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第75話 続・山田オッサン編【48】
その日の朝イチ、営業一課部屋に珍客が現れた。
「おいこらスバルっ、お前だろ? コレ置いてったの!」
入口に立つなり喚いた訪問者を、その場にいた全員が一斉に見て一斉に固まった。
怒鳴り込まれた本人、ただひとりを除いては。
「わぁ山田さん、来てくれるなんて嬉しーい!」
飛び跳ねるように立ち上がった本多昴23歳が、上司である佐藤係長のハニーに駆け寄って飛びつくように抱きついた。ちなみに今現在、係長は会議中で不在。
「お前な、弁当とかいらねぇっつっただろーが昨日!?」
昨日、二課部屋にやって来たスバルに「お弁当作って来たら食べてくれます?」と訊かれたから食わねぇとソッコー答えた。なのに今朝出勤したら机の上に、なんと風呂敷包みの三段重が置いてあった。
「ただでさえいらねぇっつったのに、ナニこのデカさ!?」
「デカさじゃ佐藤係長に負けない意思表示です」
「ちょ、お前ソレまさか下ネタかよ?」
「女子が下ネタ言っちゃいけません?」
「25歳になるまではダメだ!」
「えぇえ、何ですかぁ? そのR指定っ?」
スバルが言って伊達メガネを指先でクイッと上げ、高らかに主張した。
「成人指定はクリアしてますから! 私が朝、山田さんと一緒にそこらへんのラブホから同伴出勤したって何の法にも触れませんから!」
「ちょっと課長! 一課の社員教育どうなってんスか!?」
山田が声を上げると、奥のデスクからオロオロと見物していた一課長がビクリと背筋を伸ばして答えた。
「いやあの、うちの課は性教育はおこなってないんだよ山田くん」
「性教育じゃねぇ、社員教育つったんス俺はっ」
「あ、ゴメンね……」
納涼会で山田の影武者にされて酔っ払ったハゲ部長への供物にされた一課長は、どっちが上役なんだからわからない狼狽えっぷりで部下を見て続けた。
「あの、とにかく本多くん、押し付けはいけないよ。とりあえずお弁当を引き取って、ね。早くしないとそろそろ佐藤くんが戻って来ちゃう時間──」
「戻りましたが」
課長が皆まで言わないうちに、山田の背後に佐藤係長が立っていた。
あ……ご苦労さま佐藤くん……と消え入りそうな声で課長が言い、係長が珍客と部下の女子に目を向けた。
「何やってんだお前ら?」
「お前んとこのジョシがよう」
「何ですかその他人行儀な呼び方? さっきまでスバルって連呼してたのに山田さん!」
「わかったわかった、お前んとこのスバルがよう佐藤」
「佐藤係長のスバルじゃありませんからね、山田さんのスバルですから」
「違うし、面倒クセェ! 女子面倒クセェ!」
「あっその発言、次の広報に載るように手配しちゃいますよ? 担当してる総務の子と仲いいんですからね! そしたら山田さん、社内の女子みんな敵に回しますよ? いいんですか? 味方の女子は私ひとりだけになっちゃいますよ?」
「嫌だそんな生き地獄!」
「じゃあ25歳以下女子の下ネタ解禁してくれます?」
「致し方ねぇ、下ネタのほうがマシだぜ……」
で、やっと佐藤係長に説明できた。
「なるほど。別にいいじゃねぇか弁当ぐらい。もらってやれよ」
「あっ何ですか係長、その愛されてる自信からくる余裕みたいなセリフ? いくらイイ男だからって油断してたら痛い目に遭いますよ!」
「例えばどんな?」
「んーと、ハニートラップに掛かって山田さんに証拠写真を送りつけられちゃうとかですね」
「誰がンなトラップ仕掛けるんだよ?」
「私が友達を使って仕掛けます」
「仕掛ける前にカラクリまで明かして宣言するヤツがあるか」
「ていうかホントにハニートラップに使えそうなキレイな子が揃ってますよ? 私の友達。紹介しましょうか係長」
「まぁ、ちょっと前なら乗ってたかもしんねぇけどな、その申し出」
背筋を伸ばした姿勢で両手をポケットに突っ込んで立つ長身の係長は、部下の女子から相棒に目を移し、言った。
「今はコイツ以外いらねぇんだよ」
「──」
二課のヒラは口を開けたまま言葉を失い、一課部屋のギャラリーも各々仕事をしてたフリの手を止めて固まったが、新人女子だけは腰に両手を当てて仁王立ちで係長を見上げた。
「今はってことは、他に欲しいものが見つかればいらなくなるんですよね? 山田さんのこと」
「そういう今じゃねぇ、昔と今の対比だろうが。今とこの先の話じゃなくて」
「先のことなんてわかんないじゃないですか! そんなにキッパリ宣言しておいて心変わりしたら、どう言い訳するつもりなんですか? ねぇ山田さん!」
背中で盗み聞きしてるギャラリーたちがナルホド一理あると小さく頷き、山田が気圧されたように顔を強張らせた。
「むぅ……そこはあながち否定できねぇぜスバル……」
それを聞いた佐藤係長が険悪に目を眇めた。
「山田お前な」
「だって未来のことがキッパリわかるなら、とっくにロト当たって仕事なんか辞めてるぜ? 俺!」
「ソレとコレとは全然違うじゃねぇか、決めるのが自分かそうじゃねぇかだろうが?」
「人のココロは移ろいやすいんだぜ? だから世の中、いろんなとこで痴情が縺れて日々惨劇が繰り返されてんじゃねぇか」
「そうですよ山田さん! 係長との間に惨劇が起こらないうちに私のお弁当食べといてください!」
なんでそうなるんだよ? と係長が眉間に皺を作り、まぁそこまで言うならいっぺんぐらいいいけどよォと二課のヒラが上から目線で譲歩し、どうやら事態が収拾しつつある気配に奥のデスクで課長が嘆息したとき、新人女子がグッと両手の拳を握って目を輝かせた。
「えぇ山田さん、三段まるごとスッポン料理ですから是非! 丸っと完食してくださいね!」
「──」
山田は抱えた三段重を無言で眺め、スバルに目を移した。
「……スッポン?」
「はい。元カレの実家が老舗のスッポン料理屋でカレも手伝ってるんで、付き合ってた頃に握ったネタで脅して作ってもらいました」
そう声を弾ませる23歳女子のキラキラした表情を、30半ばの係長とヒラは迷いながらガン見した。──どこからツッコんだらいい?
やがて山田が口を開いた。
「なんでスッポン?」
「決まってるじゃないですか、山田さんの精力増強のためです。男としての性欲をもりもり増やしてもらってですね、係長が突っ込ませてくれないなら女子に走る! と、そんな展開を期待してるワケですよ私としては。あっ間違っても係長にお裾分けなんかして係長の精力上乗せしちゃダメですからね!」
「やっぱ下ネタ禁止! 年齢制限とかじゃなくお前の下ネタ禁止だスバル!!」
山田の喚きにスバルのブーイングが重なり、課長! と更なる二課ヒラの怒号が飛んだ。
「スッポン弁当、課長が責任持って食ってくださいよ! 部下の尻拭いっす!」
「え──え? えぇえ?」
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