63 / 128
63 溢れる
普段と違う抱かれ方をした日、あのドライブと買い物デートを楽しんだ一日、それは当たり前に過ぎていく日常の中の一日だと信じて疑わなかった。
あの日から優吾さんは週に一回でも帰ってくればいい方で、連絡が取れない事が多くなっていた。
初めは、忙しいのかな? くらいにしか思っていなかったけど、こうも連絡が取れないと不安になる。連絡を入れても既読が付くだけで返信は来ない。仕事を持ち帰りあのマンションにいるのかと思い向かってみるも居た形跡はなく、何処で寝泊りをしているのかも俺には見当もつかなかった。
たまに帰ってくれば、憂さ晴らしのように俺を抱く。言葉もろくに交わさず、乱雑に事が終われば優吾さんは泥の様に眠るだけ。優吾さんと一緒に住み始めてから色んなすれ違いや喧嘩もあったけど、こんなのは初めてだった。
不安は募るけど、仕事で何か重大なトラブルでもあったのかな? 帰ってきて俺と会えば乱暴だけど求めてくれる、俺のことが嫌いなら……愛していなければ体を求めては来ないはずだからきっと大丈夫。
まだ俺は大丈夫。
事情は話してくれないけど、ちゃんと愛されているんだと自分に言い聞かせるように日々を過ごした──
「あれ? ダイエット? なんか安田君、痩せたんじゃない?」
試験を来週に控えた俺に勉強会と称してまた工場長が飲みに誘ってくれた。いつもの居酒屋で「お疲れ様」と二人でジョッキを合わせると、すかさずそんなことを言われてしまった。
正直優吾さんの様子がおかしいと思い始めてから俺は食欲がなくなった。ひとりでの食事が酷く味気なく、食べれば食べるほど寂しさしか湧いてこない。こんな風に感じるのなら食事なんて取らなくていい。今まではすれ違っていても二人で住んでいるという実感がちゃんとあったからさほど寂しさは感じなかった。それなのに一緒に住んでいるはずのこの家も、今は何故かひとりぼっちだと感じてしまう。
優吾さんが何を考えているのかわからない。知りたいのに怖くて聞くことができない。眠ろうとベッドに入っても目が冴えてしまって眠れないことが多かった。
「安田くんは痩せてんのにこれ以上痩せてもしょうがないだろ」
俺の背を軽く叩きながら工場長はそう言って笑った。ポンと叩かれた拍子に意図せず涙が落ちてしまい、慌てた俺はバレない様にそっとお絞りで顔を拭う。いくらなんでもこんなところで泣くなんてありえない。そう思っていても一度出てしまった涙は止まることなく溢れてしまった。俺がいつまでもお絞りで顔を覆ったままなのを不思議に思ったのか、工場長は喋るのをやめてしまった。俺はますますどうしていいのかわからなくなり黙り込んでいると、横から小さな溜息が聞こえた。
「いいよ、無理すんな。何があったのか知らねえけど、まあ色々ナーバスにもなるってもんだ。仕事に勉強に頑張ってたもんな。俺はなぁーんも見てねえし聞かねえから。とりあえず飯は食えるか?」
背中を叩く工場長の手が優し過ぎて、俺は涙を堪えて小さく頷く。その後も工場長は俺には何も聞かずに只々自分の日常の話を独り言のように喋っていた。
家に帰ってもやっぱりひとり。でも今日は久しぶりに飯も食ったし、泣いたせいか少しだけ気持ちがスッキリと晴れた気がした。
ともだちにシェアしよう!