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第13話 続・山田オッサン編【10-2】#

「愛と執着は紙一重だぜ?」  一応補足すると、これは山田母のセリフ。  が、茶化して言ってるわけじゃないのは、訪問の意図から容易に察することができる。執着が息子に齎した悲劇を彼女は知ってる。 「区別できてるつもりです」 「つもりか。正直だね」  靴箱の上の灰皿に灰を落として、母が満足げに鼻で笑った。 「よし、今日のとこはいいだろ。帰るからねイチくん!」 「帰れよ!」  ダイニングで相変わらずパンイチのまま立っている息子を上から下まで眺め、 「赤いパンツなんか穿くな、還暦か! アタシだってまだ穿かねぇよ」  じつに楽しげな笑顔で言った母は、じゃあなと煙草を咥えて玄関から出て行った。  佐藤が慌ててドアを開けたが、見送りはいらねぇよ! と背を向けたまま声を上げて、まっすぐ廊下を歩いて行く。  何だか夢でも見ていたような気分で佐藤がドアを閉め、首を振りながら室内に戻ると、肩にタオルをかけたパンイチの山田がぼんやりした風情で立っていた。 「山……」  言いかけたとき、屋外から低い排気音が轟いて口を閉ざした。  さっきエントランス前に4本出しマフラーの赤いBRZが停まってたが、山田母のクルマだったんだろうか。  ──アレでジジイとデートか?  赤いパンツは穿かなくとも、真っ赤なスポーツカーは履くらしい。  MT車らしきエンジン音が遠ざかるのを何となく待ってから、佐藤は改めて同居人を呼んだ。 「山田」 「あぁ……?」 「前に妹が言ってた通りの母チャンだな」 「はぁ……そう?」  気の抜けたような返事しか寄越さない山田は、短くなった煙草を咥えたまま佐藤を見ようとしない。 「山田? そういやお前、どっか火傷したんじゃねぇか?」  佐藤が言って手を伸ばした途端、山田が弾かれたようにビクリと震えた。 「──あ」 「おい……山田?」  ひょっとして経産省の話なんかが出てきたせいで、不安定になってるんじゃないか。  肩を掴んでこちらを向かせると、山田は佐藤の視線から逃れるように顔を伏せた。 「お前、大丈夫か」 「何が」 「何がって、だから火傷とか」  経産省のことは言葉にするのを躊躇った。  佐藤が言いあぐねて沈黙すると、ンなのは平気だけど……と山田が呟いて燃え尽きそうな煙草をようやく捨てた。 「じゃあ何だよ」 「だって佐藤お前──カーチャンになんつー口から出まかせを」  山田は言って、狼狽したようなツラをさぁっと染めた。  それでようやく合点がいった。ぼんやりしてたのは経産省が原因じゃなく、佐藤が山田母に宣誓した言葉のせいか。  パンツと同じくらい赤くなった顔面を眺め、佐藤は唇を斜めにして笑った。 「出まかせってどれのことだよ?」 「だから……」 「お前を愛してるっつーアレか?」  ますます色濃くなる頬を見ながら、佐藤は山田の箱から煙草を抜いて咥えた。 「何がでまかせだよ、本心を言ったまでじゃねぇか。それよりお前こそ、何で母チャンの質問に答えなかったんだよ?」 「──だって腹立って」 「は? 何に」 「──だって、お前の前であんなヤツのことなんか持ち出しやがってさぁ……お前にはもう、そのハナシは忘れて欲しいぐらいなのによ」  山田は顔を俯けたままボソボソ漏らす。  佐藤は煙草に火を点け、煙を吐いた。経産省については、その名が佐藤に与える影響を心配しただけということか。  つまり山田は佐藤を慮って腹を立て、佐藤の言葉に照れて上の空になったと、そういうわけなのか?  安堵とともにニヤニヤ笑いも込み上げてきて、ついつい頬が弛む。 「忘れねぇよ、言っただろ? お前の荷物を半分背負うってな」  荷物を忘れてどうするよ──佐藤は言って唇に煙草を挟み、染まったツラと同じ色のパンツに包まれた尻を、両手で恭しく抱き寄せた。     「しかし、さすがお前の母チャンっつーか何つーか、すげぇな」  佐藤の声に、そうか? と煙を吐きながら山田が目を寄越した。  ベッドに俯せに横たわる身体は、今はもう還暦色のパンツ一枚すら纏っていない。 「いくつだよ? アレで」 「さぁ、56とか7とか、そんくらいじゃねぇ?」 「若ぇな。てかそんなトシにも見えねぇけど、まぁそりゃ還暦パンツも穿かねぇはずだ」  ベッドの縁に座った佐藤は、そういえば赤いパンツはどこに落として来たっけと考え、ダイニングの床に放ってきたのを思い出し、山田の剥き出しの尻に手のひらを這わせた。 「お前は何も穿いてねぇのが一番合ってるけどな」 「穿かずにスーツ着て出勤すっか? 今度」 「いいな、それ」 「するかよヘンタイ」  笑った山田のツラを見て、母チャンの笑顔と似てるなとふと思い、ジジイと称された山田の親父が彼女に抱く愛情が理解できたような気がして、でも速やかにそれらを意識の外に追い遣った。  交錯するそれぞれの思いを足し引きするのは複雑すぎるし、少なくとも佐藤がどうこう考えることじゃない。  大事なのはひとつ。  目の前のこの、かったるくも平穏な笑顔を枯れさせない。それだけだ。 「山田──」 「うん?」  上体を屈めて、見上げる山田に顔を近づける。  口から出まかせだろうが何だろうが、好きに言えばいい。  肚の裡にある感情やら覚悟やら、何もかもみんな引っ括めて一番ストレートに表現できるそのひとことを、佐藤は同居人の耳に押し込んだ。

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