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 委員を決めるといっても、必要なのはクラス委員とイベント委員が体育祭と文化祭用にそれぞれ2名の計5名が決まれば良い。  早速席順も席配置も無軌道バラバラにされた混沌とした教室で、それでもこの早朝から全員出席の奇跡を見せた生徒たちは、あっという間に決め事を総て決めて解散していった。  そもそも教室内の8割方が所属するチームの総長が仕切るクラスだ。間違うことなく鶴の一声だった。  クラス委員にはなんとその総長である日達自ら立候補。イベント委員もチームの幹部が名を連ねた。  会議に出席する他クラスの委員には御愁傷様だ。  その日達が、現在俺の根城である古典科準備室にいた。机を挟んで向かい合って同じプリントを覗きこむという姿勢で。  不良チームの総長などという御大層で威圧感ある肩書を誇示するわりに、仲間思いで落ち着いていて意外と常識人な日達だ。  あの荒くれ者どもが黙って従うほどには腕っぷしは強いようだが、俺のような教師にたいして意外なほど従順なのが不思議で仕方がない。 「……一年間の仕事はこんなもんだ。イベント委員のサポートも仕事のうちだから協力してやってくれ。何か質問はあるか?」 「今んとこ、ないな。何かあったらそん時聞く」  渡したプリントにメモを書き込みながら返してくる様子は、確かに敬語を使わないあたり真面目な一般生徒ではないが不良の総長というにも違和感だ。 「日達って不思議なヤツだよなぁ」  ぺったんこのカバンにペンとプリントを放り込んでいく様子を眺めながら思わず呟けば、年相応の若い表情できょとんと見返してきて、それから苦笑いを浮かべた。肩まで竦めるのが妙に様になっている。 「相手がアンタだからだよ、蓮見センセ」 「ん?」 「去年世話になったからな、アンタの事は認めてんだ。あのオトナ嫌いの赤阪も懐いてんだろ?」  確かに赤阪も俺には大分協力的だが。オトナ嫌いなど初めて聞いた。礼儀を弁えた良い子だと思うんだがな。 「義務だ常識だってクソ喧しい説教垂れてくるオトナってヤツに従う気は毛頭ねぇ。それがどんだけ理不尽で一方的な概念かってなぁ、道を外れちまった俺らだからよーく知ってんだ。社会に出りゃイヤでも従うっきゃねぇのは分かってる。だからこそ、ガキのうちくれぇは好きにやらせろってよ。それが俺らガキどもの主張だ。それを、センセは分かってくれてるからな。わざわざ反発する気が起きねぇのよ」  いやまぁ、押さえ付けたら反発するのは道理だろう、くらいは理解しているが。ちょっと買いかぶりすぎではなかろうか。  理解できていない、を正直に顔に出して首を傾げる俺に、日達はそれ以上何も言う気がないようでケラケラ楽しそうに笑うだけだ。  楽しそうなのは何よりだが、俺は全く面白くない。  さて、一頻り笑って気が済んだようで帰ろうと日達が立ち上がりかけたちょうど同じ時。  ノックとともに勝手に開けられた引き戸の向こうから現れたのは俺の待ち人だった。  ノックの返事も待たずにずかずかと入ってくる生徒会長という優等生のトップに、日達には余程勘に障ったようであからさまに機嫌を損ねた表情に変わった。 「なぁ、センセ。ノックして返事待ってから部屋に入る、ってなぁ、常識じゃなかったか?」 「うーん。社会常識のはずではあるね」  その場で最も高位の肩書を持つ人物についてはその限りではない。会社なら社長など。  教師と生徒会長だと、見方によって線引きが難しいところともいえる。年齢的には明らかにこちらが目上だが。  しかし、日達が言いたいのはそういうことではないのだろう。  立場がどうであろうとノックして待つという常識は適用すべきで、例外があるのは理不尽だ。  実際実は俺もそう思っている。社長であろうとも、他人のいる部屋に入るなら先客の許可を乞うべきだろう。 「生徒会長サマはよくて俺ら一般庶民は駄目ってなぁ、納得いかねぇよな」 「そうだな。まぁ、ここは総長の度量の広いところで見逃してくれるとうれしいかな。ちゃんと説教しておくよ」 「しゃあねぇな。センセの顔立てて引いてやるよ」  ふん、なんて鼻で笑って、ムカついてはいるのだろうがなんの反論もしない生徒会長の横をわざわざ肩をぶつけて通り抜け、日達はひらひら手を振って退室していった。  やれやれ、あれは間違いなく日達のブラックリストに載ったな。生徒会長としては不良チームを敵に回すのは得策ではないのだが。  現生徒会長、蓮池飛鳥(はすいけあすか)。昨年の学園祭明けから既に半年は生徒会長を務めている3年生だ。  そして、前述の通り俺は小学生だった彼の家庭教師をしていた、遠い親戚である。没落して縁の切れた一族本家の御曹司なのだ。 「意外と素直に来たんだな。エライエライ」 「……バカにしてんのか」 「おうよ。当たり前だろ、サボり魔のバ会長」  会長への伝言を伝えたと落合から連絡があったのは、朝のホームルームが始まって割りとすぐの時間だった。ついでに、保護対象の拉致に成功した、とも。  不良クラスと思えないほどトントン拍子で委員が決まっていくのを眺めながら、その隙にお礼のメールは返しておいた。