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 能代の暴言に唖然として、先に立ち直ったのは本物の理事長だった。 「理事長はこの学園に僕だけだよ」  それは能代も認識したのではなかったか。理事長との名乗りを否定したのは偉そうに見えないとだけで、オジさんとやらが理事長のはずだから、と真っ先に出るはずの根拠が示されてこなかったのだ。  まさか理事長が何人もいるとなどと考えたのだろうか。理事長といえば学園のトップ。社長が何人もいる会社などあり得なかろうに。 「う、嘘だ!!」 「それは、口癖なのかな? 相手が名乗った肩書を根拠もなく否定するなんて、どこまで失礼なんだろうね」 「だって、オジさんが理事長なんだぞ!?」 「入学式で理事長として挨拶したのは僕だけだよ。君のオジさんというのが佐南史朗氏のことなら、彼は学園長だ。そして、今日付けで罷免されている。君の後ろ楯にはならないよ」 「……え?」  どうやら初耳だったようだ。猛反撃していた勢いが急激に落ちた。レンズの向こうの茶色い大きめの目がさらに大きく見開かれている。 「う、嘘だ!!」 「なんで僕がそんな益にもならない嘘を吐かなくちゃいけないのかな」 「だって、オジさんが……」 「そのオジさんに、嘘を吐かれてたんでしょう?」 「オジさんが俺に嘘なんか吐くわけないだろ!!」 「どうして言い切れるの?」 「だって!!」  そこまでは勢いのまま否定し続けて、それまでだった。オジさんがそう言ったから、が理由にならないとようやく気づいたらしい。嘘吐き疑惑のある人物の言は根拠力が皆無だ。  悔しそうに唸る能代に、俺は弁当箱を差し出した。柚栖の前にも同じものを置く。 「落ち着いて理事長のお話を聞きなさい。能代に不利益になることを話すために呼び出したわけではない。自己主張もけっこうだが、呼び出された理由くらいは聞くものだ」  そう。入室時点からハイテンションで勝手に大騒ぎする能代に付き合って、まったく本題に入れていないのだ。いつまでも子どものペースに振り回されているわけにもいくまい。  その弁当箱の蓋の上に、柚栖は能代自身の身上書を乗せた。  本人にそのまま見せるという発想はなかった。少し驚いた。 「これは君自身の来歴が客観的に記述された身上書です。身上書とは文字通り、君の身の上を明らかにしたものという意味ですよ」 「な、なんだよそれ! 人のコト勝手に調べたのか!?」 「調べましたよ、君の当学園への編入学に不審な点がありましたからね。当然のことです」 「ふ、ふし……」 「抗議は一切受け付けません。大人しく聞いていなさい。結論から言います。本来であれば、君には当学園への入学資格がありません。学力不足です」 「な、なんでだよ! 差別だ!!」 「学力が不足していて困るのは君たち学生側の方なんですけどね。学校の授業、聞いていても分からないんじゃないですか? 求められる学力を満たした生徒に向けたレベルの授業をしていますから、基礎能力が不足すれば理解が追い付かないのも当然のことです。学力による(ふるい)はちゃんと意味があるんですよ」  分かりやすく噛み砕いて説明する内容に、俺などは随分と親切だとまで感想をいだくのだが、当の本人はそれでも説明された内容に理解が追い付かないようで表情が困惑を如実に示している。  人の言葉を聞き入れない、幼い子どもなら誉められるが高校生レベルでは幼稚すぎる言動基準を頑なに固持している、それは、そもそも人の言葉を理解する力が不足していているのかもしれない。  ということは、まずは国語からか。現代文、ではなく、小学生が習う国語のレベルをおさらいするところから必要かもしれない。 「難しいですか? 今の説明が難しいと感じるなら、もっと君のレベルにあった説明をしてくれる教師に習うべきです。この学園の学力レベルはそもそもここまで詳しく噛み砕くこともなく『学力不足』の一言で理解できる生徒を対象にしているんですよ。君はこの学園で勉学に励むのに相応しい生徒ですか?」  