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第42話 続・山田オッサン編【30】

 今夜は営業一課の飲み会があって、佐藤が帰宅したのは午前零時を回ってからだった。  玄関を開けると中は煌々と明るくテレビまで点いていて、そのくせ住人は何故か上がり框のそばに倒れて鼾をかいていた。  脇には吸殻数本が転がる灰皿とライター、潰した煙草の空箱。それからビールの空き缶2本。 「何やってんだ、お前」  靴を脱ぎながら声をかけると、山田は身じろいでからウーンと伸びをして寝ボケたツラで見上げてきた。 「あれ佐藤、いつ帰ったんだ?」 「いま。見りゃわかるだろうが」  答えて山田を跨ぎ、ダイニングのソファに鞄を放る。  ネクタイを緩めながら振り返ると、山田は起き上がって胡座を掻いたまま眠たげな目を寄越した。 「煙草取ってくんねぇ?」 「まだそこで吸う気かよ? こっち来て座りゃいいじゃねぇか」 「動くの面倒くせぇんだもん」  佐藤もそれ以上は言わず煙草を放ってやったが、部屋に入ってバスルームに向かい、シャワーを浴びて出たときには山田はソファで缶ビールを傾けていた。相変わらず点いてるテレビは観てる様子もない。 「飲み会どうだったよ?」  山田の声を背に冷蔵庫を開け、佐藤もビールを出してソファに座った。煙草を咥えてプルトップを引き上げ、押し込む。 「まぁつまんねぇってほどでもねぇし、面白ぇって言うには物足りねぇ程度かな」 「ふーん。ウチの課もたまにはやればいいのになぁ」 「お前んとこの課長が参加しねぇんなら反対しねぇけどな」  言ってライターを擦る横で山田が笑った。 「お前が思ってるほど危なかねーよ? あの課長」 「どうだか知らねぇけど少なくとも馴れ馴れしいし、何かっつーとすぐ触んじゃねぇか、お前に」 「別に変なトコには触られてねぇよ、たまに髪とか肩とか手とかに触るからちょっとウゼェぐらいで」 「お前は大したことねぇって思ってんだろうが、そんなモン女子社員にやってみろ。ソッコー、セクハラで訴えられんぜ」 「まぁそりゃ女子ならなぁ?」 「あと言っとくけど、お前のその3箇所どこに触っても俺は野郎の手を切り落としてぇからな」 「──」 「お前に触っていいのは俺だけだ、山田」 「酔っ払ってんのかよ佐藤?」  眉を顰める山田に向かって手を伸ばし、髪を撫でてから肩に触れ、腕を辿って手の甲を伝い指を絡ませる。  黙ってされるがままになっていた山田が、何だよ、と小さく呟いた。 「てか、お前はどうなんだよ?」 「何が」  片手を握ったまま近づいて髪に唇を押し当てると、山田が身じろいで手を引き抜いた。 「帰るなりロクに顔も見ずにシャワー浴びて、出てきたと思ったらベタベタ触りやがってよ──甘ったるい匂いでも染みついてたんじゃねぇの? 一課の新入りで係長カッコイイって浮かれてる女子がいるらしいじゃねぇか?」 「へぇ? お前でもそんな情報仕入れたりすんだな」 「わざわざ耳打ちしてくれるヤツがいるからな」 「鈴木か?」 「ウチの課長」 「──」  馴れ馴れしいだけじゃなく、そんな余計な情報まで吹き込んでやがるのか、あのタラシの二課長は。  咥え煙草で目を眇める佐藤に、隣で膝を抱えた山田が横目を寄越した。 「今日の飲みにもいたのか? その子」 「まぁいたけど、関係ねぇし」  佐藤は言ってビールを呷り、灰皿に煙草を捨てた。確かに山田が言う女子社員は存在するし、今日の飲み会にも出ていた。  更に言えば隣に座ってやたら世話を焼きたがり、解散後に駅まで歩く間、酔ったフリで腕を組んできてこんなことを言った。  ──係長って、前はいろんな女の人と付き合ってたって聞きました。  ──二課の山田さんって、私、ちょっとしか知らないですけどキャラとしてキライじゃないです。でも付き合うのはやっぱり、女子のほうが良くないですか?  大きなお世話だとか、山田の何を知ってるってんだとか、笑わせんなとか、正直に答えようと思えばいろいろと大人げない発言ができた。若さと可愛さと性別だけでアイツに太刀打ちできると思ってんのか? とか。  が、立場的なこともあるからどれも控えた。  ただし佐藤はひとことだけ、端的で誤解を生まない言葉をやんわりと返した。  山田以外はあり得ない。  それを聞くと彼女は酔ったフリをやめ、そうなんですねぇと笑顔を作って、ちょうど到着した駅の改札に消えて行った。  きっとあのあとSNSで職場の上司をさんざん叩いただろうが、そんなことはまぁいい。  佐藤は脳内から彼女を締め出し、山田を抱き寄せた。 「何だよ」 「それが心配で待ってたのかよ? 玄関で」 「はぁ? 別に、ンなの」 「帰ってくるなり問い詰めようとか思ってたか?」 「だから別に、心配なんかしてねーし」 「だったら、俺が帰るまで玄関で煙草吸いながらビール飲んで寝落ちしてた合理的な理由を聞かせろよ」  なぁ? と抱き込んだ山田のTシャツに手のひらを忍ばせると、微かな溜息とともにテレビがさぁ……と呟きが漏れた。 「夏だからって無意味にホラーばっか垂れ流しやがってよう、呪怨なんかやってっから観てたら伽椰子が追っかけてきて、逃げたんだけど玄関で追いつかれて力尽きて、気がついたらお前が帰ってきてたんだ。不思議だよなぁ?」 「──」 「あ、ビールと煙草は伽椰子が持ってきてくれたんじゃねぇかな」  佐藤は山田のTシャツに手を突っ込んだまま真面目くさったツラをしばらく眺め、言った。 「テレビから出て追っかけてくんのは、伽椰子じゃなくて貞子だよな山田」  途端に山田が目を三角にして喚いた。 「だったら何だよ!? 揚げ足取ったつもりでもいんのか? 俺の説明のアラを探して合理性を崩そうとか思っても無駄だからな、テレビから出てきたとか誰も言ってねぇし! テレビ観てたら部屋から出て来たんだし伽椰子、お前の部屋からな! 部屋で何やってたかは聞いてねぇから知らねぇよ? てかアイツお前のベッドで寝てたかもしんねぇよ? だったらどーするよ、想像してみ? 伽椰子がベッドで寝てるとこ、てか夜中に目が覚めたら隣に寝てっかもしんねぇよ? 怖かったら今夜は一緒に寝てやってもいいぜ? 全くしょうがねぇな!」 「──」  こんなヤツでもまぁ、山田以外はあり得ない。

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