8 / 11
気づいた恋心。
★
「っひ、ふえっ……」
ルーファスは信用できる。彼なら自分に何も危害を加えない。
母親や父親のように自分を捨てたりしない。
そう思っていたのに……。
ルーファスは自分が悪魔だと言い、王子のように万里を組み敷いた。
裏切られ、すっかり打ちのめされてしまった万里はルーファスから逃げ出し、気がつけば、あの傲慢王子がいる、要塞ヘルムまで走っていた。
万里の心は、もうずたずたに引き裂かれていた。
裏切られた悲しみと、そして自分はやはりひとりきりなのだと知った絶望。
涙が込み上げ、頬を濡らす。
泣き声も殺すことができないほど心が散り散りに乱れる。
涙で視界が揺れて何も見えない。
万里の足は、地中深くに根付いている木々の、剥き出しになった根に捕らわれた。
華奢な身体が無様に大地へと打ち付けられる。
裏切られた心も、そして勢いよく地面に衝突した身体も痛い。
「っひ、っうえっ……」
万里はすべてに打ちひしがれ、そのまま大地に突っ伏し、ただただむせび泣いた。
「救世主! 見つけたぞ!!」
いったいどれくらいの間、万里はそうして地面に突っ伏し、泣いていただろうか。聞き覚えのない男たちの声が万里の耳についた。
もういい加減、放っておいてほしい。
今は何もかもを忘れ、泣きたい。
しかし万里の願いは届かず、突然身柄を拘束された。
目の前に現れたのは忘れもしない、あのガルト国の王子だ。
相変わらず口元にいやな笑みをうっすらと浮かべ、立っていた。
「貴様、まだ魔王を殺せていないのだろう。役立たずが! こうなったら身体で思い知らせてやる。おい、お前たち、救世主をしっかり押さえつけていろよ?」
王子はそう言うと、万里へと手を伸ばし、シャツをめくり上げた。
彼のねっとりとした唇の感触が、万里の柔肌に触れる。
その感触が気持ち悪い。
万里は拘束から逃れようと必死に身体をひねる。しかし、日頃から鍛え上げられた兵士数人に抑えられては為す術がない。
「やっ!!」
ルーファスに触れられた時とは違う嫌悪感が万里の心を覆う。
好きでもない人に抱かれたくない。
そう思った時、万里の脳裏に過ぎったのは凛々しい漆黒の王、ルーファスの姿だった。
ルーファスが自分を組み敷いた時はこのような嫌悪感はなかった。
あの時は、ただ恐かっただけだ。
万里の身体が震えたのは、今まで見たことのなかったルーファスの熱が隠った眼差しが恐かったのと、ほんの少しの切望――……。
今まで感じたことのない内に秘めていた炎が万里の中に宿ったのに気がついたからだ。
炎の正体は知っている――それは欲望。万里のみぞおちが熱を持っていたことでわかる。
ルーファスの強い視線に――感覚に――万里の心が震えたのだ。
(ああ、どうしよう。ぼく、ルーファスのことが好きなんだ……)
ルーファスの唇に触れたのも、もっと彼に近づきたいと思ったのも、すべては恋心があったからだ。
知らされた恋心に気づいた今はもう遅い。
万里はルーファスの手を振り払い、逃げてしまった。
それに彼は出て行けとそう言った。おそらくは万里を煩わしいと思ったに違いない。
万里はこれまで、生きていくのに必死で誰かに恋をしたことがなかった。それがいけなかったのだ。しかも相手はあろうことか自分と同性だ。芽生えた恋心に気づく筈がない。
もっと早くに気がつけばよかった。
恋というものを知っていさえすれば、こんなに悲しい思いはしなかったかもしれない。
それでも、万里はルーファスの手を振り払ってしまったことを悔やんだ。
「ルー、ファス……」
彼の名を呼んでも、助けに来てくれないことはもう知っている。
万里は赤い唇を噛みしめた。
「さあ、快楽を与えてやろう。お前たち、しっかり救世主を押さえていろよ?」
王子の身体を撫でる手が下りて行き、万里の太腿をなぞった。
覚悟した万里は目を閉ざす。
だが思ってもみない方向から、反発の声が聞こえた。
「いやだね。俺たちはもうこんな茶番に付き合いたくはない」
それは王子の兵士だ。ひとりがそう言うと、万里から手を放した。
するとまた別の兵士も万里を解放する。
「おい!!」
「救世主様、俺たちは別に魔王にこの地を渡してもかまわないんだ」
「そうさ! いっそのこと、この国は新しくなればいいんだ」
その声は広がり、彼らは手にしていた武器を大地に置いた。
「お、お前たち。いったい何を!?」
「出て行け! おまえなんか王子でもなんでもない! コキ使われるのはまっぴらだ。俺たちはもう自由になるんだ!!」
兵士たちは王子を囲んだ。
「救世主、頼む。魔王を殺さないでくれ! というか、実は俺たち、別に彼が存在してもいいと思っている」
「……え?」
「ぶっちゃけちまうと、魔王が好きなんだ。俺らはただ、こいつら――ガルト国の王族に脅されてたんだ……」
「行け、それで俺たちが降伏したことを伝えてくれ」
「いいのか救世主! お前は一生この地で過ごすことになるんだぞ!!」
兵士たちに囲まれた王子は、最後の悪あがきを見せた。魔王を倒さねば向こうの世界に帰ることができないという選択肢で万里を追い詰める。
だが、万里の家庭は皆とは違う。
「……いいよ。平気」
両親は自分を捨てた。今さらあちらの世界に未練はない。
けれどこの世界からいなくなってしまえば、ルーファスとはもう二度と会えなくなるのだ。
この世界は次期に新しい世界になる。
……会いたい。ルーファスに会いたい。
両親のように自分を捨てるかもしれない。欲望の玩具にされるかもしれない。
それでも彼の傍にいたい。
万里はその思い一心に駆けた。
★気づいた恋心・完★
ともだちにシェアしよう!