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第29話 対決【草薙】
男同士の交際の行く末の不確かさを、鷺沢 に指摘されてから、柏木と自分の将来について、草薙は、考えをはせるようになった。
「親や家族に言えるのか。結婚もできないし、子どもも作れない」と、鷺沢には言われたが、幾ら考えても、今の草薙には、柏木と一緒でない未来など、想像できなかった。
柏木が恋しい。ずっと一緒に居たい。
その気持ちだけが、今の彼にとっては確かなものだった。幾ら、他人からは、不確かだと言われても。
草薙は、かつて、柏木への恋心を自覚すると同時に彼の恋人の存在を知った時と同じような、『自分にできることが何もない』行き詰まりの息苦しさを感じた。
同時に、最後に柏木と会った時の冷たい嘲 るような態度を思い出し、こんな風に恋しく思っているのは、自分だけなのかもしれない、と、悲しくなるのだった。
そんな悩みを抱えているからこそ、屈託のない無邪気な下級生たちと話していると、癒される。
この日、小さくなったユニフォームを、新入生だった頃の自分と似た体格の後輩に引き継ぎ、過去のコンクールの話題で盛り上がっていた時、部室に、金髪を揺らして桜井が入ってきた。
「草薙、ちょっと」と、桜井が、自分を手招きしている。
(桜井が僕に話しかけるなんて、珍しいな)
草薙は、下級生たちに「ちょっとごめんね」と断って、その場を離れ、桜井に歩み寄った。桜井は、草薙が近づいたと見るや、くるりと背を向け、草薙と横並びになり、下級生に背を向けた。
(後輩たちには聞かせたくない話・・・?)
草薙が、そう考えた時、小柄な桜井が、草薙の顔を見上げて、抑えた声で言った。
「圭 が、草薙に会いに来てるよ。この特別棟の、一階出たとこで待ってるって。」
柏木の元カレだった桜井の口から、彼の名前が出たことで、草薙の表情が硬くなったのだろう、桜井は、苦笑しながら、言葉を継いだ。
「さっき、圭、部室の近くまで来てたんだよ。僕、たまたま通りかかっただけ。草薙がモテモテなのを見て、凹んで、帰ろうとしてたみたい。草薙を呼んで来て欲しいって、頼まれたからさ。じゃ、伝えたからね。」
「桜井、ありがとう」
草薙は、変なことを考えてしまったのが申し訳なく思い、琥珀色でアーモンド形のネコのような桜井の瞳を見詰め、謝罪の気持ちも込めて、真摯に言った。
桜井は、肩を竦め、どうってことない、という表情を見せた後、その魅惑的な瞳でウインクして、自分の楽器を持って、パート練習に出て行った。
(圭先輩、僕に、何を言うんだろ・・・。まさか、別れたい、とか・・・・? イヤだ! そんなの!
・・・でも、彼が、もう僕を好きじゃないって言ったら? 仕方ない・・・?)
草薙は、最悪のシナリオを思い描きながら、唇を噛み締め、呼び出された一階に向かった。
梅雨明けの眩しい太陽が傾き始めている。出入口に立っている柏木のシルエットは、逆光になっていて、その表情は見えない。
草薙は、眩しさに目を眇 め、緊張しながら、柏木に近づいた。
「ごめんな・・・。急に来ちゃって」柏木の表情や声は、どことなく、ぎこちない。
「・・・・。」草薙は、何を言われるか分からないので、緊張して声が出ない。しかし、会いに来てくれたことは迷惑ではない、ということだけは伝えようと、顔を左右に何度か振った。
「こないだ、大学に来てくれた時、色々ひどいこと言って、ごめん」柏木は、生真面目な表情で、草薙に頭を下げた。
「菫 が言ってた通り、カフェテリアで鷺沢と居た時は、柳沢も一緒だったって、柳沢から聞いた。お前を信じられなくて、本当にごめん。」
「・・・僕の言うことは信用できないけど、柳沢先輩に裏を取って、嘘じゃなかったって、疑いが晴れたから、謝りに来たの?」
草薙は、柏木から目を逸らしながら、硬い声で返した。
想定していた、最悪のシナリオではなさそうだと分かったが、大学で柏木に侮辱され、草薙は深く傷付いていた。些細な言葉尻に、感情的に反応してしまうほどに。右手で、自分の左腕を握りしめ、爪を立てていた。肉体的な痛みがなければ、今の心の痛みに耐えられそうになかった。
「・・・そう言われても、仕方ないよな・・・。」柏木は、切なげに眉を顰めた。
「お前を信じられなかったのは、俺の心が弱かったから。
菫が、大学で、男からも女からもチヤホヤされたのが、俺、すげぇ嫌だった。だから、あの後、お前をオケに連れて行きたくなかった。菫に会ったら、嫉妬で、嫌味言っちゃいそうだから、お前から逃げてた。
今の菫は、女子大生も積極的にアタックしたくなるぐらい魅力あるんだ、って思い知らされて、動揺した。女の人に獲られる可能性もあるのかって思ったら、不安で堪らなくてさ。
そんな時に、鷺沢と一緒のところを見て、嫉妬で、一瞬で頭が沸騰した。しかも、その次に俺に会いに来てくれた時も、菫、白鳥さんたちに囲まれてたろ?
