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翌朝。朝のホームルーム前の貴重な時間に俺が根城としている古典科準備室に俺より早く押し掛けて来たのは、風紀委員長の落合叶多 と同副委員長の赤阪の2人だった。
昨日の救済策を早速手配しようというのだろう。俺としても義弟にあたる教え子の身の安全を確保するのに最大の助力をするつもりがあるので構わないが。
それにしても、本当に落合は転校生ではなく巻き込まれクン狙いだったんだな。つい先程まで半信半疑だった。
「書式は風紀室にも生徒会にも用意がある」
「コレで合ってますか?」
後で持っていってやろうと思って説明しかけたら、言葉を遮って差し出された。
存在すら知らなかった制度の申請用紙を探すのはそれなりに手間だったろうに。昨夜のうちに動いたんだろうな。
その行動の早さから、落合の本気度が窺えるというものだ。
「それだ。見ての通り、保護対象者の署名が必要だ。制度内容の条文は確認したか? それを対象者にも説明して、どこまで保護制度を摘要するかは本人と風紀ですり合わせの上明文化しておくように。もちろん、後日変更することは可能だから、今何を望むかを観点にして決めろよ」
コトは人の感情に関わる。それゆえに、対策を取ったことで事態が好転することもあればさらに悪化することも考えられるのだ。
しかし、風紀が良かれと思ったことが本人の迷惑にならないとも限らない。なので、範囲の確定と随時改定は必須作業だ。
この制度を柚蘿はひとりで原案を作り上げて見せた。俺はときどき相談に乗っただけだった。まったくあの男には畏れ入る。
「申請書に範囲確認の添付は必ず必要だから、まずはそこから始めると良い。生徒会長は俺から話をつけておく。理事長印はすぐもらえるから、書類が揃えば翌日から効力を持てるだろう」
「……なんで理事長は確定なんですか?」
「昨日のうちに話を通してあるからだよ」
そもそも、弟を守る方策に反対するわけがないんだがな。
さて、俺の今日の仕事は生徒会長を捕まえるところからだな。いや、その前に本来の教員業務だ。
「ところで赤阪、今日はクラスに来れそうか?」
「授業免除で、って言いたいとこですけどね。行きますよ。今日はクラス委員決めんでしょ? 押し付けられちゃたまんない」
授業も来週からで金曜日の今日は長いホームルームで1年の決め事をするだけだから、仕事があるならそちらを優先で構わないため聞いたのだが、普通の授業よりも大事だとばかりに言い放たれた。
風紀委員で役職にまで就いているのだから当然候補者の頭数から除外されるのだが、残念ながらうちは不良クラス。居ない方が悪い理論が罷り通る。
「今日は委員決めだけですよね? サクッと終わらしてくださいよ、先生」
新入学生はこの学園のシステムについて色々学ぶことがあるから数時間かけたオリエンテーションが予定されているが、在校生はその割り当て時間に付き合うため何もすることがない。それで、今日は委員決めが終われば開放される予定になっているわけだ。
今日は不良クラスも全員集合だろう。サボれば有無を云わさず役割を押し付けられる。
決めることさえ終わってしまえば彼らを教室に縛り付けておくことなどほぼ不可能で、そうだな、と赤阪の望みに軽く頷いて返した。
「落合は?」
「篠塚を迎えに行ってそのまま護衛につきます。今日は授業がないんでそのままつれ回されそうですから」
「じゃあ、生徒会長に会ったら俺が呼んでると伝えてくれるか? 拒否するようなら居場所リークしてくれ」
「篠塚連れ出せる隙があったら離れますよ?」
「あぁ、そっち優先で良い。その時は教えといてくれ」
言いながら、その辺にある裏紙にメアドを書いて渡す。受け取ってすぐにそれをスマホに打ち込み挨拶メールを流してくるスピードは、さすが現代っ子だ。
そうしている間に校舎にチャイムが響く。朝の余鈴にはまだ早いこれは、時刻鈴だ。現在時刻は8時ちょうど。
「そろそろ迎えに行かないと」
寮までは敷地内にあるためここからでも歩いて5分ほどだが。チャイムを聞いたとたんに腰を浮かせた落合に、俺も赤阪も快く送り出す姿勢をみせる。
