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第34話 続・山田オッサン編【24-3】

 店もオーダーも元後輩に一任したついでに、申し出に甘えて支払いも一任した。  まぁ、だって誘ったのは小島だし。  ただ部屋を出る寸前、入口の引き戸を開けようとした山田は元後輩に止められ、控えめな強引さで壁に縫いとめられてしまった。 「佐藤さんからは手を繋ぐなって言われてるんでしょう? じゃあ、唇なら問題ありませんよね?」 「は? え、ちょ……」  ナニ言ってんだ? と思う間にイラつくほどのイケメン面が近づいてきて、慌てた山田は触れる寸前の唇を手のひらでストップした。 「だ──ダメだ、ダメダメ! ナニやってんだっ」 「何って、キスは禁止事項に入ってませんでしたよね」 「いやソレは今日どうとかじゃなくてそもそもNGだから! わかるだろ? 田中んとこのお前タイプの課長に不意打ちで唇奪われよーが大したコトじゃねぇけどよ、お前とチューなんかしたら一大事なんだよっ」  すると小島は数秒黙り、眉を寄せた。 「田中さんのところの課長って何ですか?」 「だからぁ」  田中が今は営業企画課にいること、そこの課長が小島タイプであること、ソイツがある夜いきなり喫煙ルームで山田にキスしてきたことを説明すると、目の前の後輩はあからさまに嫌な顔をした。 「なんですかソイツは」 「だから田中んとこの課長だっつの。そんときは誰だか知らなかったけどな、俺は」 「いくつぐらいのヤツなんですか?」 「さぁ? 俺らよりいくらか上ってぐらいしかわかんねぇよ」 「じゃあ既婚者?」 「なんでンなコトいちいち訊くんだよ?」 「気になりますから」 「ホントかどうかは知らねぇけど、聞いた話じゃ離婚してるらしいな」  そのとき元後輩の顔面を過ぎった複雑な色合いには気づかなかったフリをした。  小島も企画課長についてはそれ以上触れず、とにかく──と言った。 「つまり俺に似た男とはキスできるのに、俺本人とはできないってわけなんですね?」 「似てるかどうかはこの際カンケーねぇんだよ、とにかくお前とはチューできねぇの! いいからちょっと離れろっつの」  さっきから壁に追い詰められっぱなしの山田は、視界を圧迫してくる長身野郎を押し遣った。  そのとき小島はまだシャツ姿で、布地を通して伝わってきた身体の手応えに内心ちょっと慌てた。この男と最後に寝たのは、まだほんの数ヶ月前だ。  まるで男女交際禁止の校則を破ってる名門私立高校の女子高生みたいな気分になって、山田は小島を急かして店を出た。  駅に向かって歩き出すと同時に、さっきの会話の続きが始まった。 「その企画課長にキスされたことは、佐藤さんには言ったんですか?」 「黙ってたけどバレた。バレたのは俺のせいじゃねーよ? 運悪くたまたまだから」 「俺とキスしても黙ってたらいいんじゃないですか?」 「そーいうワケにはいかねぇよ。ポッと出の課長ごときにされんのと、ずっと寝てたお前とすんのとじゃ罪の重さが全然違うじゃねーか。何もしてねぇよ? なんてしれっと佐藤に嘘つけっかよ」 「昔はあんなに平気で嘘ついてたのにね」 「またソレか、だから俺がいつ嘘なんかついたよ?」  山田の抗議は一片の欠片もなくスルーされた。 「でもそれは、山田さんにとって俺がどうでもいい存在じゃないからだって受け取っていいんですよね?」 「はぁ? ナンでそーなんの?」 「俺とキスしたら佐藤さんに黙っていられない?」 「だからそう言ってんじゃねぇか」 「佐藤さんに知れたら、もう俺とは会えなくなる?」 「そりゃあそうなるだろーな」 「会えなくなるのは困るから、キスはできない?」 「そりゃあ……ん?」  言いかけて誘導尋問に気づき、眉を顰めて目を上げると元後輩の笑顔にぶつかった。 「違うっつーの、佐藤を裏切りたくねぇの俺は!」 「山田さんのその、嘘つきなくせに律儀なところも好きですよ」 「ホンットめでてェヤツだなオマエは」 「でも食事に誘ったら、佐藤さんに難癖つけられながらも付き合ってくれるぐらいの気持ちはあるんですもんね?」 「ややこしい言い方すんな、ダチとしてならいつでも付き合ってやるよメシぐらい。あ! でも頻繁には無理だかんな、佐藤が妬きやがるからよう。てかさぁオマエ、電話で友人としてって言ったじゃねぇか? 自分で言っといて何やってんだよ?」 「だって山田さんを目の前にしたら、やっぱりねぇ。挨拶のキスくらい良くないですか?」 「知ってっか、ここは日本だから挨拶でチューなんかしねぇんだよ」  山田は吐き捨て、路面に嵌め込まれた路上喫煙禁止マークを見ながら煙草を咥えた。 「訊いてもいいですか」 「何を」 「山田さんにとっての俺と佐藤さんの存在って、どういう違いがあるんですか?」 「──」  尻ポケットから出した百円ライターを擦って火を点け、山田は隣の男に目を投げた。 「もちろん、同居を再開する前に何か大きなことがあったんでしょうし、ウエイトの違いは歴然だと思いますけど。それとは別に……」 「お前は」  小島の言葉を遮って、山田は煙を吐いた。 「いっつも俺を女みてぇな扱いしやがるけど、まぁ俺もいろいろお前に甘えてきた。でも年下で後輩って感覚もずっとどこかにはあって、だから会社辞めたあとの仕事のこととか嫁さんのこととかも心配するし、てか嫁さんとうまくいったら安心するし、お前には幸せになってほしいってマジで思ってるぜ? これでも」  小島は黙って頷いた。 「佐藤は──佐藤には俺を丸投げしてて、だからヤツがいなくなったら俺は足場を失っちまう」  そういう違いだ、と締め括ると、元後輩は一拍置いて苦笑した。 「そういうの、佐藤さんに言ったことあります?」 「ねぇよ」 「ちゃんと言ってあげたら、佐藤さんだってそこまで山田さんを束縛せずに済むんじゃないですかね」 「こういうことを面と向かって言えるかどうかも違うんだよ、お前とアイツじゃ」  山田は咥え煙草で投げ出すように言い、小島は子供を見守る親みたいなツラで笑ってから、まぁでも……と言った。 「足場がなくなったら、いつでも俺のもとに落ちてきてください。手を広げて待ってますから」 「そんときゃ俺はメタボのジジイだぜ、受け止めたらギックリやっちまうぜ?」

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