20 / 30
19
『生徒の呼び出しをします。2年A組能代愛生くん。至急理事長室まで来てください。繰り返します。2年A組能代愛生くん。至急理事長室まで来てください』
柚栖の声がスピーカー越しに学園内に響いたのは、午前中最後の授業である4時限目の終了チャイム直後だった。
俺はそれを理事長室でダブル音源で聞いている。つまり、理事長室にもあるスピーカーと、生声だ。
意外にも、理事長室に放送設備が設置されているのだ。この簡易設備は生徒会室や風紀室、職員室にもあるから見慣れたものだが。
あと5分もすると、放送部の根城からもっと本格的な設備を使っての昼の番組が始まる。余談だが、この番組内では高柳も訛り一切なしの標準語だ。
いつもの関西弁はなんなんだ、とは彼の知人なら一度は突っ込んだことがあるはずである。
柚栖の声を聞きながら、俺は彼に見せてもらった分厚い調査資料を読んでいた。
それは、能代愛生の生い立ちから始まる身上書、罷免されたばかりの元学園長佐南氏の履歴書と調べあげられた罪状の数々、能代家と佐南家の現況と系譜、来歴、それに、学園の過去10年分の学園史と会計記録、その他諸々の関連資料。分厚くて1時限分の時間では目を通しきれない。
それにしても、過去10年分なら俺も運営側に近い立場にずっといたものだが、改めて10年分並べてみると生徒会行事費用の節約効果は随分出ていたようだ。
自画自賛して良いだろ、これ。
「数字にして見せられると柚栖の代の生徒会の有能っぷりが如実に出るな」
放送を終えてソファに戻ってくるのを待って誉めてやれば、何故か柚栖は肩を竦めて返してきた。
「それは過去10年分だから見えないけど、もっと前から並べて見れば亨治と柚蘿兄の代が一番顕著なんだよ。僕は亨治不在の間にじわじわ戻ってた消費額を過去実績に倣って戻しただけなんだから。賞賛されるべきは先人たる亨治たちです」
「何を言うか。元々無駄遣いしていたのを節約するのは簡単だが、元々節約していたのをさらに切り詰めるのは大変なんだぞ。素直に胸張っとけ」
「いやいや何を仰いますかお手本サマ」
「いやいやいやいやそちらこそ何を仰いますか理事長サマ」
「いやいやいやいやい……、ま、いいか。どっちも偉いってことで」
「だな」
言い合っても不毛だしな。
ところで、だ。
「能代、遅いな」
呼び出し放送から気付けば10分が経っていた。一番遠い場所にいたとしても、校舎内にいたならそろそろ到着して良い頃だ。
そうだね、と柚栖も同意してくれる。
「待ってても遅くなるだけだし、亨治は先にご飯食べてたら良いよ。もう一度放送してみる」
お言葉に甘えてそうしよう。
食堂の仕出し弁当は既に用意済みだった。昼休みを潰すことになるから、と能代の分も含めた3人分。
応接テーブルは客の予定があるから、理事長の執務机を拝借することにする。スマホで手当たり次第の宛先に能代の居場所を尋ねるメールを打ちながら給湯室へ移動。
茶葉を蒸らしている間にいくつかの目撃情報が返ってきた。どうやら呼び出しを無視して食堂で食事中らしい。
目撃情報を返してきた中に飛鳥と高柳もいたため、二人に理事長室に促すように頼んでみたら了承が返ってきた。
「柚栖。飛鳥が連れてきてくれるそうだ」
「じゃあ再放送いらないね。良かった」
食堂からだとここまでは教室を挟んで反対側になってしまうので5分はかかる。その間に俺は食事を済ましてしまえそうだ。
待ちに待った理事長室の扉を叩く音がしたのは、本当に俺が昼食の最後の一口を口に放り込んだちょうどその時だった。
入室許可を出すだけで良いはずの柚栖が迎えに行った隙に弁当箱を片付けて食後のお茶を啜りつつ給湯室に向かう。来客へのお茶出しが名目だ。
「蓮池君、わざわざありがとうね。お昼休み潰しちゃったお詫びに、良かったらお弁当食べて行って」
「いえ、食べかけを持ち帰りにしてもらってありますから大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
詰めてもらっているのを待つ時間はなかっただろうから、友だちか誰かに頼んできたのだろう。失礼しますと声をかけて足早に立ち去っていく。
