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第12話 続・山田オッサン編【10-1】
夜更けの住宅地の静けさを蹴破るような音がして、マンションの表にクルマが停まったようだった。
そのとき山田はちょうど風呂から出るところで、残業だという同居人はまだ帰ってなかった。
バスルームを出てパンイチでタオルを被ったままダイニングで煙草を吸っていると、玄関のほうで音がしてドアが開いた。
誰かが入ってくる気配に振り向くと妙なツラをした同居人がいて、
「──」
その背後の三和土に、見覚えのある人物が笑顔全開で立っていた。
「よぉ、久しぶりだな」
「か……」
ポカンと開いた山田の口から煙草が落ちそうになる。
「カーチャン……?」
その言葉に、佐藤が山田から珍客に目を戻した。
海水浴中の猫がサメに食われそうになってるフザけたイラストのTシャツに、クラッシュ加工された穴だらけの膝丈のデニム、足元はビルケンシュトックの白いサンダル。
小柄で細身、ショートカットで茶系のセルフレームのメガネをかけた少年みたいな年齢不詳の彼女は、
「──マジで母チャンなのか」
呟いた佐藤の背中を後ろからド突き、
「ほらな! 息子が言ってんだから間違いねぇだろ!」
何だかすごく楽しそうに大声で言い、部屋の中でパンイチのまま立ち尽くす咥え煙草の息子に向かって、
「あ、すぐ帰るから上がんないよ。マジですぐ帰るからね! たまたま近くを通りかかったからアンタの同棲生活でも覗いて行こうかと思ってさぁ、そしたらエントランスでイケてる野郎がオートロック開けてんじゃん? ピンポン鳴らしても良かったんだけど面倒くせぇから一緒に付いて入って、ついでに山田っての知らないか訊いたら同居人だっつーじゃん。話には聞いてたけどマジでこのイケメンが息子の彼氏かよって。だけどさぁアタシもビックリしたけど、アンタのカーチャンだって言ってんのに全然信じねぇの、このイケメン野郎も」
息子とよく似た勢いでまくし立てると、尻ポケットからスマホを引っぱり出して覗き、息つく間もなく言った。
「あ、もう行かないと」
「え、もうですか?」
佐藤が唖然として訊くと、マジで顔見に来ただけだからと山田母は答えて息子に顔を向けた。
「イチくん、煙草くんない? できれば箱ごと」
そばに立っていた佐藤が胸ポケットから箱を出した。
「あの、俺のでよければ持っていきますか」
「そう? 悪いね佐藤弘司くん」
「──」
「なぁに? フルネームくらい知ってるよ? 紫櫻からいろいろ聞かされてるからねー。10年連れ添ったウチの息子をアンタが去年、いっぺん捨てたことなんかも?」
「捨てたのは彼のほうだって、彼女にも言ってるんですけどね」
「イチくん、こう言ってるけどどうなの」
「えーと、この場合どう答えりゃいいのかわかんねぇよオレ」
「相変わらずハッキリしない子だねアンタは」
山田母は答えを待つ労をさっさと切り捨て、
「さて、これからジジイを拾ってデートだよ」
そう溜息を吐いて佐藤から奪った煙草を1本咥えた。佐藤がライターを取り出し、擦る。
礼を言ってひと口吸った母は、咥え煙草でスマホを尻ポケットに戻しながら紫煙を透かして佐藤を見据え、息子に目を移した。
「行く前にひとつ確認しとくけど」
「なんだよ?」
「ジジイんとこのバカ息子みたいなアレじゃないよな?」
「──」
山田が強張った表情で黙り込んだ。
ジジイんとこのバカ息子、それが誰を指すのかは佐藤にもわかる。
かつて山田を手前勝手な欲望の底に引き摺り下ろした腹違いの兄貴。母もそれは承知してるということだ。承知の上で、父親との関係は続いてる。
その複雑さにほんのちょっと気を取られながら佐藤は山田のツラを眺め、山田母のメガネの奥を眺めた。
その目が無言の息子からこちらへシフトする。
レンズの向こうから真実を見極めようとする眼差しは恰も照準器を覗くスナイパーのそれのようで、彼女の外観に不釣り合いなほど鋭利な静寂を宿していた。
なるほど、通りかかったというのは事実かもしれない。でも確かめるのが狙いで来たのだとわかった。
佐藤はダイニングのテーブルから灰皿を持ってきて山田母のそば──靴箱の上に置くと、その場で口を開いた。
「ご心配なく……といっても、こんな関係になってる時点で弁解のしようはないんですが」
山田母が小さく頷き、目で先を促す。
一切のごまかしを許さないその色合いをまっすぐ受けとめ、佐藤は続けた。
「息子さんを愛してます。決して傷つけたりはしません」
言い終えるや否や、ダイニングのほうから「ぅあっちィ!!」と叫び声が聞こえて玄関の2人はそちらに目を遣り、山田息子が煙草でどこかを焼いたらしいことを視認して目線を戻した。
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