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第16話 ときめきと不安と【草薙】
吹奏楽コンクール全国大会が終わり、柏木たち三年生は、ブラスバンド部から引退した。
全国大会では、強豪校の厚い壁に阻まれ、上位入賞はならなかったが、「このメンバーで最高の演奏ができた」と、部員たちの表情は一様に晴れやかだった。
「色々、課題も浮き彫りになったという意味で、収穫も多いと思うんだ。来年も頑張ってくれ」柏木が、そのタクトを、バトン替わりに、後任指揮者の二年生・麻生 に手渡し、がっちりと固く握手した。部員一同から、期せずして拍手が起こった。
青陵高校ブラスバンド部は、草薙たち二年生を筆頭とした新体制で始動した。
季節は、もう、秋に変わっていた。
「ふ・・・ん、んんっ・・」
人気のない昼休みのブラスバンド部室で、柏木と草薙は唇を重ねていた。
同じくらいの高身長に、長い手足、しなやかそうな筋肉を纏った身体、タイプは違えど美形の二人が、抱き合って唇を寄せる姿は、密 やかに育 んでいる関係を表すかのように、あまりに静かで美しかった。
つい最近、軽く触れるだけのファーストキスを経験したばかりのうぶな草薙を、柏木は、甘く優しく、そして巧みにリードする。
上唇を、そして下唇を、順番に、下から掬 い上げるように優しくキスして、軽く吸ったり、食 んだり。あまりの気持ちよさに、うっとりした草薙の口が緩むと、隙間から、舌を差し込む。草薙が驚いて、自分の舌を引っ込めると、柏木は、その口内を優しく舐め、「出ておいで」と誘い掛ける。草薙が、おずおずと自分の舌を差し出すと、ゆっくりと絡める。静かな部室に、ぴちゃぴちゃと水音が響く。
純情な草薙は、キスだけでこんなに色々な快感があるのか、と、開き始めた未知の世界の扉に、胸がときめきっぱなしである。
少し大人のキスに慣れてきたとみるや、柏木が、顔を傾けて角度を変えて口付けながら、その指先で、草薙の背中を撫で上げた。ぞくぞくとした快感が、背中を駆け上る。
「あ、あんっ」少し鼻にかかった甘えるような声で、女の子のような嬌声 をあげた自分に、草薙は赤面した。
「ふふ・・・、菫 は、背中が感じやすいんだよな。素直に、気持ち良いって身体中で教えてくれて嬉しい。可愛いよ」柏木は、その目を細めて嬉しそうに笑い、草薙の頬に音を立ててキスを一つ落とした。
柏木にとっては、躊躇 い恥じらいながらも、少しずつ心と身体を自分に開いてくれる草薙の初々しさが、可愛くて堪 らない。固い花の蕾 が、春風に温められて綻 びていくように、まだ大人の世界の入り口を覗き始めたばかりの草薙を大切にし、徐々に仲を深めていければ、と考えていた。
一方の草薙は、柏木の元カレ・桜井の存在が、時折、脳裏をよぎっていた。一度、偶然見かけてしまった二人の抱擁は、自分とのそれよりも、遥かに激しかったからだ。経験不足の自分に対して、秘かに引け目を感じ、焦っていた。
(こんな子どもっぽい僕を、圭先輩は、どう思ってるんだろ・・・。
いつも優しく「今のままの菫でいいよ、素直で純粋なところが好きだ」って言ってくれるけど、あんなにテクニシャンってことは、きっと相当経験豊富だよね・・・? こんな付き合いで、物足りなくないのかなぁ・・・。
・・・それとも、もしかして、僕に魅力がないとか???)
部活の前に、音楽室で、二人の仲を知る竹下と、腹ごしらえにパンを頬張る。
「どうした、菫。圭先輩と喧嘩でもしたか? 元気ないぞ」イチゴ牛乳を片手に、竹下は声を掛けた。
「僕って、魅力ないのかなぁ」浮かない顔で草薙が言うと、竹下は更に問いかけた。
「え、なに、『色気足りない』とか言われた?」
「ううん。先輩は優しいから、そのままの菫で良いって言ってくれるんだけど。キス以上のこと、求めて来ないから」
「ゴフッ!」奥床 しい親友が発した、惚気 と大胆発言のコンボに、竹下はイチゴ牛乳を噴 いた。
「・・・じゃあ、菫は、もっと圭先輩と進んでもいい、進みたいって思ってるんだ」
草薙は、無言で、不満げに口を尖らせている。
(こんなに愛されてるって惚気つつ、更に愛をねだるとは・・・。菫、お前、どんだけ愛されたがりなんだよ・・・。『遠慮しい』だと思ってたけど、実は甘えん坊なんだな・・・。)
ちょうどその時、柏木の元カレ桜井が、トレードマークの金色のストレートヘアを揺らして音楽室に入ってきた。桜井もブラスバンド部の部員なので、音楽室に来ること自体は、決しておかしくはないのだが。
桜井は、揶揄 うように片方の眉を釣り上げて、「へぇ〜」と、面白そうに言った。「草薙は、まだ、圭と子どもの関係なんだ? 僕は、圭に、ちゃんと最後まで抱いてもらってたけどね。そんなんじゃ、圭、物足りなくて、すぐ草薙に飽きちゃうんじゃない? あ、そうそう。圭はね、上手だよ。すごく」
草薙は、内心気にしていた泣き所をグッサリ抉 られ、言葉を失った。
竹下は、眉を顰 め、「おい、失礼だろ。圭先輩の今の恋人は菫なんだからな。他人の恋愛に対して余計なこと言うなよ」と、桜井の無礼な物言いに苦言を呈したが、桜井は、無言で肩を竦 め、サッサと音楽室を出て行った。
(圭先輩が卒業するまでには、絶対、抱いてもらうんだ・・・!)
草薙は、一人秘かに、決意を固めた。
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