その飛鳥を呼び止める能代の大声が続いた。
「えっ! 飛鳥!! 友だち置いてくなんて酷いぞ!!」
「酷くないよ。彼は君をここまで送ってくれたんだから、ありがとう、でしょ。御薗君ももう良いよ。ありがとう」
あぁ、既に金魚の糞確定な副会長も当然の如くついてきてたんだな。だが、部外者はいらないんだよ。
「能代。こっち来い」
人数分の茶器を載せた丸盆をソファ前のローテーブルに下ろしながら呼んでやれば、それで俺の存在に気付いた能代が柚栖の脇から満面の笑みで顔を覗かせて、柚栖を押し退ける勢いで駆け寄って来た。
「ハスミ! こんなとこにいたのか!!」
駆け寄って来た勢いのままソファにダイブ。
慌てて俺は盆に載せてあった布巾を茶器の上に広げた。
ドサッと音を立てて、キチンと掃除されているソファだから埃が盛大に舞うようなことにはならないんだが、それでも多少モフモフするのを全く気にした様子もなく座り直している。
間に合って良かった。本人はどうでも良いが、柚栖に埃の被った茶器を出す気はない。
扉の方では、唖然とその行動を見送った柚栖が再度外にいるらしい御薗に礼を言って扉を閉めたところだった。
「なぁなぁ!! なんでこんなとこにいるんだ!? あ、分かった! 俺と二人っきりで会いたかったんだな! もぉ、ハスミはしょーがないなぁ!!」
随分と飛躍した妄想に、苦笑いも出ない。わざわざ個人的な理由から放送で呼び出したりはしないだろう、普通。そもそも理事長室には理事長が当然いるのだから二人っきりにはなりようもないしな。
勝手に妄想を吐き出して勝手に照れている能代がソファの上でクネクネと悶えていて気持ち悪い。一歩後ろに下がった俺は悪くないと思う。
呆れた顔で戻ってきた柚栖はそのまま能代の向かいに腰を下ろした。
「あ! お前、誰だよ!! 関係ないヤツがなんでそこに座ってるんだ!!!」
は?
思わず俺は素で柚栖と顔を見合わせてしまった。
いやいや。関係ないならそもそも理事長室に入れない。
それに、俺が床に膝ついてお茶汲みしていてあからさまに年下の柚栖がそのままソファに座ったことで上下関係を理解しろというのはそんなに無理難題なのか。
しかも、ここは理事長室だ。教師の俺と学生の能代を除いたら残る柚栖は十中八九理事長だろうよ。
むしろ、どんな立場だと思ったんだ、コイツ。
「えーと。どうして関係ないと思ったのか分からないけど。はじめまして、能代くん。杏ヶ森学園理事長の篠塚です」
「嘘だ!!」
「どうして?」
「理事長は一番偉い人なんだから客の出迎えになんか行かないんだぞ!!」
「……そういう常識はあるんだね」
確かに一理ある言い分だった。何やら威張る口実だけは身につけたとも言える偏り具合いだが。間違ってはいない。上流階級の人間なら自分から動くのではなく執事だの家令だのの使用人を使うものだ。
残念ながら、蓮見の家もそうだったが、篠塚家には使用人が常駐していない。ホームパーティーやら大掃除やらと大規模に屋敷を使うイベントがある場合にのみ、外部から派遣を雇う程度。それも、経営する会社の秘書課や清掃部で事が足りるならそちらから臨時バイトを雇うくらいに、部外者を使わない。
理事長としての柚栖にも専属秘書はいるのだが、普段は柚栖が高等部にいる時は中等部に常駐させておくなどの別行動を取っている。身近に他人がいることが窮屈なんだそうだ。
柚栖自身が秘書よりもお茶汲み名人だしな。
だから、当然招待客の出迎えも柚栖自身がする。とはいえ、普段なら「どうぞ」と声掛けする程度なのだ。
相手が逃げ出すか部外者を連れ込むかしそうな能代だったからわざわざ扉を開閉しに柚栖が出向く羽目になっただけで。
「でも、君はそういう上流階級の常識よりまずは一般常識を身につけるべきかな。目上の人の前では変装を止めなさい。見苦しい」
「へ、変装ってなんだよ!! 失礼だぞ!!!」
「それがお洒落だと思ってるなら一般的なお洒落の基準を学び直しなさい。視力の問題もないのに目元の見えない眼鏡をかけるのは相手に失礼だし、鬘が必要ならせめてキレイに洗って櫛を通すべきだ。何か間違っているかな?」
