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第16話 続・山田オッサン編【13】

 残業ですっかり遅くなり、気がついたら誰もいなくなっていた。  山田はひとつ伸びをして立ち上がり、ひと気のないフロアをブラブラ歩いて喫煙ルームにやってきた。  煙草を咥えて火を点けたところで人影が現れた。知らない顔だ。 「おつかれさまです」  イントネーションが若干、関西風。大阪支社から来てるヤツだろうか。首から提げた名札は胸ポケットに入ってる。  どこの課の誰だかもわからない野郎は、どことなく元後輩を思わせるタイプだった。ただし年齢はイマイチ不詳。山田よりいくらか上かもしれないし、逆に鈴木くらい若いかもしれないという曖昧な印象だ。  ともかく誰だかサッパリわからないけど、面倒だから尋ねることもせず挨拶を返した。 「おつかれさまっす」 「残業ですか?」 「えぇまぁ、そうっす」  誰だかサッパリわからないから適当に敬語にしておく。  ていうか残業じゃなかったら、こんな時間にいるはずねぇだろ。思ったが口には出さなかった。  誰だかわからない野郎は山田の隣に立ち、煙草に火を点けて煙を吐いた。 「営業一課の佐藤係長と同居してるんですよね?」 「は?」  山田は野郎のツラを見たが、やっぱり誰だかわからない。が、やっぱり面倒だからオマエは誰だとは訊かなかった。代わりに言った。 「佐藤の知り合い?」  適当な敬語は早くもどっかへ消えてしまった。が、面倒だからもういいやと思ったし、野郎も気にする風情はまるでなく、 「いえ?」  とアッサリ答えた。  それにしたって、誰だかわからず佐藤の知り合いでもないとなれば、もはや質問の意図はサッパリわからない。だから訊いた。 「同居してるけど何?」 「じつは同居じゃなく同棲ってホントなんですか?」 「アイツも俺も男だぜ?」 「でもみんな言ってますよ?」 「みんなって誰だよ?」 「みんなです」 「──」  どこかで聞いたような会話だと思ったが、いつどこで聞いたのか思い出せなかったから考えるのはやめた。代わりに言った。 「もしかして佐藤ファンとか? じつは長年アツイ視線を送り続けてるのにちっとも気づいてもらえねぇとか? 前はずっと俺が同居しててホモだ何だってウワサだったし? そんでやっと同棲解消してチャンス到来と思ったはいいけどグズグズしてる間にまた俺と住みはじめたとか聞いて、こりゃもう俺を殺して奪うしかねぇってとこまで思いつめて、こんな時間まで残業してひとりで一服しにくるような機会を今か今かと待ち侘びてたとか? 言っとくけどな、ホモじゃねぇから。あーでも安心しろとは言えねぇよな、佐藤がホモだっつーほうがアンタは嬉しいのかもしんねぇ。けどアイツはオネーチャン大好きなんだぜ残念ながら。だから俺を殺したって何の解決にもなんねぇ。な、悪いことは言わねぇから考え直せ」  長いセリフを表情も変えずに聞いていた誰だかわからない野郎は、山田がようやく口を噤むと煙草を捨て、その手で山田の顎を掴んで躊躇いもなく唇を重ねてきた。  ──はぁ?  呆気にとられる山田を壁に押しつけ、唇の隙間を割って舌を入れてくる。  生ぬるい異物に口の中を犯されながら、山田は思った。俺のいまの大作、意味なくねぇ? 「てか、ちょっ……」  後頭部を壁に押しつけられつつギュウッと腰を抱かれ、気がついたらコッテリ濃厚なキスに付き合わされていて、角度が変わる合間に制止しかけた声もすぐに再び塞がれ吸い取られてしまう。  ──いやいや、コレはヤベェだろ!  山田はふと指先を焦がしそうな熱に気づき、そこに挟んだままの煙草を思い出し、ソイツを野郎の首筋めがけて押し付けた。 「!」  途端に、誰だかわからない野郎は首を押さえて弾かれたように離れた。 「ナニやってんだよ!? 俺の唇に貞操帯はついてねぇんだぜ、何故なら煙草を吸うからな! その無防備な突破口を狙うとはずいぶん卑怯な真似してくれんじゃねぇか!」  解放された山田は煙草を捨てて腹立たしく喚き、 「俺の! 唇は! ウチの同居人のモンだ!」  憶えとけよ! と野郎に指を突きつけ、腹立たしく喫煙ルームを後にした。  そして腹立たしく帰り支度をして腹立たしく会社を出てから、山田はハッと我に返った。  もしかして、なんかマズイこと言ったか? オレ? 「──」  立ち止まって考えたが、まぁ言ってしまったものは仕方ない。そう思い直して再び歩き出す。  それにしても誰だったのか、マジでサッパリわからなかったなぁ。

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