恋する若者は微笑ましい。
なんて、赤阪までも同じ気持ちとは思わないけどな。
生徒会室に閉じ籠っていた頃は出られなかった職員会議に久しぶりに出席して、他の教師と同じタイミングで職員室を出る。
横を歩くのは同じくD組を受け持つ3年生担任の染屋先生だ。
何年もD組を受け持っているベテランの教師で、俺が在学中にもお世話になった。元教え子という肩書きが効を奏したのか、現状で俺の教員業務をサポートしてくれる心強い味方だ。この人のおかげで職員会議をサボれた恩がある。
そんな染屋先生、若い頃はプレイボーイで街に名を馳せた人物だけに、恋愛指南にも長けていたりする。そもそも嗅覚が鋭い。
「新学期になっても能代の男漁りは健在なんだねぇ。蓮見クンもターゲットなんでしょ?」
「……先生、面白がりすぎですよ」
「良いじゃない。恋人も戻ってきたことだし、恋の鞘当ては若いうちに楽しんでおくべきだよ」
「勘弁してくださいよ。俺は一途な質なんです」
もう50近いくせに他人の恋愛トラブルが大好きという厄介さ。まぁ、俺と柚栖の時は力強く背中を押してもらって感謝もしてるんだが。
いい加減落ち着いてくれても良いと思う。
「一途と言えば理事長もだね。大卒1年目で早々に理事長就任するなんて、随分無茶もしたんじゃない?」
「それをそばで支えてやりたかったですよ、俺は」
「あれ? そうなの?」
「そうですよ。4年前の卒業式以来、昨日まで声すら聞いてないです」
「そっかぁ。一人で頑張っちゃったんだ。さすが篠塚の懐刀。男前だねぇ」
フフっと笑う染屋先生だが、面白がるその言葉の端々から情報通な裏事情が窺える。篠塚の懐刀なんていう言葉は、御家事情をそれなりに見聞きしていないと出てこないものだ。
それもそのはず、この学園の教職員は半数を超える割合で学園のOBが勤めている。そのため、家柄も上流階級が多いのだ。
跡取りは家の事業を継ぐし、次男くらいまでならその補佐役などで辣腕を振るうことが多いが、三男以降になると反対にお家騒動を複雑化させかねないとの事情から生家の主業務から遠ざけられる傾向がある。
簡単にまとめるならば割りを食った形なのだが、教員として戻ってきた先生方はそれもまた選択肢のひとつとばかりに現職を楽しんでいる人が多い。
自分が青春時代を過ごした環境だからこそ、暮らしやすいのだろう。
染屋先生もその典型に当てはまって、旧家の直系三男という家柄。したがって、事業面はともかく、社交界ではそれなりに高い位置にいる。事情にも詳しいわけだ。
俺などは家の没落とともに社交界と縁を切られた立場だから、最近の事情にはとんと疎い。昨日も、本家の凋落ぶりをはじめて聞いて驚いたほどに。
「てことは、蓮見クンってその間事実上のフリーだったの?」
「生涯唯一の存在があるんですから、フリーではないです」
「何その純愛思考。学生時代は随分派手だったくせに」
「周りに騒がれてただけですけどね」
「そうだった? ……あ~、そういえば確かに。歴代稀に見る硬派会長だったか」
そういやそうだねぇ、などと目を細めて懐かしがられた。そもそも歴代稀にってところが貞操観念弛いこの学園ならではな言回しだ。
「そのわりに遊び放題だった篠塚とつるんでたせいで、硬派の印象薄いんだよな、お前」
「今じゃその柚蘿も愛妻家で有名なんですけどね」
「遊び尽くしたから満足したんだろ」
「先生みたいに?」
「そうそう。俺も今やカミさん一筋よ」
へっへっと笑う染屋先生に俺も苦笑を返す。こんな山奥に単身赴任していながら毎週末足しげく帰宅する愛妻家なんだ。忘年会だろうが慰労会だろうが、週末の飲み会予定はフル欠席という徹底ぶりで、全員参加が求められる行事は平日開催が定着したほど。
ホント人の生き方は十人十色だと思う。
そんな話をしているうちに3学年のD組が集められた教室に辿り着いていて、染屋先生はじゃあなと軽い調子で手を挙げてから受け持ちの教室に入っていった。
どうみても50近い年齢には見えない行動と容姿に、俺は苦笑とともに見送る以外になかった。
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