皮肉っぽいとも、オブラートに包みすぎとも、立場によって感じかたが分かれそうな説明を加えて、要は自分のバカさ加減を理解しろ、と突きつけている。  これはさすがに理解できたらしい能代は、ようやく珍しく問いかけに対して押し黙った。  静かになった能代に満足そうに頷いて、柚栖はようやく本題に入る。 「とはいえ、正式な入学手続きを既に終えているので君も今現在学園の生徒であることにかわりはありません。そこで、君も学園の生徒として恥ずかしくないレベルに成長して卒業してもらえるように、特別にカリキュラムを設定することになりました」 「特別……?」 「本来、病気や怪我などで教室で授業を受けることが困難な学生を対象に制度として用意されている個別指導過程を適用します」 「お、俺は病気じゃな……」 「分かってますよ。でも、教室で授業を受けることが困難であることは変わりない。噛み砕くと、特別に先生と一対一で授業を受けられるようにするのでちゃんと卒業してください、ということですよ」  ここまで簡単な言葉に訳して説明されればさすがに理解できた能代が、パアッと表情を普段の快活さに戻して顔を上げた。 「だったら俺、ハスミが良い!!」 「蓮見先生はダメです。D組担任の上に生徒会と風紀委員会と両方を見ていただいていますので、これ以上の負担はお願い出来ません。学内で一番多忙な先生ですよ」  いや、風紀の方は本来の顧問がサボってるからフォローに回っているだけで完全に成り行きだけどな。 「そんなに忙しそうじゃないぞ!? いつもサボってるし!!」 「サボってねぇよ、アホたれ。いつも忙しいところに邪魔しに現れてるくせに何見てんだ」 「優之介が言ってたぞ! ハスミがいつもサボってて仕事溜めるから迷惑だって!!」 「……優之介?」 「御薗優之介。副会長だ。あの野郎、自分のサボりの口実に口から出任せをベラベラと……」  名前では誰の事か分からず首を傾げた柚栖に補足して、序でに愚痴も出る。  そういえば、飛鳥が昨日ぼやいてたな。御薗はもうダメかもしれん、と。保身のための嘘に嘘を重ねて虚言癖を疑うレベルに堕ちているらしい。  アイツもそろそろ以前の真面目な副会長に戻してやらなくちゃいけないんだが。まずは能代から引き離すところからか。 「君を担当する先生は担任の芳沢先生にお願いしました。今日午後からお願いしてありますので、急いで食事を済ませてください」 「うえっ!? あと10分しかないじゃん!!」 「君が呼び出しに応じず無駄話ばかりしているから時間がなくなったんですよ。わかったらさっさと食べなさい。時間が勿体無い」  それから、柚栖の弁当は後で食べるからと執務机に下げ、能代の今後のスケジュールを説明し始めた。  毎日の時間割りは能代が所属する2年A組のものをそのまま利用、授業内容は能代が落ちこぼれた時点から高校卒業相当の基礎学習、体育はクラスと一緒に受ける、芸術授業の時間はちょうど俺が空き時間だったので道徳相当の授業に振替え、理科選択は地学を除く3科目の基礎学習で時間が終わってしまうだろうから選択の余地なし、古文漢文は芳沢先生が理系脳のため匙を投げられたのでクラスで一緒に受けてもらうことになった。  別に難しい取り決めはない。基礎学習の復習で単位は与えるから卒業しろ、というだけのことだ。  こんな特別待遇は前代未聞なのだが。D組の主に赤点常連者には羨まれるだろうな。夕方のホームルームにでも伝達しておこう。他の学年のD組担任にもお願いしておかなければ。  ポロポロと食いこぼすくせに時間のかかる食事中に予礼が鳴ってしまい、後のことは柚栖に任せて先に理事長室を出る。  せっかく立ち会ったから能代を送り届けるくらいは引き受けるつもりだったのだが、俺が次の仕事に間に合わなくなるわけにもいかず。  代わりには心許ないが、芳沢先生に迎えに来てくれるように頼んでおいたから、柚栖にかかる面倒も多少軽減されるだろう。  されると良いんだがな。

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