時間もなかったのでごくごくあっさりと。  顔文字で苦笑が返ってきたのには少々驚いた。そして、ccに入っていた赤阪がクラス内で一人勝手に楽しそうにしてて、近い席の奴らにからかわれていた、というおまけ付き。  うん、ドンマイ。  そんな訳で伝言を受けた飛鳥が、意外にも素直にここに現れたという経緯だ。 「まぁ、座れ。コーヒーしか出ねぇぞ」  出しっぱなしだった日達に出したカップを回収して客用のカップを出し、インスタントコーヒーの粉を直接ザラリと投入する。  インスタントコーヒーなど見たこともない生まれ育ちの飛鳥だから、予想どおり驚いた顔でそれを凝視している姿にほくそ笑む。  話を変えるにも間を持たせるにも、意識を一旦会話から引き離すのは常套手段で、コーヒーを淹れるのも良い小道具だ。 「なんだ、それ」 「庶民の味方、インスタントコーヒー」  適量の粉にお湯を注げば出来上り。これを発明した人は天才だと思う。 「砂糖とミルクは?」 「……いる」  プイとそっぽを向いたのはお子様舌が恥ずかしかったとかだろうか。コーヒーに何をどう入れるかなど、好みの問題でしかなく、恥ずかしがる要因にはならないのだが。  さて、一息吐いたらバトル開始といこう。 「いつまでサボってるつもりだ?」  チープながら意外に飲める味のコーヒーにやっぱり驚いていた様子の飛鳥が、問われた途端に表情を変えた。不機嫌丸だしに。 「別に良いだろ。ほっとけよ」 「仕事やる気ねぇなら辞任しろ。せめてものけじめだ。義務教育中のガキならともかく、もう高3なんだぞ、お前。いつまで甘えてる気だ」 「甘えてなんかねぇよ」 「甘えだろ。自分がやらなくても誰か代わってくれる、とでも思ってんじゃねぇのか? 都合良く、分家の下僕が生徒会の顧問なんかやってるから押し付けんのにもちょうど良い。違うか?」  違う、と言いかけたんだろう。口を開けて下を向けていた顔を上げて。  そのまま飛鳥は固まった。  悪いが、俺はこれでも在学中は俺様会長と畏れられた男だ。ガキの我儘を聞き流してやる甘さは持ち合わせていないんだ。  俺の意志を覆そうというならそれなりの論拠と度胸を見せてもらわなくてはな。 「サボりの言い訳は聞いてやる。改善できる話なら顧問の権限も使ってやる。だがな、推薦方式とはいえ生徒会長就任は強制ではないし、自分で引き受けたからには責任持って仕事に当たれ。俺みたいな庶民ならともかく、お前は将来デカイ企業と一族を背負う立場なんだ。ここで挫折して戦線離脱する気なのなら止めねぇがな、けじめは付けろ」  キリと歯が軋む音が聞こえる。悔しいんだろう。  見ての通り、高校生のガキなんだ。サボりたい気持ちも分からないでもない。  それでも、こいつらはさすがにサボりすぎなんだ。  学校経営までさせられているわけではない。学生自治の範囲で必要な作業を任されているに過ぎず、イベント前は確かに忙しいが通常は週に数時間の書類仕事で済む。  だからこそ、俺は新しいイベント企画や既存イベントの改変に手を付けられたし、柚栖は俺との時間を最大限に作るために業務の簡略化作業に注力できた。  つまりは、過去の実績をなぞって坦々と作業するだけならたっぷり余裕があるということだ。その余裕の範囲で大いに遊べば良い。それすら嫌なら最初から引き受けなければ良いのだ。 「で? まだ生徒会長は続ける気があるのか?」  悔しそうにしながらも何も言い返せず黙ったままの飛鳥をじっと観察したあと、少し口調を和らげてやった。  単純にサボっていただけならともかく、なにやら言い分のありそうな雰囲気は感じられる。ならば、一朝一夕で解決するものではないのだろう。  であれば、それはとりあえず先送りにして、現状必要な話をするべきだ。  どうするんだ、と回答を促してやれば、飛鳥もようやく何か決断したようで顔を上げた。 「続ける」 「なら、仕事に戻れ。俺は新歓準備と新学期準備に関わる期限早めの書類しか片付けてないからな。それと、他の役員も連れ戻した方が良いぞ。一人で片付く量じゃない。それから、風紀から今日明日のうちに緊急決議の書類が来るからそっち優先で頼む。軌道に戻るまでは手を貸してやる」  必要な伝達事項を羅列してやる。普通にこなしていればこんなに溜まらないのに、といえるほどの量はあるから、しばらくは大変だろう。当然、自業自得なんだが。  その中で聞くべきことをしっかり聞き分けるところが、飛鳥の将来有望なところだ。これだから、見捨てられない。 「風紀から緊急決議? 何の件だ?」 「篠塚柚舞を風紀で保護する」 「篠塚……? あの平凡か」  は? 平凡?  そもそも、あの柚蘿、柚佐(ゆさ)、柚栖の兄弟が溺愛する弟だぞ。平凡な訳がない。  末っ子らしくおっとりした性格で柚栖に似て華奢な体形だから目立たないのは否定しないが。 「愛生にまとわりついてて邪魔だったんだ、喜んで押し付けてやるよ」 「……お前、正気か? 俺には能代に振り回されて苦労しているようにしか見えないんだがな」  恋は盲目、というヤツか。厄介な病気にかかりやがって。医者でも温泉でも治せねぇんだぞ。

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