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第22話 続・山田オッサン編【19】
「あー眠ィ、マジで眠ィ、今週もう仕事したくねぇ」
「山田お前、まだ今週のスタート地点に立ったとこだぜ? 俺ら」
出勤直後の喫煙ルーム。
月曜の朝イチから優雅に嗜好品を堪能する佐藤と山田に加え、喫煙しない田中も何故かいて、喫煙しない上に鈴木もいないのに何故か本田までいた。
「でもわかる、俺もマジ超眠ィもん」
山田と同じくらい眠たげな目をした子育て中の田中が缶コーヒーを傾けたとき、新人らしき部下が呼びに来た。
「田中さん、そろそろ出るそうです」
「あぁ、わかった」
溜息を吐いてヒップバーから腰を上げた田中に、咥え煙草の佐藤が言った。
「月曜の朝イチからご苦労なこったな」
「いま呼びに来たヤツ連れて、課長と俺と3人でちょっと行くとこあって」
それを聞いた佐藤が無言で田中の顔を見て、山田が煙草を持つ右手の小指を鼻に突っ込み、本田が口を開いた。
「田中さんとこの課長って、あの……」
言いかけた乙女ゲー王子の目が、喫煙ルームのガラス張りの入口に流れた。
つられたように係長2人が視線を追って、最後に万年ヒラの山田が鼻に小指を突っ込んだままそっちを見た。
「──」
元後輩タイプの野郎が入口の向こうに立っていて、その手が田中係長を促すようにガラスを軽くノックした。
「じゃあ行ってくっから」
「あぁ」
どこか微妙なニュアンス漂う田中と佐藤のやり取りの横で、硬直して動かない山田を本田が不安げに窺っていた。
「山田さん、大丈夫ですか?」
本田が訊くと同時に田中が入口を開け、その僅かな隙に企画課の某課長のソツのない笑みが営業一課佐藤係長を掠めたのち、一番奥の営業二課ヒラ社員山田に向いた。
「どうも、こないだは失礼しました。謝ろうと思ってたんですけど、なかなかタイミングがなくて」
田中佐藤本田の目が一斉に山田を見た。
立ち尽くす山田の鼻には依然として小指が刺さっていて、人差し指と中指に挟まる煙草がそろそろ指を焦がしそうだった。
「また近々、改めますね」
そう言い残し、何か言いたげなツラの田中とともに課長が消えると、佐藤が手を伸ばして山田の指から煙草をつまみ取った。
それを灰皿に捨て、佐藤はおもむろに言った。
「こないだって何のことだ?」
「──は?」
訊き返した山田が、ようやく鼻から小指を抜く。
「てかアレ誰?」
「田中んとこの課長」
「え、あんなんだっけ?」
「春からだよ。大阪帰り」
「あーそーなんだ」
「で、何なんだよ?」
「は? ナニが?」
間抜けヅラでシラを切る山田先輩と不穏な気配を纏いはじめた佐藤係長の間を王子の目が往復したとき、鈴木係長がやってきた。
「今そこで田中さんと例の──あれ、何すか?」
先輩2人のただならぬ様子に気づいた鈴木を、本田が慌てたように押し遣った。
「い、今ちょっと」
「え、何? 本田くん、ちょっと腰とか触んないでくんない」
「いいから鈴木さん、ね。僕ともっといいとこ行きましょうよ」
「はぁ何言ってんの?」
そんなやり取りとともに後輩たちは出て行き、それを眺めていた先輩たちのうち、係長のほうが目を戻した。
「──で?」
「でって何が?」
「田中んとこの課長が、お前にどんな失礼をやらかしたんだよ?」
「いや別に、大したことじゃねーよ」
「大したことじゃねぇならサクッと説明できんだろうが」
佐藤係長のツラに殺気が漲り始める。
ヒラ山田は気づかないフリで目を逸らした。
「てか、例のって何?」
「あぁ? 何が」
「いま鈴木が言ってたじゃねぇか、田中と例のって? そういや本田もさっき何か言いかけたみてぇだけど、お前ら何のネタ隠し持ってんの?」
「別に隠しちゃいねぇよ。田中んとこの課長がお前を狙ってるって情報を鈴木が持ってただけだ」
「はぁ? 何ソレ知らねぇしオレ。てか狙うとかおかしいんじゃねぇ? オマエら。俺もヤツもバリバリのオッサンだぜ?」
言いながら煙草を取り出す山田に佐藤が目を眇めた。
「俺もオッサンだけど、それが何だ?」
「や、ソレはだってまださぁ、お前が初めて俺にサカッた頃は若さ溢れるピチピチの好青年だったじゃん? 俺だって。だけど今はさぁ、そろそろ加齢臭対策を始めなきゃいけねぇようなサンオツだぜ。そっから入ってくんのってどうよ?」
「どうもこうも知るかよ」
佐藤はひとことで片づけ、煙草を捨てると山田の脇の壁に手を就いた。
「ンなこた関係ねぇだろうが、お前がオッサンらを吸い寄せてんのは事実なんだからよ。一体いつになったら野郎を引っかけなくなるんだ、え?」
「あァ? 俺こそ知るかよ、ンなコト。残業で遅くなってヤサグレてるときにドコの誰だか知らねぇ野郎が喫煙所にやってきてイキナリ唇奪う理由なんかよ、知るかっつーの!」
「──」
「俺は! ただフツーに! 毎日をのらりくらりと生きてるだけだからな、言っとくけど!」
目を三角にして噛みついてくる山田を至近距離からガン見し、佐藤は険しいツラ構えで歯噛みした。
そうか田中んとこの小島タイプの課長が唇を奪いやがったのかとか、なんでソレを隠してんだとか、贔屓目に見てもお前は普通に生きてねぇとか、のらりくらりとか胸張って言うんじゃねぇとか、佐藤だって言いたいことは山ほどある。
が、言葉の選び方を間違えれば山田のトラウマ領域を侵しかねない気がしたし、実のところ客先に出かけなきゃならない時刻をとうに過ぎていた。
それは山田も同じだったらしい。何故ならば濃縮された短い葛藤の末、舌打ちして離れた佐藤がふと振り返ると、
「──あ。山田さん、お取り込み中大変恐縮なんですけど、そろそろ時間がですね」
いつの間にか戻ってきて何だかやけに食い入るようなツラで入口から覗いていた乙女ゲームの王子様が、ハッと姿勢を正して遠慮がちにそう言ったからだ。
佐藤は山田に向き直り、低く言った。
「今の件については今夜じっくり協議すっから覚悟しとけよ」
「上等じゃねぇか、お前こそ覚悟しとけよ佐藤っ」
山田はビシッと指を突きつけて寄越すと、迎えに来た本田を置いてさっさと行ってしまった。
その背中を目で追いながら、取り残された本田がどことなく落ち着きのないツラを佐藤に向けた。
「あの……どんな風にじっくり協議するんですか? 今夜。参考までに」
「本田お前、鈴木攻略で頭いっぱいになってねぇか最近?」
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