28 / 30

番外編)拝啓、天国の君へ

 高校を卒業後、俺は真っ赤に染めていた髪を坊主頭近くまでバッサリ切り落とし、そのまま調理師学校へ進んだ。  割烹料理店の一人息子だったアイツはそのくせ料理センスが死滅していて、俺は外で稼いでくるから店は頼むよ、なんて口約束をしていたんだ。  今思えば、あの頃から惚れていたのかも知れない。  クラスが変わって疎遠になっても時々は互いに顔を見にわざわざ出向いたし、未だにアイツとの約束を引きずっているし。  地元に近い調理師学校に通う傍ら、授業のない時間はアイツの実家である割烹料理店でアルバイトをさせてもらっている。  息子と親友だったと知っているご両親は、だからこそアイツの代わりを申し出る俺に強く反対していたけれど、アイツとは関係なく料理人の道に進みたいからという理由を全面的に主張したら折れてくれ、半年経った今では息子同然の扱いをしてもらっていた。  忘れることは、諦めた。  諦めた途端に肩の荷が下りたようにアイツのことを自然に思い出せるようになったのは、我ながら現金だと思うんだがな。  葬式以来近寄れなかったアイツの位牌にも手を合わせられるようになったのは、嬉しかったな。  やっぱり、不義理は良くない。  墓参りも、実は初めてだ。  今年はカレンダーの巡りが良く、アイツの命日が土曜日に当たっていた。おかげで学校もないし、バイト先は法事のため休みだから、アイツとゆっくり話ができる。  お供えの花と線香と、俺特製の弁当とお茶のペットボトルとビニールシートにレジャー用の折り畳み椅子。これだけの大荷物で現れた俺に、アイツは墓の中で大爆笑だろう。 「よぉ、フミ。久しぶり」  返答もないのは当たり前で、だから俺も気にしない。  朝早くにご家族は墓参りを済ませていたようで、墓の周りは綺麗に片付いている。燃え尽きた線香の灰と蓋が締まったままの飲み物、それと供えられた花が残されていた。  お参りに行きたいのだが、墓の前に供え物を置いて戻っても良いのかと聞いたところ、来週の定休日に片付けるから腐るもの以外なら良いと許可をもらっていて。  つまり、弁当は持ち帰りだ。家の庭で荼毘にしよう。 「だいぶ待たせて悪かったな。土産話を沢山持ってきたぞ。王道学園の話だ。付き合ってくれるよな」  花を空いているところに供えて、線香に火を付ける。  それから、ビニールシートを広げて100円で買えた小さな重箱を2つ出した。ひとつは俺の分、ひとつはアイツの分。  ペットボトルも当然2つで、自分用に出した椅子に腰を下ろし、アイツの弁当の横に立てたペットボトルにもうひとつをこつりとぶつけた。 「はい、乾杯っと」  まだ未成年だから酒は飲めないが、そこは来年のお楽しみだ。  その時もコイツに付き合ってもらおうと思う。  弁当箱の中身はおにぎりに玉子焼きやら唐揚げやらと極めてシンプル。アイツが好物だった店のつくねは親父さんに特別に教えてもらったレシピで作ってみた。  喜んでくれると良いんだがな。 「うん、旨い」  味見ももちろんしたけどな。やっぱり旨い。  そんなことより話を聞かせろ、と急かされている気がして、自分の妄想に苦笑も漏れる。 「分かった分かった。そう急かすなよ」  そもそも、進学先を王道学園にしたこともコイツには伝えていなかったから、話はそこからだ。  アイツがイジメにあっていたことをようやく知ったのは、アイツが学校の屋上から身を投げたのが発見されてからだった。  最近会わないなぁ、なんて呑気に思っていた矢先だった。  身体には無数のアザが残されていて、無人になった教室の机はごみが詰め込まれ、教科書はページが破りとられてテープで修繕されていて、親の財布や店のレジは度々万単位で会計が合わず。  イジメの証拠はこんなに出揃っているのに、教師たちは「気付かなかった」と口を揃えた。  イジメの首謀者はクラスでは発言権の強い人気者だった。何が理由だったのか、おふざけの一環で勝手に開いたアイツの鞄からアイツの趣味が如実に表れた文庫本を発見し、気持ち悪いと罵りだしたのがそのキッカケだったそうだ。  確かにこんなものに夢中になる変なヤツは少数派だが、誰に迷惑をかけているわけでもなし、わざわざ出向いていって罵声を浴びせかけ暴行を加える意味が分からない。  てか、その程度で起こした暴力を正当化するなら、もっと割合の多い痴漢とか不倫とかSMとかも当然同じように対応するんだろうな、と問い質してやりたい。  ちなみにそれらの本は、図書室に入り浸る腐仲間の女子から借りたものを返すために持ってきていたものだったらしい。  彼女もまた別のクラスのヤツで、あれがキッカケだったなら私のせいだ、と泣いていた。俺はその時慰めてやる言葉が出せなかったが、もう引きずっていなければ良いな、とは思う。  その事件があってから、俺は思いっきりグレた。  首謀者および共犯者どもは揃って成績優秀品行方正の人気者と評価が高い上に、問題が発覚しても評価は下がらなかったんだ。見て見ぬふりをしていた同クラスのヤツらも、互いに自分は悪くないと逃げ腰で庇い合うばかり。教師は教師で責任逃れに夢中だ。  