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37 引越し

「橋本さん! それこっちの部屋だから。うん、ありがとう」  今日は待ちに待った引越しの日。優吾さんが手配してくれた引越し業者のトラックから新居に荷物をおろしている。橋本さんも手伝いに駆けつけてくれたから凄く助かった。この荷物のほとんどが優吾さんのマンションから持ち出したもの。俺の荷物は衣類とちょっとしたものだけだから、事前に少しづつ運び込んであった。大型の家電などは電気屋から直接ここに届けられることになっているから、それまでには部屋もすっきりと片付けておきたかった。 「なんか贅沢だよな。あのマンションでも十分広くて二人で生活できたんじゃねえの?」  橋本さんがキッチンで段ボールを畳みながら喋っている。俺は二階に荷物を運びたかったけど、優吾さんも黙々と荷解きをしていて橋本さんの話なんか聞いちゃいないから、しょうがなく俺は足を止め橋本さんの呟きに答えた。 「ね、俺もそれ、ちょっと思った」  優吾さんがひとりで暮らしていたマンションからたくさん持ち出してはいるものの、あの部屋はそのままにしてある。仕事が忙しくなった時なんかにマンションも使いたいと優吾さんが言っていた。そしてマンションの合鍵も渡されているから、俺も好きな時に行ってもいいらしい。なら初めからマンションで一緒に暮らしたってよかったんじゃね? とも思ったけど、それは言わないでいた。この一軒家だって優吾さんが考えて決めてくれたものなんだから、なんの不満もない。 「な? あの部屋も相当贅沢だったけど、あぁでもこの家も雰囲気違ってていいよな。でもなんて言うの? 優吾らしくないって言うか……うん、やっぱりこういう家って“幸せ家族”って感じ? 小さいけどちゃんと庭もあってさ、可愛い奥さんがガーデニングとかしちゃって、その近くで子どもが笑ってる……みたいな?」 「………… 」  橋本さんは悪気があって言ったわけじゃない。そうわかっているけど橋本さんが言ったことは俺たちはこれから先ずっと経験することはできなくて、考えたところでそれは全く別の道なのだからどうすることもできない。それを思ったら気分が沈んだ。新しい生活に胸を踊らせてたはずなのに、本当にこれで良かったのか、と漠然と考える。思いを頭に巡らせたところで、それはぼんやりとしたままはっきりすることはなく、ただ薄い靄のように広がるだけなのだろう。  人生のターニングポイントは何度か訪れるものだ。  俺にとってのそれは引き取られての祖父母との生活、就職、優吾さんとの新しい生活……といったところか。俺の場合は特別大きな転機ではないのかもしれない。そして世間一般で言うと、大人になる過程で当たり前のようにある結婚、子育て、という道。それらは俺は絶対経験することができないんだとわかっている。  俺たちは「家族」というものにはなれないんだ。  婚姻届を出し、将来を誓い合い、二人の宝を授かることもできない……ずっと変わらず二人だけの生活。  そこに何の保証もない。  優吾さんはそれでいいのかな?  優吾さんのなかでは、ずっとこの先も俺と一緒にいると思ってくれてるのかな。この家を見せてくれた時「長く住む」と言ってくれた。それでも確かなものがないから、考えれば考えるほどじわじわと不安が押し寄せてくる。そしてこうやって広がっていく俺の頭の中の靄は、これから先もきっと晴れることはないんだ。 「俺、二階にこれ運ぶから……」  何となくこれ以上橋本さんと話をしたくなくて、俺は逃げるようにして二階に向かった。  二階に上がると部屋が二つ。そのうちの広い方の部屋は、俺と優吾さん二人の寝室にしようとクイーンサイズのベッドを置いた。優吾さんのマンションにあったベッドではなく、新たに二人で選んで買ったもの。店で選ぶ時、普通の態度の優吾さんとは対照的に俺ばっかり恥ずかしくって、早く帰りたい一心で優吾さん任せで決めてしまったから、はっきり言ってどんなベッドだか俺は覚えちゃいなかった。 「でっけえベッド……」  ここでこれから毎日のように優吾さんと二人で寝るんだ。今までは一週間に一回でも会えれば幸せだったけど、これからは次いつ会えるかなんて考えなくても一緒にいられるんだよね。  色々と考えてしまうことも多いけど、こうやって嬉しいこともちゃんとある。  大丈夫、これからは優吾さんと二人、きっとうまくいくんだ──

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