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 金曜の夜から月曜の朝までは仕事で出張でもない限り柚栖と過ごすと決めたのは、まだ柚栖が高校在学中の頃のことで、それは現在もまた当然のように復活している。  寮に帰り着いた途端、泊まる支度をして理事長社宅に来るようにとメールで呼ばれ、スポーツバッグを背負っていそいそと向かう先は敷地内にある豪邸だ。  昔は理事長が家族や使用人と共にこの豪邸で暮らしていたらしいが、今は柚栖の独り暮らしで大半が使われていない。  呼び鈴を鳴らすと、玄関先に出迎えてくれたのは柚栖ではなく、弟の柚舞くんだった。 「兄さんが揚げ物してて手が離せないからって代わりにお迎えに出たんだよ」  だそうだ。  居間に通されれば大柄な体躯の先客が居心地悪そうにソファに姿勢を正して座っていた。 「落合? 柚舞くんのお連れさんかな?」 「うん。兄さんに紹介したいって言ったら、お夕飯を一緒にしましょ、って」  つまり、家族に紹介するに値する関係に発展したということか。  良かったな、とちょうど良いところにあった柚舞くんの頭を撫でてやれば、柚栖と似た表情で照れくさそうに笑って返してきた。  不思議そうに嫉妬混じりの目線を向けられて、義弟と揃って苦笑する。 「叶多先輩。蓮見先生は柚栖兄の旦那さんですよ」 「まだ旦那とは名乗れないかな」 「え? 名乗っちゃおうよ。誰も反対しないよ!?」  ねぇ、兄さん。と振り返るのに同じように振り向けば、ご飯の準備が出来たと呼びに来たようで柚栖が声もまだかけていないのに話を振られたのにびっくりしている。  呼ばれて向かったダイニングにはちょっと豪勢な手料理が並んでいた。肉料理が中心のメニューで柚舞くんが嬉しそうに歓声を上げている。  ビーフシチューなんてものもあるんだが、どれだけ料理に時間をかけたんだろうか。  飲み物にはノンアルコールのサングリアまで用意されていた。 「昨日母さんから送られてきた荷物に入っててね。うちの母自慢の自家製サングリアなんだよ。ノンアルコールだから安心してね」  との補足付きだ。  柚栖の料理好きは家族に知られているそうで、なおかつ、柚舞くんは反対に裁縫はするけれど料理はしないタイプだそうで、柚栖がこちらに来たからこそこれ幸いと末っ子に美味しいものを食べさせるべく送りつけてくる、のだとか。  歳が離れているから兄たちに溺愛されているのは知っていたが、親からの愛情も同レベルのようだ。  ダイニングテーブルに恋人同士隣り合わせになるように向かい合わせで席につく。俺の正面は落合になった。  挨拶もそこそこに、冷めないうちに召し上がれ、と柚栖に促されれば、取り敢えず面倒な話は後回しだ。 「落合くんも遠慮しないでたくさん食べてね。おかわりもあるから」  むしろおかわりするほどたくさん食べられるのは落合くらいだと思うが。遠慮と戸惑いで借りてきた猫のような落合がなんだか可笑しい。  揚げ野菜をたっぷり後入れのビーフシチューは柚栖の自慢料理で、それだけでも落合の存在を歓迎しているのがわかる。反対に落合は柚栖の肩書きに恐縮してしまっているので、こちらを何とか解さねばなるまい。  ノンアルコールでも気にせず乾杯する篠塚兄弟に合わせて、早速料理に手を伸ばす。テーブル中央に篭盛りにされたパンを取って、落合の手元の皿に置いてやった。 「緊張してないで食えよ。美味いぞ?」  チキンソテーを一口大に切ってまぶしたサラダやら、ミネストローネやら、箸休めにセロリのピクルスやら。肉料理中心ながら野菜たっぷりのメニューで、食べる人の健康を気遣っているのがよく分かる。  食堂のメニューも悪くはないのだが、どうしてもメイン料理に付け合わせのレベルでしか付かないから野菜が少なくなる傾向は否めない。可愛い弟に野菜を食べさせたかったんだろう。  美味しいと分かっているからこそなのか、早速喰らいついた柚舞くんは既に頬っぺたを落としそうにふんにゃり笑っていた。  恋人の贔屓目無しに美味いんだ、本当に。 「今日は急だったから圧力鍋に頼っちゃったんだけど、どう? いける?」 「美味しい! 兄さんのビーフシチューはハズレない!」 「ふふ。火傷しないようにね」  あぁ、もぅ、このほのぼの兄弟め。可愛い過ぎるだろう。どうしてくれようか。 「……先生。