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126 ずるい人

 簡単な「婚前契約書」を二人で交わし、そして優吾さんは結婚した──  傍から見ても仲のいい理想の夫婦。お互いが共同経営者、良きパートナーとして働き、周りからの信望も集めていった。  二人はまるで古くからの友人のように仲が良く、優吾さんは橋本さんでさえ見たことのない表情を見せることが多くなったらしい。きっと色々と吹っ切れ、気持ちが楽になったのだろうと言うけれど、そんなことを聞かされた俺はただただ複雑で、嫉妬や僻みのような薄暗い感情が湧いただけだった。  優吾さんと別れてからの俺の今までの時間は何だったのだろう……  優吾さんのことを知りたいと望んだけど、やっぱり聞かなきゃよかったのかな、と少しだけ後悔した。   「公敬君から連絡もらえるとは思ってなかったよ」  開口一番、少し困った顔をした優吾さんは俺に向かってそう言った。  なんだかんだ言っても、やっぱり俺は優吾さんと話がしたく、橋本さんに頼んで会う機会を作ってもらった。  優吾さんは突然俺の前に現れておきながら、少しは期待してただろうに……  きっと自分からアクションを起こさず俺の方から声をかけてくるのを待っていたのだろう。    相変わらず狡い人だ……  ── 俺は休日に優吾さんを自宅に招いた。  コーヒーをカップに注ぎながら、ダイニングの椅子にリラックスした様子で座る優吾さんの姿を見て複雑な気持ちになる。長い年月が経っているのにやっぱりまるっきりの他人には思えず、笑顔でコーヒーを受け取る優吾さんに僅かながら胸が高鳴った。 「公敬君は、ずっと一人なの?」 「……それはどういう意味で?」  聞きたいことはわかっていた。それでもあまりに不躾というか無神経というか、俺はその問いに素直に答えたくなかった。 「恋人とかさ、そういう……」 「俺が今どうしてようが、あなたに言う必要あるのかな」 「そうだね」  目を伏せ、軽く笑顔を浮かべるその表情は、俺の知ってる優吾さんと違っていた。「謝る気はない」と言っていたけど、こうやって俺の顔色を伺うような態度は、やっぱり少しは後ろめたく感じているのだろうか。 「俺はあの選択をしたことに後悔はないよ」  優吾さんはゆっくりと話し出す。  そうするしかなかったとはいえ、あの時の俺の気持ち、怒りと失望はどこにやればよかったのか……諦めと苛立ちが胸の奥で沸沸と渦巻いていくのが分かった。このまま優吾さんの話を聞いていたら、きっとこれらの感情が俺の中から溢れてしまうと不安になった。 「ずっと俺に付き纏っていたしがらみから解放されたかったんだ。自分の好きなように生きたかったから……やり直すきっかけにすぎなかった。君のためにも…… 一度俺は公敬君を諦めるしかなかったんだ」  橋本さんの話を聞いていたから、優吾さんの言いたいことは大体分かった。俺にも理解できる。きっとこの人は長い年月、親からの重圧に苦しんでいたのだろう。  それでも俺は、その後に続く優吾さんの言葉は聞きたくなかった。

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