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第60話 続・山田オッサン編【40】

『この先、坂道あり 自転車はゆっくり 走りましょう』  そう書かれた警察署名義の立て看板を見て、山田は隣を歩く同居人を見た。 「なぁ、この先に坂なんかあったっけ?」 「あぁ? さぁな」  暑さもナリを潜めてきた初秋の日曜の午後。  天気もいいことだし散歩がてら、ちょっと遠いスーパーまで晩メシの買い物に行こうってことになった。  で、道端の看板に気づいたというワケだ。  何度か通ってはいるけど馴染んでると言えるほどではないエリア。  知る限りでは思い当たるような坂道はなかったが、行ったことないくらいのところまで歩けばあるんだろうか? 「ちょっとさぁ、どんな坂道なのか確かめに行ってみねぇ? わざわざこんなモン立てて注意喚起するぐれぇなんだからジェットコースターみてぇな坂なんだぜきっと?」 「まぁヒマだから別にいいけどよ」  というわけでスーパーは後回しにして、とにかく真っ直ぐ歩いてみることになった。  しばらく進むと、古い民家が建ち並ぶエリアに突然、一杯呑み屋的な店がひしめき合う一角を見つけた。明るい陽射しの中に翳る小路が、これまた味わい深い。 「こんな近くにこんなトコあったんだなぁ」 「今度、夜来てみるか」 「おー、来よう来よう」  そんなことを言い合いつつ先に進むと、どこまでも続く長い塀が始まった。笠木越しに塔婆が並んでいるのが見える。墓地だ。 「猫がすげぇいる」  歩きながら塀の向こうを覗いた佐藤が言ったが、山田の高さからは際どいボーダーラインで見えなかった。 「見えねぇ! ネコ見てぇ!」 「抱っこしてやろうか?」  佐藤がニヤニヤ笑う。 「うるせぇな、あ、見えたっ」  塀に貼り付いて背伸びした山田が興奮気味に声を上げた。 「なんか久々にネコ見た気がするー。あのちっちぇシマシマのヤツ見てみろよ佐藤、産まれてどれぐらいかなぁ、可愛いなぁ」  そばに立つ佐藤が咥えた煙草に火を点けながら言った。 「お前のほうが可愛い」 「──」  無言になった山田が塀から離れ、2人が再び歩き出すと、ほどなく辺りに甘い香りが漂いはじめた。 「嗅いだことあるな、この匂い」  佐藤が言った。 「あぁ金木犀だろ、もうそんな時期かぁ」 「お前にしてはよく知ってんな山田」 「俺にしてはっての余計じゃねぇ?」  とはいえ山田も、母の愛人宅の庭に植わってたから知ってたってだけだ。が、もちろん口には出さなかった。そんな事情はわざわざ明かすことじゃない。 「なぁ山田、せっかく人がいねぇんだから手でも繋ぐか」 「ナニ言ってんの? 繋がねぇよ」 「何照れてんだよ」 「照れてねーし!」  それから少し行くと、昔からの民家の一階を改築したような真新しくてこぢんまりしたビストロを見つけた。その向かいには、正真正銘昔から存在してるであろう小料理屋がうらぶれた風情で佇んでいる。 「俺らは間違いなくコッチだな」  小料理屋のほうに頭を振って山田が言うと、佐藤が煙を吐きながら唇を斜めにした。 「山奥で3百年くらい生きてきたようなババァが接客してくれっかもしんねぇぜ?」  言った途端、件の小料理屋の入口が開いて、食材の段ボールらしき箱を抱えた粋な美女が姿を現した。年の頃は40そこそこといったところか。 「──」 「──」  2人は無言で通り過ぎ、数十メートル進んでからようやく口を開いた。 「3百歳には見えねぇネーサンだったな、佐藤」 「わかんねぇよ? 人ってのは見かけによらないモンだからな」 「けどホントは3百歳だったとしてもよ、あんなネーサンならイケんだろ?」 「俺はお前じゃねぇとイケねぇよ」  咥え煙草の同居人を見上げ、山田が目を三角にした。 「そういうイケるじゃねーよっ」 「そういうってのは、どういうイケるだよ?」  山田は唇の端で笑う佐藤から煙草を奪って咥えた。 「てか、坂ねぇなぁ……あれ?」  前方に目を遣った山田が声を上げて立ち止まり、怪訝なツラで振り返ってまた前を見た。 「あそこで終わりだぜ? この道」 「ホントだな」  しばらく先はもう大通りにぶつかっている。信号はあるが完全なT字路で、これ以上直進することはできないようだ。 「なぁんだ、じゃあ結局あの看板は何だったんだよ?」  拍子抜けした山田から煙草を奪い返した佐藤が、ひと口吸って煙を吐き、言った。 「まぁ、坂なんかなくていいじゃねぇか。もう十分上り下りしてきたろうが、俺ら」 「──」 「もちろんこれからだって目の前に出てくりゃ、上りもするし下りもするけどな。わざわざ自分から起伏を探すことはねぇ、そうだろ?」  いつになく穏やかな同居人の横顔を眺め、山田は視線を俯けながら、そうだな……と呟いた。 「だけど行き止まりとかいきなり陥没したりすんのはヤだぜ?」 「心配するな、約束する」  山田は佐藤の声を聞きながらもう一度来た道を遠く振り返り、起点からここまでの道のりを反芻して前方の大通りに目を戻した。  何故だか少し、鼻の奥がツンとした。  奥歯を噛んで深く息を吸い、込み上げる何かを堪えるようにひとつ瞬きをしてから、ゆっくりと息を吐き出す。  それから、とにかく行こうぜと相棒の背中を押し、山田は笑って声を上げた。 「あ、ホラあの角にスーパーあんじゃん? 行ったことねぇ店だよな? 今日はあそこで買い物して帰ろーぜ!」

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