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第25話 続・山田オッサン編【21-2】

 その夜。  帰ってきて山田に回鍋肉を食わせた同居人が風呂に入ってる最中、ダイニングのテーブルの上でヤツのスマホにLINEが着信した。  ソファにいた山田は、別に見たいワケでもなかったのに缶ビール4本の魔力か、ついついウッカリ覗いてしまった。  言い訳するワケじゃないけど回鍋肉とビールは合いすぎる。  ともかくLINEの差出人は美咲、通知のプレビューはこうだった。 『今日はありがとー! 久しぶりに会えてめっちゃ嬉しかったし、楽しかったし、佐藤くん相変わらずええ男やったー! こっちに引っ越したら、またいろんなとこ連れてって♡ 次に会うときは絶対、一緒に…』  表示はそこまでで、ほどなく自動的にフェイドアウトした。  山田は煙草を咥えたまま立ち上がり、自室に入ってスマホと煙草と千円札一枚といくらかの小銭、それとライターをポケットに入れて鍵を手に玄関を出た。  マンションのエントランスで一旦立ち止まり、ひとつ深呼吸してから、さてどこに行こうかと思案する。  妹は佐藤弟と一緒だろうし、そもそも幼児もいるし、鈴木は本田と一緒かもしれないし、そもそも出てきた理由を探られたら引っ掻き回されて面倒くさいし、田中はもちろん論外だ。  小島は仕事さえなければ高確率で付き合ってくれるだろうが、この期に及んでヤツに連絡を取るのは山田的にNGだった。  ──サンオツになるってのは世知辛ェモンなんだなぁ。  しみじみ感慨を覚えた山田は、結局カーチャンちに顔を出すことになって忸怩たる思いに駆られた。  クソ、マザコンじゃねぇってのに。  まぁでも普段さんざん親不孝をかましてる身だし、こないだ向こうが押しかけてきたばっかりだとは言え、たまにはこういうパターンもアリなのかもしれない。  で、駅までタラタラ歩いて電車を乗り継いで実家に赴くと、タイミングの悪いことに母親の愛人がいた。つまり山田の親父だ。 「あ、イチくん久しぶり」  リビングでテレビを観ながらハイボールを傾けていた山田父は挨拶を寄越し、きまり悪そうに顔を顰めて神妙なツラでポツリと漏らした。 「こないだ紫櫻が来て怒られたよ」  それから手酌で角瓶──ハイボール用の庶民派ウィスキーをグラスに注ぎ足し、長男が禁を破って山田の元に現れた件に具体的には触れないようにしながら、十数年ぶりに対峙した娘からいかに口汚く罵られたか、初めて抱いた孫がいかに可愛かったかをジジ馬鹿丸出しに垂れ流した。  ごくたまにテレビ画面の片隅やら、ネットに流れる黒い噂やらで目にするそれとは180度違う顔。かつて母が身体を壊してた時期に何度か会った厳格な家長とも、まるで違う。  この顔は山田母と一緒にいるときだけのもので、アルコールが入ると更に顕著になることを山田が知ったのは、それほど昔のことじゃない。  世間的なイメージの峻厳さとは無縁のそのツラで親父は言った。 「イチくん、カレとはどうなの」 「はぁ?」 「紫櫻の彼氏のお兄さんなんだよね?」 「──」 「そうそう紫櫻と一緒に来たよ、イチくんの彼氏の弟さん」  娘の彼氏の兄貴だの、息子の彼氏の弟だの、何だかややこしい。 「今度こそ結婚するらしいね紫櫻も。あんなに愛想がない上にコブ付きとは言え、可愛い娘だからさ……もらってくれるのはホントに有り難いと思ってるよ。有り難いとは思ってるんだけど、娘を嫁に出す父親の気持ちってわかる? イチくん」 「いや全然」  山田は一蹴し、煙草を咥えながら内心舌打ちした。来る前に在宅確認したとき、コイツがいるなんて母親はひとことも言わなかった。  メンドクセェとこに来ちまったぜ…… 「まぁそっちはともかくとして。で、イチくんのほうはどうなの」 「どうって何がだよ」  火を点けて煙を吐く山田をしばしガン見してから、ジジイが呟いた。 「小松くんとこに任せたのがいけなかったのかな」  コマツって誰だ。山田は煙草を咥えたまま数秒考え、勤務先の社長だと気づいた。いや、数年前に会長職に退いたオッサンのほうか?  いずれにしても言いたいことはわかった。あの会社に押し込んだから山田が佐藤と出会い、それが間違いの元だったんじゃないかって話だ。  冗談じゃねぇ、山田が言おうと口を開けた瞬間、後ろから馬鹿デカい一喝が飛んできた。 「余計な口出ししてんじゃねぇよジジイ!!」  台所からやってきた山田母がモツ煮を盛った皿をドン! と角瓶の横に置いた。汁が辺りに飛び散ったが気にとめる風もなく、母は山田の箱から煙草を奪って咥えた。 「どこぞのお偉いオッサンが知ったふうな口きいてんなよ、何がどういけなかったって言いてぇのか具体的に聞かせてみな」 「いやカヨちゃん、僕はただイチくんの幸せをね」 「アンタが心配することじゃねーんだよ!」  カヨちゃん──母の佳世子は仁王立ちのままライターを擦って火を点け、煙を吐いた。 「イチくんは自分でちゃんと幸せ見つけてんだから、ジジイは引っ込んでな!」 「はぁ? いやシアワセって別に俺」  山田が言いかけた途端、 「何だとコラ!」  母の叱責が今度は息子に向いた。 「あのイケメン野郎に愛されてても幸せじゃねぇってのかよ!?」 「えーっと……」 「いいかイチくん。何度も言うようだけどアタシは別に子供が欲しかったわけじゃねぇ、なのにデキちまったからって血迷ってわざわざ産んでメンドクセェ思いして育てたってのに、アンタが幸せになってくんなかったら意味ねーじゃんよ!」  目を三角にした山田母は氷をぶち込んだグラスをふたつ持ってくると、床に胡座を掻いて角をドボドボ注いだ。ウィスキーとソーダが2:1のハイボールを作り、息子にひとつ寄越す。  カヨちゃんモツ煮の蓮華が欲しいな……ジジイの呟きは見事に無視された。

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