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第72話 続・山田オッサン編【47-2】

 ご新規3名様ご来店でーす! ホール係の女の子が高らかに宣言し、カウンターの中のオッサンらが口々に応じる。  新規の客が席に収まる物音、おしぼりを運んだ店員に早々とランチをオーダーする声。  それらがひととおり落ち着くのを待っていたように、しばし無言でメシを食っていた佐藤父がビールを干してから山田を見た。 「それは何か、複雑そうなご実家の事情と関係してるのかな?」  山田は一瞬息を止めて吐き、箸を置いた。 「無関係では……ありません」 ひとりでいるときに電話やメールが着信するたび覚えた吐き気を伴う戦慄は、やがて着信の有無にかかわらず訪れるようになった。  もう遠い昔のことだ。なのに今でも時折、ふとした瞬間にそれはやってくる。  たとえば休日出勤で不在の同居人が、なかなか帰ってこない夜。ひとりだという現実をバラエティ番組の騒々しさで紛らわせていても、静かなCMに切り替わった一瞬の無音が記憶の底から忘れていた何かを連れてくる。  もちろんそんなことまで口には出さなかったが、佐藤父もそれ以上ツッコもうとはせず、代わりに言った。 「弘司に、そういう話はした?」 「しました」 「家庭の事情のほうじゃなくて、そのトラウマみたいな件だよ?」 「あぁいえ、そっちは──言ったらアイツ、すごく心配しそうで……」  だから佐藤にすら言ったことがないってのに、何故まだ会って2度目の親父っサンにこんなこと白状してるんだろう? 「心配させたらいいじゃないか」 「でもあの、多分ホントにすげぇ心配するんスよ」 「だから、いいんじゃないの?」  佐藤父は穏やかに笑って最後の唐揚げを口に入れた。  山田は箸を取り上げて丼を手にしたが、結局また置いてしまった。その様子を正面から黙って見ていたダンディなサンオツは、やがて食い終えると言った。 「アイツだって一生のうちに1人くらいは、そこまで入れ込む相手がいてもいいと思うんだよね」 「い──入れ込む?」 「あれ、表現おかしくないよね? 何かに夢中になることを言うよね? 入れ込むって」 「む──夢中?」 「それほど誰かを心配できるなんて、夢中ってことじゃないの?」 「いやあの、えーと、俺には何とも」 「だってねぇ。こないだも言ったように、あの弘司が10年以上も他人と暮らせるなんて思ってもみなかったし、僕が知る限りは誰かに心を砕くなんて芸当ができるヤツじゃなかったよ。山田くんがいなかったら多分、そういう感情を知らないまま一生を終えたんじゃないかなぁ」 「そんな大袈裟な話じゃないと思うんですけど──」 「ホントにそう思う?」  ちょっと首を傾げて目を寄越す佐藤父。 「もしそう思ってるなら山田くんは、こう言っちゃ何だけどまだ少し弘司に対する理解が足りないのかもしれないよね」 「──」 「アイツは、まぁ何ていうか、呆れるくらい他人に興味がないっていうのかな。表面的には普通程度の人づきあいをしてるんだけど、芯の部分では誰のこともどうでもいいっていうか。人として大事な要素の一箇所が決定的に欠けてるっていうか?」  これを長男本人が聞いたら、さぞ怒り狂うだろうな。山田はボンヤリ思いながら耳を傾けていた。 「そこにちょうど山田くんがピッタリ填ったのかなって、僕としては思ってるんだけど。つまり山田くんがいないと弘司は不完全なままってことになるね」  親父っサンは言って、あぁでも──と僅かに表情を曇らせた。 「もしかして一緒にいてくれるなら、弘司じゃなくても良かったりする?」 「え?」 「そのトラウマか何かを受け止めて力になってくれる相手なら、弘司以外でもいいのかな」  山田は数秒迷い、トレイの上に寝かせた箸を無意味に指で辿って、まっすぐ向けられる視線から逃れるように俯いた。 「いえ、もう……」  呟きは、しかし小さすぎて届かないなんてことのないように。  すでに震えてはいない指先を見つめて呼吸を整え、素早く言った。 「もう、アイツじゃないとダメなんです」  佐藤じゃないとダメだ。そうならないように10年やってきてようやく離れたってのに、結局一巡して元に戻ってしまった。 「正直言えば、他に誰もいなかったわけじゃないんです」 「力になってくれる人が?」  山田は頷いた。 「といっても、一緒にいるわけにはいかない相手でしたけど。そっちはもともと重いモンをいっぱい抱えてるヤツで、しかもホントは俺の事情はソイツにはちょっと不都合があって、でも話せば結局は俺の荷物も抱え込んだだろうなって……勝手に思ってるだけですけど、俺が」 「山田くんがそう思うなら、そうなんじゃないの?」 「ただの自惚れかもしれません」  佐藤父は笑っただけで、それについてはコメントしなかった。 「キャパシティの大きな人なんだね」 「えぇ……4つも下なんスけど」  言って山田も笑い、続けた。 「それでもなお背負ってるものが多すぎるから、俺のことは二の次三の次になるってわかってて、だからそのほうが気楽でいいっていう狡い甘えもありました」 「狡い甘えかぁ」 「そうです。負担をかけてることを意識しなくても済む、楽なほうに流れたいっていう狡さがあったことは否定しません。与えられる好意をいいことに……俺」 「そうだなぁ、もし山田くんのほうは全然その人に好意なんかないのに利用しようとしてたんだとすれば、それは確かに狡いんだろうけど」 「いいえ、今でも大事な存在のひとりです」 「じゃあ大丈夫、狡くなんかないよ」  佐藤父は相変わらずの笑顔であっさり断定した。不思議なことに、それだけで何かが少し軽くなった気がした。

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