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第11話 続・山田オッサン編【9】

 晴れ渡った爽やかな空だった。  その朝、山田と佐藤は一緒に家を出た。  駅に着き、改札を抜けたところで、知らないオネーチャンが彼らを見て笑顔になった。 「おはようございます」  山田はその胸元を見てサイズはC70と憶測し、次に顔を見てS&Pグローバル・レーティングの格付け定義で言うところのA+と判断し、その目線を追って隣に立つ同居人へと辿り、そこに対オンナ用の笑顔を確認して、このネーチャンを知らないのは自分だけらしいことを悟った。 「じゃあ、あとでなー」 「え? おい」  佐藤の声を背に、さっさと階段に向かう。  ホームに降りて歩いていると佐藤が追いついてきた。 「あれ、佐藤」 「なんだよ、お前」 「なんだって何が?」 「変な誤解すんなよ、何でもねぇから」 「別に誤解なんかしてねぇけど」 「こないだ目の前で定期落としたから拾って渡したら、次に会ったときから挨拶してくるようになったんだよ」 「それってさぁ、最初から狙って落としたんじゃねぇの?」  列の後ろに立ち、眠たげな目をホームドアのほうに向けたまま山田は言った。  その横顔を眺めて佐藤が口を開いたとき、電車が滑り込んできた。  で、ともかく2人して乗り込む。  彼らの後ろからも数人の客が詰め込まれ、気がついたら佐藤の脇にさっきのネーチャンが貼りついていた。 「──」  また会っちゃいましたね、とでも言いたげに佐藤を見上げる、はにかむような表情。  そのハート型の虹彩を縁取るマツエクのカーブを眺め、完璧なさりげなさで彩られたチークを眺め、女子の愛らしさを存分に引き立てる色艶の唇を眺めてから、山田は同居人のツラは見ずにじりじりと移動した。  佐藤は気づいただろうが、人口密度を慮ってか何も言わなかった。  そして数人挟んだポジションに山田が落ち着いたとき、あれ? と小さな声がした。  顔を上げると、こないだ目の前でスマホを落としたから拾ってやったリーマンの笑顔があった。 「こないだは、どうも」 「──」  視界の端に、こちらを見てる同居人の気配を感じる。が、敢えて目は向けない。 「憶えてます? スマホを拾ってもらったんですけど」 「あぁ、えぇ」 「すっごく助かりましたよ、ありがとうございました」 「そーすか、良かったっす」 「いつもこの時間なんですね」  親しげに話しかけてくるリーマンは、多分いくらか歳下。見上げる角度に馴染みがあるから、多分同居人と同じくらいの高さ。同性視点という条件を差し引いても、格付けはオネーチャンと同じくA+といったところか。 「はぁ、まぁ、そーっすね」 「こないだ、ちゃんとお礼言えなかったんで、また会えたらいいのになって思ってたんですよ」 「いや拾っただけなんで、ンな気にしてもらわなくていっすよ」  テキトーに受け流したとき、電車が急ブレーキをかけてGがかかり、乗客がみんな斜めになった。  ヨロけてブレた視界の隅でA+のオネーチャンが同居人の胸に飛び込み、それを見ながら山田はA+のオニーチャンの胸に飛び込んでいた。  ──なんだこの、安っぽい月9の連ドラみてぇな展開は?  ──てか同じA+でも、あっちはオンナで、ナンでこっちは野郎なんだよ? 「大丈夫ですか?」  山田を抱きとめたA+の手のひらが、ゆっくりと肩から背中へと滑る。  体勢を立て直したいのに、傾いた弾みで足場が失くなっていてうまく自立できない。 「悪ィ、ちょ……足場が」  言いかけて思った。てかコイツの足が邪魔だ。 「体重かけてて平気ですよ」  いやオレは平気じゃねぇから。山田は思い、ふと視線を巡らせて同居人の目とぶつかった。  その目の色を見て、その顎の下に密着するA+のオネーチャンの柔らかそうな髪を見て、山田は胸の裡で繰り返した。いやオレは平気じゃねぇから。  しかし否応なくオニーチャンと密着したままゴールを迎え、山田はようやく電車を降りた。幸い、オニーチャンはまだこの先まで乗るようでオサラバできた。  改札を抜けてほどなく、佐藤が追いついてきた。 「誰、アイツ」 「は?」 「トボけんなよ、電車のなかでピッタリ寄り添って喋ってたヤツだよ」 「お前こそ定期のオンナとピッタリ寄り添ってたじゃねぇか? てかあの野郎だって、こないだ目の前でスマホ落としたから拾って渡しただけだし」 「──」 「ナニそのツラ? パクリじゃねぇよ? マジで言ってっからな!」 「だとしたら、最初から狙って落としたんじゃねぇのかよ?」 「お前の定期もな」 「俺の定期じゃねぇ」 「揚げ足取んな、A+相手にデレデレしやがってよ」 「は? デレデレなんかしてねぇけど、A+って何だよ」 「格付け」  すると隣を歩く同居人は小さく鼻で笑った。 「スマホの野郎もA+。だからあいこだぜ、今日のところは」 「アイツがA+かよ?」 「そんなモンじゃねぇ?」 「じゃあ俺は何だよ?」 「AA+」 「AAAにはなんねぇのかよ」  言った佐藤を横目で見上げ、山田は放り出すように答えた。 「モテすぎると困るからいいんだよ、それぐれェでよ」

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