが、普段は瓢瓢(ひょうひょう)として、争いごとから一歩引くことが多いトロンボーンのパートリーダー柳沢が、珍しく、静かな怒りを表した。  音楽室に、静けさが広まった。  沈黙を破ったのは、柏木だった。    「なぁ。俺たちは、何のためにブラスバンドやってるんだと思う? なんで、コンクールに出て、良い結果を出したいって、必死になってんだろうな?」  部員一人一人の顔を、順繰(じゅんぐ)りに眺めながら、穏やかに、淡々と問い掛けた。  部員たちは、互いに顔を見合わせた。  「みんな、色んな考え方を持ってると思う。  ・・・実は、俺も、去年のコンクールの後、かなり自問自答したんだ。それで辿り着いた、俺なりの結論だけど。  究極的には、頑張ることに『意味なんか無い』と思ってるんだよ。  例えば、野球部に、『なんで甲子園目指すんだ?』って聞くのと同じじゃないかな。野球部で頑張ったって、プロ野球選手になれるのは、ほんの一握りだろ?  同じ夢を目指すこと、  頑張ること、  そして最後までやりきること、 つまり、『やることそのもの』が意義なんだと、俺は思う。  何より、俺は、このメンバーで演奏する最後の機会に、最高の演奏をしたい。 みんなとも、その気持ちを共有したいんだ」  去年のコンクールでは忸怩(じくじ)たる思いを抱えていた柏木だが、その思いは昇華(しょうか)され、今の彼の表情は清々(すがすが)しかった。  「『いい演奏』って、何なんだろうな」ポツリと、柳沢が言った。  「僕ららしく、精一杯やり切って、観客に感動してもらえる演奏、ですかね」草薙が、柳沢の言葉に、呼応した。  「『俺たちらしい』って、どんなんだろうな」  「あの・・・。僕、中学校でもブラスバンドやってたんですけど、去年、青陵の学園祭に来て、ブラスバンド部のステージを観て、感動しました。  どの高校を受けるか、下見兼ねて、幾つかの高校の学園祭に行きましたけど、青陵は、部員が全員男子だからか、共学に比べて、音量とか、迫力がすごいんですよ。うわーカッコいいと思って、それで、青陵を志望校にしたんです」  普段、大人しい一年生が、当時の興奮を思い出したかのように、頬を紅潮させて、打ち明けた。  彼に感化され、一人、また一人と、部員たちが「なぜ、自分は青陵のブラスバンド部に入ったのか?」語り始めた。毎日顔を合わせていても、「あいつ、そんな風に考えてたのか」と、新たな気付きはたくさんあった。  誰とはなしに、土曜に、再度、自主練で集まろうという声が上がった。 「青陵ブラスバンド部らしさとは」「どんな演奏をしたいか」「そのコンセプトを、今回の曲で、どう表現するか」議論することになった。この日の活動の終わりには、程度の差こそあれ、全員が、()き物が落ちたようにサッパリした表情をしていた。  「草薙!」帰宅しようとしていた草薙は、柏木に呼び止められた。  「あのさ、お前、ユニフォーム小さいんじゃない? もし、イヤでなければ、俺の貰ってくれない? サイズ的にはちょうど合うはずだし」  「あ・・・、ヤバいな、って思ってました。でも、そんな大事なもの、僕が貰っていいんですか?」草薙は、内心踊り出したいほど嬉しいのを隠し、遠慮がちに眉を下げて尋ねた。  「うん。草薙に貰って欲しい。俺、コンクールはタキシードだし、それが終われば引退だから。もう着る機会ないんだよな。なんか、そう考えると寂しくてさ。お前が着てくれれば、青陵のブラスバンドと、繋がってる気がするから」少し照れたように柏木は笑った。  「じゃあ、遠慮なく、着させてもらいます。僕も、圭先輩が見守ってくれてると思って、頑張りますから」  ユニフォームを引き継ぐ意味を共有できた、と互いに感じた二人は、微笑みながら見つめ合った。  コンクールの舞台は、柏木のタクトで演奏する最後の日になるかもしれない。  草薙は、憧れの人の後ろ姿を、切なげに見送った。  草薙の片想いを唯一知る、親友の竹下が、そんな様子を眺め、溜息交じりに耳打ちした。  「(すみれ)、お前、今のままでホントにいいのか? 気持ち、ちゃんと伝えた方がいいんじゃない?」  「・・・僕の気持ちなんて、迷惑にしか。それに、告白して、もし気まずい顔なんかされたら、立ち直れない。」イジイジする草薙の背中を、竹下はどついた。  「迷惑とか、あるわけないよ!先輩がお前のこと嫌だったら、マッパのお前の介抱なんかしないし、ユニフォームくれたりしないだろ!」  一年前の合宿で、風呂で貧血を起こして倒れた挙句、大好きな柏木に全裸を見られ、パンツを履かされ、パンツ一枚の姿のまま背負われて運ばれるという、人生最大の黒歴史を持ち出され、草薙は、真っ赤になって両手をバタバタさせた。  「ちょ、やめてよ!その話は・・・!!」  「当たって砕ければいいじゃん。もし万一、気まずくたって、どうせ会えないんだから。コンクール終わったら先輩は部活引退で、半年後には卒業しちゃうしな。玉砕して辛くなったら、その時は、また話聞いてやるからさ」竹下は、わざと気楽な口調で、草薙の気持ちを和らげた。  「ん・・・。ありがと」背中を優しく押してくれた親友の思いやりに、草薙は感謝した。

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