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第61話 続・山田オッサン編【41】

 前日の土砂降りから一転、やたら晴れまくった土曜の午前中。  ベランダで洗濯物を干していた山田は、ふと隣の洗濯物に目をとめた。  男女の衣類が入り混じって干してある。しかも女物の服はカタギとは思えないようなシロモノばかり、下着類はやけにカラフルでセクシィなモノばかり。  ちなみにこのマンションのベランダは隣との境界付近が3分の1程度引っ込んだ構造になっていて、狭くなった部分に隔板を嵌め込んである。おかげで手すりの際に立てば隣家のベランダが丸見えだという、今どき珍しくプライバシーに配慮のない設計だった。  ともかく、あんな隠すべきところを隠せないようなパンツを穿いてる女が住んでるんなら、そりゃあ是非とも御尊顔を拝したい。  しかし隣は先週あたり引っ越してきたばかりで、オンナどころか野郎もまだ見たことがないし、声や物音すら聞いたことがなかった。  ──あんなパンツ穿いてんのに声が全く聞こえねぇなんてあり得るか?  それを言うなら自分の声も隣に聞こえてることになるワケだけど、そこは山田は考えなかった。  で、とにかく隣のベランダの下着類を舐めるようにガン見していたら、ちょうどサッシが開いて住人が出て来た。  ただし野郎だ。それもスキンヘッドに近い坊主頭、耳には小さな輪っかのピアス、身長は山田とそう変わらないぐらいか。こちらに向いた目は気怠いながらも眼光は鋭く、どちらかと言えば細身ではあるがTシャツの袖から伸びる二の腕は案外筋肉質で、チラリと十字架のタトゥが覗いていた。  ──ヒモ?  山田の脳裏をひとこと過ぎったとき、隣人が挨拶を寄越した。 「どうも、こんにちは」  思ったよりトーンの高い声だった。  山田は動揺を隠して答えた。 「あ、どーも」 「いい天気ですねぇ」 「そうっすねぇ」 「昨日は酷かったですけどねぇ、雨」  ──ナニこの普通な会話!?  山田はますます動揺を隠し、何気ない風を装いつつ洗濯物を干しながら隣人の様子を窺った。  が、男は何気ないどころか手摺に肘を引っ掛けてガッツリこっちを見ていた。 「会うの初めてですよね?」 「えぇ間違いなく」 「引っ越してきたとき、挨拶に伺わなくてすみません」  ──ナニこの、普通な上にそこそこちゃんとしてる感じ!? 「1人……じゃないですよね? 2人?」  どうやら干された洗濯物を見て言ったらしい。 「えぇまぁ」 「女と……じゃないですよね? 兄弟?」  どうやら干された洗濯物を見て言ったらしい。 「いえ他人っす」 「どういう他人?」 「あぁ、会社の同僚で」 「会社の同僚と暮らしてるんですか? 男2人で?」 「えぇまぁ」 「へぇえ、仲いいんですねぇ」  いやに感心したように相槌を打った隣人は、山田の右手の薬指の金属をチラ見したようだが何も言わなかった。  そこから気をそらすためにも山田は意を決して訊いた。 「あの──そちらは?」 「え?」 「そちらも2人っすか?」 「いや、1人暮らしです」  アッサリ答えたボウズを山田は凝視した。  でもじゃあソレは!? ツッコみたい気持ちがノドまで込み上げ、耐えようとして噎せ、山田は結局たまらず口から吐き出した。 「でもあの、じゃあソレは?」  ジャングルで木々から垂れ下がってる植物みたいにブラ下がるセクシィ下着たちを指差すと、隣人は事もなげに「あぁ」と言った。 「俺のです」  山田は数秒、無言で野郎を眺めた。 「は?」 「俺のです」 「──」 「あ、単なる趣味ですよ」 「え、あの、どんな趣味っすか?」 「女装です」  ボウズはまたしても事もなげに言った。 「え、その、どうするんスか? 女装して」 「いや、するだけですよ」 「その格好で出かけたりとかは?」 「しません」 「じゃあ趣味仲間で見せ合うとかも?」 「あぁ、それはしますね。直接会ったりはしませんけど自撮りしてSNSに上げたりとか」 「マジで? それ、女装って明かして載せてんの?」 「そうですよ? 良かったら見ます?」  山田は目の前のスキンヘッドと下着たちを見比べ、ついでに意味もなく眩しく晴れ渡った青空を見上げて目を細めてから、肚を括って答えた。 「見ます」  途端にボウズが満面の笑顔を浮かべて尻ポケットから出したスマホを操作し、インスタの画面を出して寄越した。 「──」  そこには、バッチリ化粧したセクシィ美女が氾濫していた。  目元にはツケマ、さまざまな色のカラコン。写真によってヅラも違う。金髪、黒髪、白髪、茶、青、黄緑、紫……長さもスタイルもさまざまで、しかしどれもが恐ろしいほど似合ってて、どれもが呆れるほどSNS映えする画像だった。中には、今まさに目の前に垂れ下がってるブラジャーが胸元に覗いてる写真もある。  山田は言葉を失ったまま隣人のほうにスマホを翳し、画面と生身の間を何度も視線で往復した。  ──こんなに変わるモンなのかよ!?  とりあえず、会社の忘年会でリーマンたちが変身するおざなりな女装とはまるで格が違う。 「写真も部屋で撮ってんの?」 「そうですよ」  ウチと同じ間取りだよな? どうやったらこんなフォトジェニックな背景になるんだ? てかこんなトコで毎日生活してんのかコイツ? いや1人で2部屋んトコに住んでんのは、そもそもソレ用の部屋を作るためなのか? 「良かったら、やってみます?」 「は?」  山田は青空と同じくらい眩しいボウズの笑顔を見返した。 「女装はね、男っていう職業からの解放ですよ」  男っていう──職業? 「こんな解放感、真夏のリゾート地でも味わえませんよ」 「──」 「何だったら、下着からどうぞ」 「──」  その夜、山田は休日出勤の同居人が帰宅するなり玄関先で飛びついて痛切な心情を吐露した。 「佐藤よう、オレは今日、危うく新しい扉を開くトコだったぜ! 己の深部に潜む裡なる欲望と闘って九死に一生を得たんだぜ……!」 「そうか。何だか知らねぇけど頑張ったんだな」  そして週明けの朝、同居人とともに玄関を出た山田は、 「あ、おはようございます」  坊主頭のリーマンに出くわして震撼した。

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