篠塚に嫉妬するのやめましょうか」 「してねぇよボケ。はっきり愛でてるだろうが」  じっくり見すぎた自覚はあるが、嫉妬と勘違いするとは。  あぁ、兄と分かっていても柚栖に嫉妬したのか。分かりやすいヤツだ。 「で? ここにいるってことは正式にお付き合いすることになったってことで良いんだな?」 「今日の今日でご家族にご挨拶することになるとは思いませんでしたが。お付き合いさせていただくことになりました」 「血は繋がらないが柚舞くんは可愛い義弟だ。泣かせるなよ?」 「胆に命じます」  勿論ですよ、なんて自信満々に返してくるかと思ったが、意外と謙虚だ。篠塚兄弟は上が俺様揃いだから、このくらいの方がやり易いだろう。  まぁ、この付き合いを一生ものにするのなら、だがな。 「まだ高校生なんだし将来設計がどうのということまで考えろとは言わないが、出来立てのうちに言っておく。お前ももう3年だ。来年どうなっているつもりなのか、早いうちに柚舞くんと予定を擦り合わせしておけ。遠距離になるにせよ別れるにせよ、そばにいられなくなるのは間違いないからな」 「うわぁ。それ、僕も耳が痛いよ」 「お前はちゃんと反省しなさい」  何も言わずに4年も放置するなんて言語道断だ。結局許すんだがそれにしたって反省はしてもらわないと。 「反省って、理事長何かしたんですか?」 「兄さんね、蓮見先生に何にも相談しないで高校卒業してこの春まで音信不通だったんだって。上の兄さんたちも呆れてたんだよ」  それを聞いて落合も流石に耳を疑うというような表情をする。歳上だろうと理事長の肩書きがあろうと今ばかりは関係ない。柚栖も笑って誤魔化そうとしている。  まぁ、過ぎたことは置いておく。今は落合のことだ。 「将来どうなるかはまだ全く見えません。けど、隣には篠塚にずっといてほしいと思ってる。そのくらいには、本気で考えてます」 「将来の展望には親御さんの意向も絡んでくると思うけど、その辺も視野に入ってるのかな?」 「うちは代々世襲制絶対排除の方針なので、家の援助が期待できるのも学生のうち、と幼い頃から決められているんです。独り立ちした後は口出しも手出しもしない代わりに手助けも最低限だと。なので、話だけ通しておけばうちは何も言いませんよ」  じゃあ大丈夫だね、と柚栖がほんわか笑う。  他者の意向を考慮する必要があるか否か、というのは未来を計画する上でだいぶ大きな足枷の有無を左右する。  とはいえ、俺には恋人を含めて将来設計をした覚えもなければ、親に恋人との付き合いに口を出された覚えもない。現在唯一の身内になった柚栖も、篠塚家の異常なくらい寛大な家族の受入態勢のおかげで家族問題がネック化していない。  ので、実感はない話だが。あくまで一般論だ。  しかし、全国的に規模も大きめで代を重ねた極道のトップが、まさか世襲制を取っていないとは驚いた。世襲がないということはつまり、跡目候補者が白紙スタートということだ。血気盛んなあの業界では跡目争いも激しいことだろうに。  最初にその方針を打ち出した組長さんは、息子に苦労をかけないようにと考えるほどには子煩悩だったのだろう。簡単に想像がつく。きっと人間的でほのぼのするエピソードだ。 「なら、今度の連休で落合も連れて行くのか?」  次の連休であるゴールデンウィークには、俺の篠塚家訪問が既に予定されている。柚蘿と柚佐にはそれぞれに美味い酒を用意して待っていると歓迎ムードのメールをもらっていた。全く知らない家ではないのが救いだが、俺にとっては一世一代の正念場だ。  そこには柚舞くんも帰省予定のため、落合も連れて行くのかどうするのか、というところ。  柚舞くんは少し首を傾げてから首を振った。 「叶多先輩ともっとちゃんと話してからが良いと思うんだ。今は引っ越しとか風紀のお世話になってたりとか、バタバタしてるし。早くても夏休みとかかな」 「まぁ、それが良いかもな」  ゴールデンウィークは俺の正念場だ。落合のことまで気を配ってやれないのは目に見えているから、時期をずらしてくれるのはこちらとしてもありがたい。  この二人が今後どれだけ寄り添っていくのか、身近な大人として見守っていければ良いと思う。どんな結論を導き出すにしても、彼らが後悔をしないように。

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