優しい口調ながらきっぱり言い切った。見た目から嫌悪感を抱く人間の大部分が無意識か意識的にか感じているものだ。誰も指摘しなかったし、しても聞く耳持たないだろうと誰もが諦めていたのだろう。
わざわざ変装するからには何か理由があるのだろうが。高柳が言うテンプレート通りに美貌隠しなのだとしたら、抱きたいランキング堂々1位の実績を持つ柚栖を凌ぐものなのか、是非とも見てみたい。
過去には柚栖より美人さんも何人かいたのは確かだがな。
それにしても、大人しく座っている、しかも俺に関心が向いていない能代を見るのははじめてだ。これは好機。ずっと気になっていた好奇心を満たしてみようと思う。
ぐぬぬ、と唸っている能代の後ろにそっと回り、鬘の毛先に手を伸ばしてみる。強く引っ張ったら痛いだろうから、毛先を摘まんで取れるようなら、というところだ。
俺の意図を察したようで、柚栖も正面から能代の顔に手を伸ばした。
鬘はピン止めしていなかったようで、スポッと取れてしまった。拍子抜けするくらいあっさり。
柚栖も眼鏡の弦を摘まんで驚いた表情。
慌てたのは能代で、鬘を取り返すべきか眼鏡を取り返すべきか、と迷って大慌てでバタバタしている。
正面に回り込んで、柚栖と顔を見合わせた。
「……えーと」
「なんとも、平均的東洋人な……」
その年齢にしてはニキビもなく綺麗な肌ではあるんだが。素顔でいればあっさりと大衆に紛れて目立たなくなりそうだった。
隠したい、ではなく、目立ちたい、だったんだろうか。見た目で目立たなくてもその言動は十分人目を引くのだが。
「か、かか、返せよっ!!」
「「……はい、どうぞ」」
顔を確認したら奪っておく意味を見失った格好だ。隠すほどの顔なのか、と説教に持ち込む意図があったものなのだが、イケメンにも美人にもほど遠いその造りでは本人も承知の上だろう。
人は顔ではないけどな。美醜というものはある程度の基準が暗黙のうちにあるものだ。美人だイケメンだと持て囃される芸能人を判断基準にすれば実に分かりやすい。
返された途端に大急ぎで装着する能代に、改めて疑問が沸き起こるわけではあるが。
「で、何で顔隠してるんだ?」
「か、隠してなんか……」
「ないんなら外しても良いな。視力の問題でもあるなら例外だが、目元を隠して他者と対面するのは礼儀に反する」
「我が校は上流階級に属する子息を教育する場として礼儀作法の習得を第一義に挙げている。今までは目溢しがあったか知れませんが、今後は厳しく指導していきますよ。まず、そのジョークグッズのような鬘と眼鏡は外しなさい。大事な話が始められない」
ジョークグッズとは上手く言ったものだ。確かに、ハンズやらドンキやらいう大型物販店のパーティー用品売場なら売っていそうな品々である。
いや、そういうところで扱うにしてはむしろ地味か。笑いを取るだけのインパクトが不足している。
「ジョークグッズって何だよ!! 失礼だ!!!」
「君の、僕らのような目上の人間に対する態度がそもそも失礼だと、先ほどから注意しているのは聞こえてないのかな?」
「目上とかワケ分かんねぇし! ガッコのセンセだろ!?」
思わず顔を見合わせて揃って「えええぇぇぇ……」と言いかけた俺たちの反応は間違ってないと思う。
今でこそ随分と地位も低く扱われるようになったが、昔は学校の教師ともなればほぼ聖職者扱いだったんだが。
自分が聖職者だとは思っていないからそこまで敬われる必要はないが、それにしても学業や生活を教育する立場の教師は目上の存在であって然るべきではなかろうか。
「だって、オジさんがそうしなさいって言ったんだ!」
身内の指示優先。それなら理解しなくもない。が、学校の先生という立場を見下げる発言をした直後では、その気も失せようものだ。
が。その先はさらに酷かった。
「そのオジさんとやらは、この学園の理事長の命令より優先されるほど偉いのかな?」
「何言ってんだ!? オジさんは理事長なんだから偉いのは当たり前だぞ!!」
お前こそ、何言ってんだ。
ともだちにシェアしよう!