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第40話 続・山田オッサン編【28】
晴れ渡った空には朝っぱらから夏っぽい雲が浮かび、残暑で相変わらず暑苦しい上に湿度が高くて不快指数はマックスだった。
通勤だけで相当な体力を消費して、会社に着いたときには1日分の仕事をこなしたくらい疲れてるってモンだ。
なのにクライアントの馴染みの担当者から電話が来て、今日来てもらえないかなぁなんて抜かしやがるから山田は断った。
「あーすみません、今日はちょっと無理ですねぇ。えーと、伺えるのはですねぇ」
山田は手元のスマホを操り、情報を確認して答えた。
「来週月曜になっちゃいますけど大丈夫ですか? ──申し訳ないです、じゃあ明けに伺いますんでよろしくお願いします」
電話を切った途端に背後で聞き慣れた声がした。
「山田さん、週明けたら涼しくなるからっすよね? スケジュールじゃなく天気予報チェックしてましたよね? 今」
振り返らなくても鈴木だってことはわかるから、山田は振り返る労を省略して応じた。
「でけぇ声で言うんじゃねぇ。てかナンでここにいんの? お前の席あっちじゃねぇか」
「課長に用があるんスよ」
「あっそう、さっさと行ってこい」
鈴木が去ってしばらくして、今度は課長席から山田に呼び出しが掛かった。
鈴木の用事は終わったらしく、すでに姿はなかった。
課長はついさっき山田が訪問を断ったクライアントについて触れ、こう訊いた。
「なんで来週の月曜までダメなの? 忙しい? 大丈夫? なんか無理してない? 仕事、詰め込み過ぎてない?」
「ナンで知ってんすか? その件」
「いや鈴木くんが今、ちょっと耳打ちしてくれて」
「ひとつ訊きますけど、比喩じゃなくホントに耳元で囁きました? アイツ」
「いや比喩だけど」
「あぁそうですか」
「それがどうかしたの?」
「いえ別に」
鈴木がマジでこの課長の耳元で囁いたとして、それを本田が目撃したらどんな反応を示すだろうかと一瞬想像して楽しんだだけだ。
「とにかくその件なら大丈夫です、ご心配なく、お気遣いありがとうございます」
「だったらいいけど、何か困ったことがあったら何でも相談してね」
「わかりました」
「そのときは、ホントに耳元で囁いてくれても構わないよ?」
「そのときはメールで知らせますから、お時間あるときにでも読んどいてください」
「ラブレターかな」
「何の相談のハナシなんでしたっけ?」
じゃあ他に用事なければと返事も待たずに踵を返そうとしたら、待って待ってと引き留められ、課長が何故かわざわざ席を立って回り込んできた。
「まだ何か?」
迷惑げなツラを隠しもせずに訊く山田を何故か窓際まで手招いて、部の納涼会行くんだよね? と声を潜めて覗き込んでくる。
「行きますけど、近いっすよ課長」
腕が触れそうな位置から顔を寄せられると、せいぜい5センチ程度の身長差なモンだからやけに近い。
「部長が何度も確認してくるんだよね、山田くんを忙しくさせてないかって」
「まぁ知ってるヤツが幹事やらされて大変みたいだし。それがなければ行きませんけどね、てかだから課長、近いって」
「企画課の田中係長だよね。彼も同期なんだっけ」
「えぇまぁ」
「同期でずーっと仲がいいっていいよねぇ」
「はぁ、てかもういいですか?」
「企画課といえば、三井さんとも親しい? 山田くん」
「誰っすかソレ」
眉を顰めた山田を課長がじっと見た。
「いやだなぁ、企画課の課長だよ」
「──」
そんな名前だったのか。初めて知った。
「営業部の会議とかでさ、彼がすごく興味津々なんだよね山田くんのこと。部長もちょっとそれが気になってるみたいで」
「あぁ、それで部長のためにいろいろ探って覚えをめでたくしておこうと?」
「そういうわけじゃないけど。もちろん、僕も気になってるよ? 三井さんと何かあるのかなぁって。一課の佐藤くんの耳にでも入ったら大変だしね。そんなことで仕事に支障が出ても困るし、上司としては」
言いながら何故か髪に触れてくる課長の指から逃れつつ、山田は答えた。
「何もないことを佐藤は知ってるから大丈夫です。仕事に支障も出ませんからご心配なく」
ホントは何かあったことを佐藤は知ってるし、仕事に支障を来すのはそんなことよりも厳しい残暑が齎す暑苦しさのほうなんだけど、それはさておき。
「じゃあ俺、そろそろ戻ってバリバリ仕事をこなしたいんですけどもういいですか?」
「あ、待って待って、最後にひとつ」
またもや引き留めた課長は何故か山田の肩を手のひらで引き寄せ、それこそ触れんばかりの耳元で囁いた。
「一課に入った女の子、佐藤係長カッコイイって随分ご執心みたいだよ? 一回見かけたけど可愛い子だし、気をつけてね」
「──」
山田が何か言うより一瞬早く、すぐ背後で声がした。
「お2人とも、そんな窓際ギリギリにいたら日焼けしますよ?」
ハッと振り向くと、これから外出らしく鞄を手にした鈴木が立っていた。
「窓際ってのは屋外の8割程度の紫外線量らしいっすからね」
そう言う鈴木の手には鞄の持ち手とともに、こんなにも暑苦しい夏空だってのに黒い折り畳み傘が握られていた。
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