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第46話 続・山田オッサン編【33】

 何もすることのない休日だった。  本田修一郎は何となく家を出て本屋に行き、特にめぼしいものも見つけられずに本屋を出て駅に行き、何となく電車に乗って気がついたら憶えのある駅で降りていた。  勤務先の上司、鈴木聡の最寄り駅だ。  本田は憶えのあるルートを歩いて憶えのあるマンションに辿り着いた。  エントランスのオートロックの番号まで記憶してはいても、そこはさすがに部屋番号を呼び出すにとどめた。  果たして、鈴木係長は在宅だった。 「はい」 「本田です。お休みのところすみません」 「うん、悪いと思うなら帰ってね」  切れた。  本田はもう一度、部屋番号を呼び出した。 「また本田くん?」 「そうです」 「用事は何?」 「顔が見たくて来ました」  不思議なことに、そう言うとロックが解除される音が聞こえた。  今の会話の何がパスワードだったのかは不明だが、とにかく入って鈴木の部屋に向かい玄関のドアホンを鳴らすと、ほどなくドアの向こうに気配があって係長の顔が覗いた。 「あ、おつかれさまです鈴」 「はい顔見たよね、さよなら」  挨拶を遮ってドアが閉まる。  本田は数秒その場に立ち尽くし、もう一度ドアホンを押した。すると今度は通話で応答があった。 「また本田くん?」 「このタイミングで僕以外だったらおかしいですよね?」 「何、柄にもなく穿った返事してんの? ていうかまだいたの?」 「顔を見て、部屋に入って話をしたくて来ました。今日が休日で、たとえ鈴木さんがひとりでのんびりしたかったとしても知ったことじゃありません」 「最初からそう言えばいいんじゃないかな」  で、やっと部屋に入れてもらえた。  今日の鈴木係長は白シャツにジーンズ姿で、室内にはコーヒーの香りが充満していた。  どの空間も極端に物が少なくて、内装は全体的に白い。日焼けを嫌う鈴木係長は精神の黒さとは裏腹に白が好きらしく、だからヤニがつくのを嫌ってベランダで煙草を吸うことも、歯医者でホワイトニングを受けてることも本田は知っている。 「コーヒー飲むなら淹れてあげてもいいけど、それ以外なら水しかないからね」 「コーヒーいただきます」  本田は答えて、キッチンに立つ上司の背後に近づいた。左右の二の腕に手のひらで触れてつむじの辺りに囁く。 「鈴木さんの淹れるコーヒー、僕好きなんですよ。どこで飲むコーヒーよりも美味しいです」 「じゃあお金もらってもいい?」 「お金を払ったら、コーヒー以外のものもくれますか?」 「砂糖とミルク?」 「わかってるくせに、わざわざ言葉にしてほしいんですか? 聡さん……」 「その呼び方やめてねって言ってるよね? あと今、本田くんのコーヒー淹れてるとこなんだけど、そんなにくっついてるせいでもし手元が狂ってシャツに散ったら責任取ってくれんの?」 「そのときは責任取って洗いますから、脱いでください」 「──」 「コーヒーなんか散らなくたって、脱いでくれてもいいんですけど」  止まった鈴木の手に本田の指が這い、柔らかく握り込む。  乙女ゲー王子の華奢な指なんか、振り解こうと思えば決して難しくはないはず。なのに係長は両手を包み込まれたまま身じろぎもせず、背中に張り付く部下の名を口にした。 「本田くん、淹れらんないんだけど」 「やっぱりコーヒーはあとにします」 「あとにするって、じゃあ先に何すんの?」 「わかってますよね、聡さん──」 「だからその呼び方」 「じゃあ、聡」 「──」  鈴木の手を放した本田が、腕の中に係長を抱き込んだままゆっくりと手首の時計を外す。  コーヒーメーカーの横にコトリと置かれるそれを目で追い、鈴木は     「──ってトコで妄想がストップしちまうんだよ、いっつも!!」  山田が髪を掻き毟ったところで喫煙ルームに到着した。  隣を歩いていた佐藤が入り口のガラス戸を開けながら呆れ返った目を向けた。 「なかなかディテールの設定まで細かくできてっけど、山田お前そんな妄想してんのか」 「でもさぁ、あの童貞が──いや、もしかしたらもう捨てたのかもしんねぇけど……それは置いとくにしてもよ、急にそんなタラシみてぇな迫り方ができるようになるか?」  田中が首を捻ると、佐藤が目を眇めて唇の端に煙草を咥えた。 「どっかのタラシの記憶でも混ざってんじゃねぇのかよ山田?」 「はぁ? 何の話かわかんねぇし」  山田が言ったとき、3人の後ろで声がした。 「ひとつ大きな誤解がありますね山田さん」  振り返ると鈴木がいた。 「あれ鈴木、お前いつからいたんだ?」 「ここに着くまでずっと後ろで聞いてましたよ、山田さんの妄想を。でもね山田さん」  そもそも根本的な間違いがありますよ──鈴木は目を険しくして山田を見据え、鋭い口調で言った。 「つむじに向かって囁けるほど、本田くんと俺の身長差ないっすからね」 「え……そこ?」

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