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第26話 続・山田オッサン編【21-3】
「なぁイチくん。アンタが幸せなんだったら、どっかのどうしようもねぇ女と子供でも作ろうが野郎と生涯添い遂げようが好きにすりゃいいよ。ソイツはアンタの人生であってアタシのモンじゃねぇし」
煙草を指に挟んで濃厚ハイボールを一気に呷る山田母。
「ただし後悔するような人生だけは許さねぇよ、イケメンとの生活に不安や不満があるってんなら今すぐ同棲解消しちまいな。もう若くねーんだから仕切り直すなら早けりゃ早いほうがいい」
「若くないってのは否定しねーけど、別に不満があるとかじゃねぇよ」
山田は言って目の前のグラスに手を伸ばし、溶けかけの氷を指で回して攪拌した。口をつけたら、それでもまだ濃いめの水割りみたいな具合だった。
別に、今の生活に不満があるわけじゃない。あるとすればそれは佐藤じゃなく、瑣末な出来事に左右される自分に対してだ。
気になるなら訊けばいいだけなのに。
いつの間にか、そんな小さなことすら簡単じゃなくなってしまっていた。それが気に入らない。
「浮気でもされたのかよ、イチくん」
息子の表情を横目で舐めた母が投げ出すように言い、山田は口に入れたばかりのハイボールを噴きそうになった。
「はぁ? なんで」
「年に一度来るか来ねぇかって息子が、明日からまた仕事だっつー日曜の夜に用もねーのに同棲中の彼氏ほっぽらかして突然来やがって、ンな浮かねぇ顔してる理由が他にあるかよ?」
「いやあるだろ、いろいろ?」
「何、イチくん浮気されたの?」
横から首を突っ込んできた親父に目を遣ると、さっきまでの休日のお父さんモードのツラじゃなくなっていてヒヤリとした。
「何か手を貸そうか?」
「やめてくれ」
「息子の色恋沙汰の政務まで仕切ろうとすんじゃねぇよジジイ」
母が忌々しげに釘を刺し、グラスに角を注いだ。
「でも浮気なんかするような野郎には見えなかったけどなぁ」
「だから別にそんなんじゃねぇし」
「浮気相手も野郎なわけ?」
「ンなワケねーじゃん、てかだから別に浮気とかじゃねぇって」
かどうかは知らないけど。
「女もオッケーなんだっけ、カレシは」
「俺もアイツも女は全然オッケーだっつの」
「何なの一体。アンタたちの同棲、ホントは何かの偽装とかじゃねぇよな?」
「なんの偽装だよ」
するとジジイが、また横から探るような目を向けてきた。
「偽装? イチくん、ホントに何か手伝えることがあったら……」
「だから口出しすんなっつってんだろジジイ! アンタがやったら抜き差しならねぇ工作になっちまうだろうが! 陰で操んのは政界だけにしときな!」
またもや忌々しげに父を制した母が、煙草を咥えて舌打ちした。
山田はジジイをチラリと見て訊いた。
「ホントに政界操ってんの?」
「そんなわけないでしょイチくん、ただの秘書なんだから僕は」
「だよな。俺の親父が日本動かしてんだったら、もっとマトモになってるハズだもんな世の中」
「──」
ジジイは笑顔のまま、それ以上はコメントしなかった。代わりに母が横から言った。
「イチくん、ジジイの汚ねぇ世界に首突っ込むのはやめときな。それよか、あぁ、アンタの彼氏と連絡先交換しとかねぇとだよなぁ」
「はぁ? ナンでだよ」
「必要だからじゃん」
「はぁ? どんな必要があんの? 俺は向こうの親とか会ったこともねぇっつーか、俺との関係も知らねぇはずだけど、でも別に不自由してねぇよ?」
「アタシはアンタたちの関係を知ってんだからいいじゃねぇか、連絡先くらい聞いてたって。知ってりゃ今だって一発で電話してるよ、引き取りに来いってな」
「──」
「てかイチくん、向こうの親とか気にしてんの?」
「いや……別に」
「まぁ普通はさぁ、息子にカレなんかできたら親はドン引きすると思っといたほうがいいよ、ウチは自慢じゃないけどたまたまマトモじゃないだけで。ていうかそもそも、このジジイんとこには人様んちの息子をどうこう言えねぇサイテーのクソ野郎がいることだしな、イチくんが彼氏を作ろうが何の文句も言えなくて当然なわけだし」
ジジイが、その件せっかく触れないようにしてたのに……とでも言いたげなツラになったが母は気に留めるふうもない。
「とにかくアンタたちがお互い好きで一緒にいるんならそれでよくねぇか? つーか堂々と同棲してるだけでも十分じゃんよ? アタシとジジイなんか何十年付き合ったって一緒に住んだことすらないし、もちろん互いの親にも会ったことなんかねぇっつーの」
「だから結婚しようよって言ってるのに、カヨちゃん」
「うるせぇな、アンタんとこのバカ息子が死んだらしてやるっつってんだろ」
「そのバカ息子も、もう反対してないし」
「当たり前だろーが、どこにンな資格があんだよ、頭ボケてんのかよジジイ!? てか反対とかもはやカンケーねぇし! とにかくアイツが死んだらって言ってんだからアタシと結婚してぇんならバカ息子を始末してから出直してきな!」
「もー、カヨちゃんはまたそうやって」
ジジイが困ったように言って眦を下げる。
一定以上の地位にある抑圧された野郎ってのは大半がマザコン属性のドMで、年齢が上がるにつれてその傾向はますます強くなるという確信を、山田はリーマン生活の中で年々深めてきた。
目の前のドMジジイはそのラベリングを今宵またひとつ強固なものにしてくれたワケだが、山田にはまぁどうでもいいことだった。
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