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66 婚約指輪

「結婚……するから」  耳元で小さな声だけど確かにそう言った優吾さん。 「結婚?」 「そう、結婚。それ婚約指輪ね」  俺は驚いて抱きしめられている腕から逃れ優吾さんの顔を見る。そこにはいつもの笑顔の優吾さんがいた。  優吾さんが俺と結婚? 法的には俺たちは結婚なんて出来ないけど、こうやって目に見える誓いを俺と立ててくれるのか? 俺は驚きと嬉しさで何を言ったらいいのかわからない。でも嬉しいということはちゃんと言わないと……と思い、震える声で「ありがとう」とそう伝えた。 「えっと……近々俺、この家出るから」  少しキョトンと首を傾げた優吾さんが家を出ると言っているのは理解できた。でもなんで優吾さんがこの家を出ると言っているのかがわからない。優吾さんは相変わらずの笑顔でにっこりと笑っている。  何となく噛み合ってない気がしたのはきっと気のせい……  あれ? でもちょっと待って…… 「なんで? なんで家を出るの?」  言いながら血の気が引いていくような感覚に襲われる。  俺は今、何を聞いた? 優吾さんは「結婚する」と言ったけど、その相手は本当に俺なのか? この湧いて出る違和感を認めたくなかったけど、次の瞬間耳に飛び込んできた言葉にガラガラと俺の中で何かが崩れ落ちていった。 「だって結婚するのに君がいるこの家には俺は住めないだろう?」  目の前が真っ暗……  途端に冷たく広い海の真ん中に放り出されたように感じた。  混乱……  優吾さんから弾き出されてしまった俺は途方も無い孤独感に涙も出ない。恐怖しか湧かない。びっくりするくらい体の震えが止まらなかった。 「嘘……優吾さん結婚って、結婚する……の? え? 嘘でしょ、どうして……」 「嘘じゃないよ、さっきからそう言ってる。ま、式はまだ先だけどな」  ざわつき乱れていく俺の心を嘲笑うような優吾さんの言葉に、俺はこの気持ちをどう吐き出したらいいのかもわからないし混乱するいっぽうだった。  自分の耳がおかしくなった? あれ? 誰が結婚するんだっけ?  嘘だ!!  優吾さんは俺じゃない誰かと結婚しようとしているのか? あの指輪は俺のために隠してあったんじゃないのか?  そもそも俺は優吾さんの恋人じゃなかったのか?  なんで優吾さんはこんなにもいつも通りの顔をしていられるんだ? 「なんで! 結婚するなら俺みたいな子とって言ってたじゃん! 恋人は俺だよね? なんで? なんでそんなこと言うんだよ! 意味がわからないよ!」  バカみたいにい「なんで?」としか出てこない。自分が愛され、求婚されるだなんて思い上がりも甚だしく、酷くみっともない。恥ずかしさで消えたくなった。 「結婚って。俺たち男同士だし無理でしょ。確かに結婚するなら君みたいな子がいいとは言ったけど……公敬君、本気で言ってるの?」  わかってるよ……  わかってるけど、信じたくなんかない。これはきっと夢なんだ。こんな悪夢なんて早く覚めてくれ。 「なんか、ごめんな。今日から俺あっちのマンションで寝るからさ……」  優吾さんの言う「ごめんな」の意味もわからなかった。何に対しての「ごめん」なんだ? 遅かれ早かれこの事実は俺の耳にも入ったんだろ? それを俺が自分で早めてしまっただけだ。俺を裏切ったことに対するごめんなら、そんな謝罪は受けたくない。ふざけんな。  今日でお別れ? 今日から別のところで寝るって、もうここには帰ってこないの?  俺はどうしたらいいんだ? 「嫌だ!……やだよ! 出て行かないでよ……結婚なんか……しないでよ……なんでだよ……」  こんなの納得できるわけない。でも困った顔をした優吾さんを見るのも辛かった。  俺が我儘を言ってるの? 違うよね?  でももう俺が何を言ったって優吾さんが結婚してしまうのは変えられない事実なのだろう。俺が納得するしかないんだ。  息がしにくい。  呼吸が苦しい。  胸が潰れそうなのに涙も出なかった。

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