・・・俺、いじけてたんだ。要するに」
柏木の唇は、彼の不安な心のように、震えていた。
しかし、自分の心の痛みに耐えるだけで精一杯の草薙には、そんな恋人の心細さに気付く余裕は、まだなかった。
「・・・僕は、圭先輩が、全然、僕の話を聞いてくれないのが辛かったよ。
あと、『女はいいぞ、お姉さまに教えてもらえ』って言われたのも、すごくショックだった。そりゃ、僕は、圭先輩としか付き合ったことないから、童貞だけどさ。
圭先輩は、僕のこと、ずっと、バカにしてたのかな? って思った。
しかも、みんなの前で、『菫は俺の恋人だ、触るな』とも、言ってくれなかったでしょ? 僕と付き合ってること、恥ずかしいとか、人に言えないことだと思ってる?」
「・・・返す言葉もない。俺が悪かった。
でも、お前をバカにしたつもりはないよ。むしろ逆。女にお前を獲られるんじゃないかって、不安と嫉妬で一杯だったんだ・・・。
みんなに言えなかったのは・・・。俺一人の気持ちで、勝手に言っていいか、咄嗟に判断付かなかったんだ。お前を巻き込むことになっちゃうからさ。
こんな心の狭い男で、本当にごめん。もう一度、俺にチャンスをくれないか。菫。・・・俺を、許してくれ。」
柏木は、許しを請い、祈るような目で、草薙を見つめた。
草薙は、真剣な眼差しで、真っ直ぐに柏木の目を見据えた。
「圭先輩は、この先の、僕とのこと、どう考えてるの?」
柏木は、自分の器量が問われている、と思った。一つ深呼吸して、草薙を見つめ返しながら、答えた。
「俺は、菫と真剣に付き合いたい。これからもずっとお互いに同じ気持ちでいられたら、菫と結婚したい。
日本でも、同性婚が認められるようになってきてるし、海外だと、もっと同性婚に理解のある国もあるから、そういう国に移住するのもいいと思ってた。
・・・前の恋人も男だったから、こういうことは、何度も考えたことあるんだ。
子どもが作れないのは、仕方ないけどな。でも、それを言ったら、お子さんができないカップルも、世間にはたくさんいらっしゃるわけだし。」
草薙は、『結婚したい』と言われた瞬間、ぎゅっと目を瞑 り、上を向いた。瞼と唇が震えている。
「菫・・・? ごめん、俺、重かったかな・・・。」柏木が、不安になり、恐る恐る、草薙を見つめると、
草薙は、大きく息をつき、目を開いた。涙が一筋零 れ落ちた。
そして、柏木に向き直った。
色々な葛藤を乗り越えた、彼の澄んだ心のように、穏やかな優しい笑顔を浮かべ、草薙は、無言で、大きく両手を広げた。
柏木は、眉を下げ、その腕に飛び込んだ。そして、生まれて初めて、恋人の肩で泣いた。
草薙は、両腕を柏木の首に回し、彼の髪をよしよしと撫でながら、甘い声で、可愛らしくおねだりした。
「僕が大学に入ったら、僕と付き合ってるって、ちゃんと周りの人に言ってね。あと、一目でわかるように、なんかお揃いで身に付けてくれる? さすがに指輪はアレだから、ピアスとかさ。」
「・・・明日にでも、オケ中の人に言うよ。『菫は俺の恋人だ、絶対手ぇ出すな』って。あと、ピアスは、誕生日プレゼントに買ってあげる。どんなのが良いか、考えといて」まだ涙でその瞳を潤ませた柏木が、少し鼻を赤くして、恥ずかしそうに言った。
二人は、微笑み合い、優しく唇を重ねた。
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