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第23話 狼なんて怖くない?!【柏木】

 ラブホテルで二回戦を交えた後、「お腹が空いた」と、色気のないことを言い出した草薙を、ファーストフードに連れて来た。  長い睫毛(まつげ)を伏せ、少し口を尖らせて、草薙は、大学のオーケストラの譜面を眺めている。細い指先で、神経質そうに、何度も譜面を行ったり来たり、ページをめくっている。  「ふぅん。オーケストラの楽譜って、ドの音が、Cなんだ。ブラスバンドはB♭なのに。読み方も、覚えなきゃいけないんだ」  「俺も最初は戸惑ったけど、慣れるんじゃないかなぁ」  柏木は、恋人の横顔を眺めた。どことなく、草薙は不機嫌そうだ。原因は何だろう。  「ねぇ、大学のオーケストラって、何人くらい部員がいるの? そのうち、女の人って何人くらい? キレイな人いる? 男の人は? カッコいい人いる?」  横目で睨み、頬を軽く膨らませている草薙の、分かりやすいやきもちに、柏木は頬を緩めた。  「なぁんだ。(すみれ)、やきもち焼いてくれたの? 可愛いな~。まぁ、色んな人がいるし、世間的に見たら、それなりにキレイとか、カッコいい人もいるのかもしれないけど。俺には、菫が一番可愛く見えるよ?」  首をコテンと傾けて、白い歯を見せて破顔した柏木は、自分の恋人が可愛くて堪らないといった表情で、草薙の髪を撫でた。  草薙は、頬を少し赤らめて、唇を噛み締めて内側に仕舞い込み、柏木の優しい言葉に安心したのか、正直な胸の内を明かした。  「だって、圭先輩は、そう思ってても、向こうはそう思ってないかもしれないでしょ。言い寄られたりするんじゃないかって。僕なんか、子どもだし。大人っぽいキレイな女子大生とかに言い寄られて、クラっとしちゃったらどうしよう、とか考えちゃって」  「そんな・・・、そもそも、絵に描いたような色っぽい女子大生なんていないよ。特にオケ(注)は、真面目な人が多いし。  けど、もし、菫が不安だったら、一回、練習、見に来てみる?  大学の部活って、ぜんぜん閉鎖的じゃないから。『俺の後輩のブラスバンド部員が、来年入るかもしれないから、下見に来た』なんて言ったら、みんな喜んで歓迎してくれると思うよ」  「・・・いいの? 僕が行っても。迷惑じゃない?」  草薙は、上目遣いで遠慮している素振りを見せているが、内心は、来る気満々だと、柏木には手に取るように分かった。  「もちろん。いいに決まってるよ。菫が安心してくれたら、俺も嬉しいし」  そんなわけで、大学のオーケストラの練習日に、草薙は体験入部させてもらうことになった。  当日、大学の校門まで迎えに行くと、見慣れた青陵の制服姿にトロンボーンケースを提げて、緊張気味に立っている草薙の姿を、柏木は一目で見つけ、大きく手を振った。  柏木に気付いた草薙は、はにかんだように笑いながら、自分の方に走ってきた。  「今日は、よろしくお願いします」草薙は、嬉しそうにピョコンと頭を下げた。  「こちらこそ。今、だんだんメンバー集まりだしたところだよ」柏木は、音楽室の扉を開けて、先に入るよう促した。  「おー! 草薙じゃん!」青陵高校のOB、フルートの菊田が、いち早く、草薙の姿に気付いて嬉しそうに寄って来た。  「菊田先輩! こんにちは。お元気そうですね」草薙も、見知った顔に会えて、ほっと安心したような笑顔を見せた。  「今日は来てないけど、青陵高校OBだと、柳沢もいるんだぜ」  「そうなんですね。会いたかったなぁ、柳沢先輩にも。」  そんな会話を交わしていると、高校生の制服姿が物珍しいのか、少しずつ、団員たちが、草薙に注目し始めた。  「柏木君。ね、そちら、青陵の後輩の?」控え目に、しかし、興味津々な様子で声を掛けてきたのは二年生の女子学生、白鳥(しらとり)だった。  「あ、はい。そうです。俺の一年後輩で、青陵ブラスバンドの部長の草薙です」そう紹介され、慌てたように、草薙は、ピョコンと白鳥に頭を下げた。  「へぇー。そっか、三年生かぁ。にしても、身長大きいのねぇ。柏木君と変わんないんじゃない?」  「高校入った時は、もうちょっと小さかったんですけどね。青陵高校は、当時、トロンボーンが人手不足で。新入生の中で、上背あって、トランペット経験者だっていうので、俺がスカウトしたんですよ。フィジカルトレーニングも頑張ってくれて、今じゃ、このガタイに(笑)」 「あ、もう一回、お名前聞いてもいい?」 