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第23話 続・山田オッサン編【20】

「山田、ちょっと来い」  これまた別の、とある月曜の朝。  心身ともに寝ボケたまま顔を洗ったり便所に入ってシャワートイレくんに尻アナを優しく舐め回されたりして、それでもまだ寝ボケたままキッチンで冷蔵庫から牛乳を出した山田を、佐藤がダイニングから呼んだ。  パックごと牛乳を飲みながらチンタラ近づくと、咥え煙草の同居人は山田の左手を掴んで指に何かを押し込んできた。  山田は半分寝たままその手を見下ろし、まだまだ寝ボケて牛乳を飲み干し、起きてんのかよ? と言われながら嫌々準備をして、どうにか社会人ぽい形だけ整えて同居人とともに出勤した。  会社に着くと、月曜の気重さを少しでも軽減すべく喫煙ルームに直行せず、まず荷物を置きに自席に寄って物理的な重さを減らした。  顔を上げた課長が馴れ馴れしく挨拶を寄越しかけて顔を強張らせた。が、何だかわからないから放っといた。  隣席のジョシも山田の何かをガン見していたが、何だかわからないから「今日も可愛いね」と寝ボケ眼で社交辞令を投げておいた。  煙草だけ持って二課部屋を出るとき、課長の「あんまり長タバコしないようにね」が飛んで来なかった。もちろん言われないほうが有難い。  廊下に出て間もなく、営業部長に出くわした。 「あ、おはよう山田くん、今日も……」  言いかけて大欠伸中の山田を見た部長もまた、課長と同じように顔を強張らせた。  今日も何だって言おうとしたのかわからなかったが、別に知りたくもないから「じゃあオレ一服するんで」と部長を置き去りにした。  あまりの眠さに目を擦りながら歩いていると、正面から歩いてきたヤツとぶつかって、ありがちなテレビのワンシーンみたいに書類が辺りに散乱した。  あー悪ィ、言って拾おうと屈んだ山田の上に聞き憶えのあるイントネーションが降ってきた。 「すみません、前見てなくて……」 「──」 「あぁ山田さん」  顔を上げた山田の上に、見憶えのある笑顔があった。 「アンタか」  途端に拾ってやる気が失せて、手にしていた数枚を渡すと、企画課長の目がふと山田の手を見て止まった。が、山田はロクにツラも見ずに「じゃあこれで」とその場を離れたから気づきもしなかった。  喫煙ルームに着く寸前、後ろから佐藤がやって来たから一緒に入った。すると中には鈴木と本田と田中がいて、鈴木はもちろん煙草を吸い、田中と本田はそれぞれコーヒー缶とコンポタ缶を傾けていた。 「おー、お揃いでお出ましか」  缶を手に笑った田中の目が、煙草を咥える山田の仕種を見て固まった。  何だよオマエもかよ? 山田が言おうとしてふと気づくと、田中だけじゃなく鈴木と本田の視線も同じ方向を凝視していた。  それから3人の目は同時に、山田の隣で煙草に火を点ける佐藤に向いて、もう一度山田に戻った。  鈴木が最初に口を開いた。 「プロポーズの言葉は何だったんスか?」 「は? ナニが?」  眠たげな半眼で見返した山田と目が合うと、鈴木は指で何かを指し示した。  山田はそれを辿り、煙草を持っていた左手に目を遣り、そこに見慣れないモノを発見してたっぷり15秒はフリーズした。  その間、指先の煙草がタスクの進捗状況を示すプログレスバーのようにジリジリと灰になっていくのを、他の4人はじっと見守っていた。 「──」  薬指の付け根に何の愛想もなく鎮座する、極めてシンプルなマットシルバーのリング。  な、な──な!? 「何じゃあコリャぁああっ!?」  会社中に響き渡るような声で山田が叫んだ。 「え、ジーパン刑事?」  鈴木の呟きはもちろん、某刑事ドラマの有名すぎる殉職シーンからの連想だ。 「い、い、いつっ! いつ生えたんだコレ!? いつっ、ドコでだ!?」 「え? まさか知らなかったわけじゃねぇよなコイツ?」  山田の口から落ちて転がった煙草を拾って捨てながら、田中が佐藤に訊いた。 「家出る前に突っ込んだんだけどよ、完全に寝ボケてたしなコイツ」  佐藤が煙を吐いて答える。 「まぁ気づかなきゃ気づかないで、騒ぎ立てねぇから好都合だったんだけど」 「佐藤っ、テメこの野郎!! 俺が知らねぇ間にこんなモン嵌めるとか、どーいうつもりだよ!?」 「お前が牛乳飲んでるときに嵌めただろうが、目の前で」 「知らねーし! てかナンか言えよな、ひとことぐれェよ!」  目を三角にして喚く山田に佐藤がうんざりしたツラを向けた。 「普通は気づくだろうが? 少なくともここに至るまでに気づくぜ、どう考えても」 「俺が普通じゃねーってのかよ!?」  佐藤はそれには答えず、ギャラリー3人は無言で目を見交わした。  佐藤が溜息を吐いた。 「あのな、ソイツはお前が余計なモンを吸い寄せねぇための虫除けだから。単なる蚊取り線香だ。な? いちいち大騒ぎすんじゃねぇ」 「俺だけ蚊取り線香付きかよ? そんで自分はオネーチャン吸い寄せて血を吸われようってのか? そーはいかねぇんだぜ!」 「2人揃って嵌めてても構わねぇんならしてやるぜ? 俺も」 「フザけんな、ンなこっ恥ずかしいマネできっかよ!?」  埒の明かない応酬に、田中が横から助け船を出した。 「まぁ虫除けなら、左手じゃなくてもいいんじゃねぇか?」 「そーっすよ佐藤さん。薬指じゃなくたってどの指でも山田さんがそんなモン嵌めてりゃ、みんな青天の霹靂っすよ」 「鈴木テメェ俺がこんなモンに縁がねぇとでも言いてぇのか?」 「いま縁があってるじゃないスか、良かったっすねぇ」 「お前こそ縁あんのか、てか来ねぇだろそんな日は? 本田が寄越さねぇ限りよ」 「なんで本田くんからそんなモンもらわなきゃいけないんスか俺が」 「鈴木さん、とりあえず安い物でもよければ僕買いますよ」 「ホラな! ホラな!」  鈴木にビシッと突きつけた山田の左手を、佐藤が掴んでグイッと引いた。  あ? と振り向いた山田の指から銀色の輪っかが抜き取られる。  咥え煙草の佐藤が今度は右手を取り、煙を透かしてまっすぐ山田の目を見据えながら、殊更ゆっくりソイツを薬指に嵌め直した。 「──」  口を開けたまま真っ赤になる山田のツラに、相棒は唇を歪めて笑った。 「朝は無反応で牛乳飲んでやがったくせによ」 「ッ……うるせーよ!」

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