世の中こんな連中で構成されているのかと思えば、真面目に生きるのがバカらしくなるというものだろう。  ちなみに、イジメ問題として世間を騒がせたものの罪に問われることにならなかった首謀者どもは、俺が直接叩きのめした。  イジメが暴行罪にならないのと同じように、校内暴力も罪に問われない。むしろ、俺に暴行罪を適用するならコイツらも同罪だ、と糾弾してやりたかったのにな。残念だ。  事情が事情だけに、だったのか。うちの家族には俺の行動も全く咎められることなく、まぁ苦言は出されたが、そっと見守られていた。  見守ってくれた家族には感謝の一念だ。  とはいえ、すぐに高校受験と卒業を控えていた身で、自分の進路から目をそらすこともできず。  ともかくあの事件の関係者から離れたかった俺が選んだのが、アイツの憧れだった王道学園だった。  ここに行きたいんだけど全寮制だから親に反対されててね、とパンフレットを見せられていたのを思い出したんだ。 「入ってみて驚いたぜ。王道学園って本当にあるんだな。疑ってて悪かったよ」  全寮制の男子校で、幼稚園から大学までのエスカレーター、所属する生徒は良家のお坊っちゃまばかり。生徒会は抱きたい抱かれたいランキングで選ばれ、人気者には親衛隊がいて、抜け駆けには制裁がある。同性でカップル誕生も当たり前扱いだ。  入学して最初の1ヶ月ほどは驚きの連続だった。こんな腐った趣味のヤツらの夢と妄想が詰め込まれた学校が本当にあるなんて、信じられなかったな。  まぁ、驚きも過ぎればスルーできるようになるわけだが。  その頃には、タバコ仲間だったクラスメイトが30人相手の大立ち回りを見咎められてD組落ちしていて、学内の不良グループ側で天下取るのを手伝って欲しいと誘われて。  A組のお坊っちゃまたちがあのイジメの首謀者どもを彷彿とさせて嫌気がさしていた俺は、誘いに乗った。 「あれは英断だったと今でも思うぜ。おかげで、蓮見先生に出会えた」  あの人は、教師として、人間として、信頼できる先生だ。  あの人のおかげで、人間も捨てたもんじゃないとまた思えるようになった。  決定的だったのはやはり能代の件だろう。 「お前、作り話相手にぎゃあぎゃあ怒ってたろ。能代はそのアンチ王道を地で行ってたぜ。実在するもんだなぁ、あんなのも」  楽しそうに話すアイツの話を当時は右から左に聞き流していたものだが、それがまさかあんなに役に立つとは思わなかった。  風紀は俺が発信源となって対策を打ったわけだが、崩れた生徒会を立て直したのは蓮見先生で、その参謀として色々と入れ知恵した志雄さんの功績は計り知れない。 「総長×腐男子なんてお前、大好物だろう? そのうちふたりとも連れてきてやるな。志雄さんなら、お前も話が合うと思うぞ。あんなハイテンション腐男子はお前以来だった」  いや、むしろさらに強烈って噂もあるが。  放課後補習の先生役でわざわざ2年に教えに来てくれた志雄さんは、総長日達の恋人ってこともあって俺たちにとっても身近な人だ。  何の因果か出会ったのが遅かったから、1年程度の付き合いなのが惜しいよな。 「お前が生きているうちに引き合わせてやりたかったよな」  いや、今も生きていたならあの学園に入ったのは俺じゃなくてアイツだっただろうが。  だとしたら、さらにパワーアップして戻ってきたかも知れない。それはそれでどうなのかと。  まぁ、だからといってアイツを捨てる選択肢は俺には無いけどな。 「なぁ。今更だけどさ」  もう、お前はここにいないんだけどさ。 「フミ。俺はお前に惚れてたみたいだ」  他の誰にも心が動かない。  アイツを亡くして凍りついた心は、学園で出会った人たちによって社会生活できる程度には溶けたようだが。  アイツほど俺の懐深くに入り込めるヤツはまだ現れてはいないんだ。  あれだけ濃いメンツが揃った学園でもいない相手が、今後見つけられるとは到底思えないんだよな。 「返事は俺がそっち行ってから聞くよ」  だから、それまでは。  どうか安らかに。 「すぐには行けそうにもねぇ。うちとフミのとこと、両方とも親孝行しなくちゃいけないしな。だから、ゆっくり寝て待っててくれ」  なに。  寝てりゃすぐさ。 「あぁ、もうこんな時間か」  いつのまにか、空は真っ赤に焼け焦げていて、白っぽい墓石が赤く彩られていて。  手付かずのアイツ用の重箱に空になった俺の重箱を重ねて纏めて風呂敷で包み、とっくに燃え尽きていた線香の灰に飲み残したお茶を溢して火の気を消して。  花とペットボトルはそのまま供えて、ビニールシートと椅子を片付ければ帰りの準備も完了だ。 「あぁ、そうだ。来年は二十歳になってるだろ? 一緒に酒飲もうぜ。それまで初飲酒はとっとくからよ」  来年の予定が立てば、それはそのまま来年の楽しみにもなって。  そうして毎年、命日デートをするのも悪くないだろう。 「じゃあな。また来るよ」  去りがたくて立ち尽くして。  それでもどんどん暗くなっていく墓地に急かされ、ようやく墓に背を向ける。  帰ったら庭で小さな焚き火を作らなくちゃいけないしな。  また来いよ。  そんな風に送り出す声が聞こえた気がして、俺は背を向けたまま空いた片手をヒラヒラと振った。

ともだちにシェアしよう!