「はい。僕、草薙 菫と言います」  白鳥は、瞬間、固まった後、大きな悲鳴を上げた。 「えーーーーーーっ!!!! あなたが、草薙 菫君?!『スミレ王子』の?!」  音楽室中の注目が、草薙に集まった。恥ずかしがり屋の草薙は、真っ赤になり、もじもじ手元の楽器磨きクロスを握りしめている。  「あ、ごめんなさいね? 大声出しちゃって。 うちの妹が、近くの女子高の三年生なんだけど、青陵高校に、背が高くて細マッチョで、アイドルみたいに可愛い男の子がいるって騒いでたの。『スミレ王子』って。『まぁ。お名前まで、何て可愛らしい』って、記憶に残ってたの。  ・・・なるほどねぇ。確かに、女子高生達が騒ぐはずだわ・・・。」  白鳥は、頭の上からつま先まで、ジロジロと草薙を舐めるように見た。  (ちょっと! 俺の菫を、そんないかがわしい目で、視姦しないでください!!)  次は、その騒ぎをチラチラと見ていた、男性部員が近寄ってきた。  「あ、俺、XXって、チェロやってる三年生なんだけど。 うちの弟が、青陵高校のブラスバンド部で、草薙君にお世話になってます」  「あぁ・・・! XX君のお兄様なんですね。こちらこそ、お世話になってますっ!」  「弟から聞いてたんだよ。トロンボーンがすごく上手な先輩がいるって。しかも、カッコよくて可愛くて、後輩みんなの憧れの的だって。今日、うちの練習に参加してくれるんでしょ? 草薙君のトロンボーン、楽しみにしてるよ」  「そ、そんな。僕なんかには、もったいないお言葉で・・・!」律儀に草薙はペコリとお辞儀をしていた。  (・・・なんで、弟の言い分を借りて、そんな口ごもって、頬赤くしてるんですか!! っていうか、あんた、オトコでしょ?!)  柏木は、完全に自分のことを棚に上げて、メラメラとジェラシーに燃えた。  自分の恋人は、可愛い。そこに疑いの余地はない。  しかし、自分が可愛いと思うのは良いが、大学のオケに連れてきて、まだ10分そこそこだというのに、このモテ具合はどうだ。まるで、腹を減らした狼の群れに、いたいけな子羊を放り込むようなものだ。  『大学で、柏木がモテモテなのでは』と、草薙は心配していたが、今となっては、むしろ、草薙が大学に来ることの方が、よっぽど危険だ。  (そもそも、『スミレ王子』って何だよ?! 聞いてないぞ! それに、俺にとって、菫は姫だし!)  みるみる不機嫌そうになる柏木を見て、その内心を察した菊田が、冷や汗をかきながら、「な、なあ、圭? ほら、練習、長丁場になるしさぁ。草薙を連れて、大学生協でも案内してやれよ。ついでに、なんか軽く食べるものとか飲むものでも、買って来たら?」と、助け舟を出した。  柏木が菊田を振り返り、その言葉に耳を傾けていると、その間隙を縫って、白鳥が、  「あ! ねえ、菫君! 一緒に写真撮ろ?」と、すかさず、強引に菫に擦り寄って、自分のスマホで2ショット写真を撮った。  (あっ・・・、白鳥さんってば、なんてことを・・・!! 俺、もう知らねえ・・・。)  菊田は、柏木の表情を直視する勇気がなく、思わず目を(つむ)った。恐る恐る目を開けた時、柏木は既に、自分に背を向け、草薙に、  「おーい。菫。せっかくだから、大学生協も案内するよ。んで、飲み物とか買ってこよう?」と、優しく呼び掛けていた。  (こ、こわっ・・・。今、圭の顔は笑ってるかもしれないけど、頭からは、絶対、角が出ている! まるで夜叉か般若か・・・。いずれにせよ、俺は、草薙をこんなに溺愛する圭を、敵に回したくはない! こういう人格者は、一回怒らせると、ほんとに怖いんだから・・・。)  柏木と草薙が音楽室を出て行った後、男女問わず、部員みんなが興奮気味に騒いだ。  「菫君イイーー! あんなナイスバディなのに、甘くて可愛い顔なのが堪らない!」  「ねー! ギャップ萌えだわぁ」  「無垢な感じがいいよねー。子犬みたい。」  「まだ17歳とかでしょ? 若っ! お肌ピチピチだったよねぇ~」  (おいおい・・・。もし、この後、圭から「俺たちが居ない間に、みんな、何て言ってた?」等と訊かれたら、俺は、何て答えればいいんだーーー!!!)  真面目な菊田は、一人苦悩した。 ---------------------- 注:オーケストラのこと。口語では、略してこう呼ぶことがある

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