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55 別宅
ひとり暗い家に帰る。
案の定誰もいない真っ暗な部屋。俺は真っ直ぐ寝室に向かい着替えを済ませた。
寝室もリビングも、キッチンもなんとなく見回したけど優吾さんが使った形跡はなく、本気でここに帰ってないんじゃないかと心配になった。お互いマメな方じゃなかったとはいえ、今までのこの状況に優吾さんは何も思うことはなかったのだろうか。携帯の履歴を見ても、最後に連絡を取り合ったのは六日前で思わずため息が溢れた。
「何やってんだよ……俺。優吾さんも……」
何か飲みたくて冷蔵庫を開ける。冷蔵庫の中は数日前に買った朝食用のウインナーやら卵やらが入っているだけで優吾さんが何かを買い足した様子もない。俺は一本だけ残っている缶ビールを取り出し、ソファに腰掛けひと口飲んだ。
時計を見ると二十二時を回ったところ。本来なら優吾さんは帰ってきててもおかしくはない時間だ。仕事が長引いたり付き合いだったりで遅くなることも勿論あるだろう。それでも連絡くらいは出来るんじゃないのか……自分のことを棚に上げてこんなことは言えないのだろうけど、ちょっと不満に思いながら携帯の画面を指で撫でた。
優吾さんの仕事のことはよくわからないけど、一緒に住み始めたばかりの頃に何度か優吾さんが家に帰らない事があった。仕事が立て込み、この家に持ち込みたくないから、とかそういった理由で別宅のマンションに篭っていた時があったっけ。きっと今回もそんな感じなのだろうと思い、俺は優吾さんの番号をタップした。
久しぶりに声が聞きたかったから……
連絡しなくてごめんと言いたかったから。
ちゃんと帰ってきてるのか、食事はちゃんと取れてたのか……
ただそれを言いたかっただけなんだ。
今からなら優吾さんのマンションにも電車で向かえるし、なんなら俺もそっちに泊まってもいいと思って電話をした。
「……あ、優吾さん?」
なかなか出なくて諦めて切ろうとしたタイミングで「もしもし」と気怠そうな優吾さんの声が聞こえた。寝てたのかな? 具合悪いのかな? なんて瞬時に頭を過る。
「公敬君? どうした? 仕事は終わったのか? 今どこ? 家?」
俺だとわかった優吾さんの声のトーンがガラっと変わった。俺の声を聞いて嬉しそうに話しだす優吾さんに不安が吹き飛ぶ。久しぶりに聞く大好きな人の声。やっぱり俺の思った通りで、優吾さんはマンションの方で寝泊りをしていたらしい。電話口がとても静かだったから、優吾さんは一人で室内にいるんだとわかった。そして色々立て込んでて連絡が出来ず申し訳なかったと謝ってくれた。
連絡しなかったのはお互い様だし、そのことに関しては俺だって悪いと思ってる。優吾さんの声を聞いたら今すぐにでも会いたい気持ちが膨れ上がり、今からそっちに向かいたい……と言おうと口を開く。でも俺は思わずその言葉を飲み込んでしまった。
「優吾さん?……今マンションにいるんだよね?」
「ん? そうだよ。明日は仕事終わったらちゃんとそっちに帰るよ。いい加減公敬君に会いたいし」
優吾さんは先程と何も変わらずそう言って、少しだけ声のトーンを落とし「早く君を抱きたいしね」と囁いた。
「……うん、じゃ、仕事頑張って。無理しないで早く寝てね」
俺はそれだけ言って電話を切った。これ以上優吾さんと冷静に話せる自信がなかったから。
なんだったんだ?
心臓がバクバクして息が苦しい。気のせいだと思いたかった。でも聞こえてしまったんだ。俺が「今からそっちに行きたい」と言おうとした時、微かに聞こえた女の人の声。「あっち行ってるね」と、おそらく優吾さんが電話をあててない方の耳元でそう言ったのだ。
周りは静かだった。優吾さんはあのマンションにいると言った。俺の声を聞いてあんなに嬉しそうに話してくれた。でも優吾さん一人でいるのかと勝手に思い込んでいたけどそうじゃなかった。
俺は黒く暗転した携帯の画面をぼんやりと眺める。どういう事か理解ができなかった。
いや、理解したくなかった。
いつの間に降ってきたのか、窓にあたる雨の音がポツポツと虚しく部屋に響いていた。
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