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番外編:菫のポメガバース(第1話)
部活は皆勤賞のブラスバンド部部長・草薙 菫 が、今日は練習を無断欠席した。珍しい出来事に、首を傾げながら下校する青陵 高校ブラスバンド部の面々の足元に、一匹のポメラニアンがまとわりついてきた。
「わぁ、可愛いなぁ。どこの子? なんでこんなとこに来たの?」
犬好きの桜井 が慣れた手つきで抱き上げる。チョコレート色っぽい濃茶の毛色で、つぶらな瞳が可愛らしい。ポメラニアンは、キューンと困ったように上目遣いで、桜井の隣にいる竹下 を見上げた。
「……菫?」
「ワン!」
竹下が親友の名を呟くと、ポメラニアンはピョンと桜井の腕を飛び出し、竹下の足元でふさふさした尻尾を元気良く振る。
「はあ? どういうこと?」
「いや、だってこの犬、菫にそっくりじゃん。この茶色い毛、アイツの髪みたいだし、おっきくて丸い目とかさぁ」
「えぇーっ。ポメラニアンって、大体こんな感じの顔でしょ?」
呆気に取られる桜井たちを尻目に、竹下は真剣にポメラニアンに話しかける。
「なぁ。お前、ホントに菫か? 俺は信じてるけど、なんか証拠とかある?」
「ワンワン!」
元気よく鳴いて走り出したポメラニアンは、少し離れて、ついてこいとばかりに一同を振り返る。桜井や、桜井の恋人・松原 らは顔を見合わせるが、竹下はためらうことなく犬の後をついていく。
ポメラニアンは時折、みんなが付いてきているか振り返って確認しながら走り、校舎の裏手で立ち止まった。
「ワン!」
「……これ、菫のだろ」
まるで中の人間が蒸発して消え去ったように、制服が取り残されている。靴下や靴までも。竹下は、見慣れたスニーカーを手に取り、まじまじと確かめた。桜井は、ヒョイとベルトを掴み、ズボンの中の下着をチラリと見る。
「あ、ホントだ。体育の着替えで見たのと同じパンツ」
「キューン」
ポメラニアンは困ったような表情で鼻を鳴らし、恥ずかしいからやめてと言わんばかりに桜井を見つめる。
「ごめん、ごめん。……いやー、草薙って子犬っぽいなぁと前から思ってたけど。この姿、ヤバいね。超可愛い!」
表情を緩めっぱなしの桜井は、ポメラニアンの頭をヨシヨシと撫で、喉元の毛をワシワシ梳く。落ち着いたところで、そうっと抱き上げる。
「佑さんも、昔、犬飼ってたんですよね。やっぱ扱い慣れてるのかな。居心地良さそうスね、抱っこされて」
慈しむような眼差しでポメラニアンを見つめ、腕の中に優しく抱きしめる桜井の姿は、まるで聖母のようだ。松原は心を奪われたかのように、恋人桜井の横顔を見つめる。
「でもさぁ、なんで草薙、急にポメラニアンになっちゃったんだろうね?」
小首を傾げる桜井に、竹下が重々しく告げた。
「……たぶん、ポメガバースだと思う」
「「はぁああああ? 何、それ?」」
「詳しいことは、後で説明する。桜井。お前、圭 先輩のLI〇Eとか知ってる? 今すぐ来いって呼んでくれ。菫の一大事だって」
「……というわけで、俺の姉ちゃんのBL漫画によると、ストレスが溜まり過ぎたり、恋人の愛情チャージが不足して寂しくなると、チヤホヤして欲しくて可愛いワンちゃんの姿になっちゃうらしいです」
「……俺の愛情が足りないって言われると、ちょっとショックだなぁ」
「へえー? こないだガッツリ喧嘩してたくせに」
恋人のピンチだから今すぐ来い、と、切羽詰まった調子で元カレ・桜井に呼び出され、隣の青陵大学キャンパスから菫の恋人・柏木 圭 は秒で飛んできた。しかし、桜井の嫌味に、圭は軽くムッとした。
「こないだこっちでお前に会った後、ちゃんと仲直りしたし。菫が足腰立たなくなるくらい『仲直りエッチ』もしたぞ?」
恋人との睦み合いについて臆面もなく口にする圭に、まだチェリーで免疫のない松原や竹下は頬を赤くする。
しかし、圭とかつて付き合っていた桜井は辛辣だ。
「圭はさぁ。都合が悪くなると、エッチで誤魔化そうとするじゃん。気持ち良くしときゃ大丈夫、みたいな。カレシに求めてるのって身体だけじゃないからね? ちゃんと草薙に、何が辛かったとか聞いてあげたの? ケアが足りないから、こうなってるんじゃないの?」
「……なんでお前に、そこまで言われなきゃいけないんだよ」
かつて付き合っていた時の鬱憤 をはらすかのように揶揄 する桜井に、圭が苛立たしげに食って掛かる。それを見た竹下が、二人に割って入った。
「まー、まー、まー。お二人が付き合ってた時の話は、二人っきりの時にゆっくりしていただくとして。とにかく今は、菫を人間の姿に戻すことを考えましょうよ。圭先輩、ご自宅にコイツ連れ帰っていただけますよね? 友達から預かってるとか何とか言って。大学行ってる時以外は、コイツとべったりしといてください」
犬の抱き方は桜井にレクチャーしてもらい、おっかなびっくりの手つきでポメラニアン(=菫)を胸に抱く圭。まるで新生児を抱っこする新米パパのようなぎこちなさだが、恋人に抱かれて、菫は大人しく満足げだ。餌や身の回りの必要最小限のものは、桜井に言われるままに、〇マゾンの一番早い配達で注文した。数時間後には届くらしい。
「じゃ、圭、頑張ってね。草薙ポメちゃんを、しっかり可愛がってあげて」
「圭先輩、よろしくお願いしまーす」
青陵高校ブラスバンド部の面々は、圭に菫を預けて、それぞれ帰宅の途についた。
後には、困惑気味に慣れない手つきでポメラニアンを抱く圭が取り残された。
「お前、菫……で良いんだよな?」
「キューン」
名前を呼ぶと、潤んだつぶらな瞳で従順に圭を見上げる。
(……確かに、このちょっと困ったような上目遣い。まさに菫っぽい!)
圭は、まじまじとポメラニアンに自分の顔を近付けて見入る。
ペロペロ。ポメラニアンは、圭の鼻先を舐め始めた。
「ふふふ。おいおい……、くすぐったいよ。なぁ。これから俺んちに一緒に帰るけど、地面を自分で歩くか? それとも……」
圭が話し掛けると、ポメラニアンは少し悲しげな表情を浮かべている。
「……家まで、俺が抱いて行くよ」
「ワン!」
(そうだよな、竹下の言ってることを信じるなら、なるべく菫をチヤホヤしてあげなきゃいけないんだもんな)
大好きな圭の逞しい腕に抱かれて機嫌良さそうな表情を浮かべ、大人しくなったポメラニアンは、圭のシャツに鼻先を埋めてスンスンと匂いを嗅ぎ始めた。
ポメガバースになった人(人?)は、恋人・パートナーの匂いのついた衣類で巣作りをすることも知られている。帰宅したら、洗濯前の服を何枚か抜き出して菫に与えなければ。
姿を大きく変えてしまった恋人に戸惑いはあるが、これも愛の試練だと思って受け入れようと、圭は決意を新たにしたのだった。
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