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第80話 続・山田オッサン編【50-4】#
「無理強いしたようですみませんね」
謝るぐらいなら遠慮してくれたほうがもっと有り難いっすけどね。そう言おうかと思ったが自制して、代わりに言った。
「乗りたくねぇクルマに乗るのは珍しい体験じゃないし、まだマシなほうっすよ」
「乗りたくないクルマってのは、例えば?」
「いろいろと」
端折って答えた山田を数秒眺め、秋葉楓は改まった声を出した。
「なぁ一太郎さん。あんた何者だ?」
「フツーのリーマンっすけど」
「あんたやあんたの周辺には手出し無用って、今朝一番でウチの親父から釘を刺されましてね──」
朝イチか、思ってたより早かったな。山田は思った。
親戚筋か仕事関係か、どういうルートを使ったのかは知る由もないし知りたくもないが、こういうときはジジイも役に立つ。ていうか、こういうときぐらいしか役に立たない。
「じゃあ俺がコレ乗らなくたって同居人に迷惑はかけらんなかったワケっすよね」
「まぁ、それぐらいの方便は大目に見てくれませんかね」
「なぁ楓さん。俺は別に何モンでもねぇし、同居人のためじゃなかったらこういう手段は採りたくもねぇ。ただし言い方を変えれば、同居人のためならどんな手段でも採る覚悟がある。それだけは言っておきますよ」
といっても自分のチカラじゃないし、親父に下げたくもない頭を下げるってだけのこと──正確に言えば、母親から怒鳴りつけといてもらうだけ──ではあるけど、もちろんそんなことまでは口にしない。
「身を呈してダンナさんを守るってわけですかね」
「別にそんな殊勝なアレじゃないっす」
ダンナってひとことは引っかかったが、もう面倒だから否定しなかった。
「手出し無用ってのは、でも一太郎さん──迷惑をかけさえしなければ、あんたに近づくことは許してもらえるんですかね」
「近づくって何スか? すでに近づいてますよね」
「普通に、隣人の兄として付き合ってもらえるかってことです」
「はぁ……顔見知りが増えるのは歓迎ですけど、お供は連れてねぇ知り合いしか作んねぇようにしてるんスよ、俺」
ルームミラーの中の目がジロリとこちらを掠めるのを視界の端で感じたが、気づかなかったフリをした。
「つまり、ピンで乗り込む分には問題ないわけですね」
「ウチに乗り込まれたら、それはそれで困りますけど」
「お宅にお邪魔はしませんよ」
「じゃあ別に構いませんが」
「ついでに……」
秋葉楓は言って、ゆっくりと脚を組み替えた。そこに肘を掛け、やや上体を傾けて山田を覗き込んでくる。
「あんたは同居人に心底惚れてるようだけど、俺が勝手にあんたに惚れることも許してもらえませんかね」
秋葉兄のセリフにはツッコみたい点が2箇所あった。そもそも2つの要素しか含んでなかったから、つまり丸っとツッコミどころ満載のセリフだった。
が、ひとつ目はまだいい。同居人に惚れてるって点については、他人の口から指摘されたくはないが事実には違いないからいちいち言い訳はしない。
しかしふたつ目はどういうことだ? 一体、何がどうなったらそうなるんだ?
そこは運転席の番犬も同じ思いだったらしい。ギョッとしたツラで一瞬振り返ってまた目を戻すのがチラリと見えた。
「あの楓さん、それってどういう意味の惚れるってヤツですか?」
「これから考えます」
「先に決めてから訊くモンっすよ、そんなの」
「惚れるの意味によって答えが変わるんですか?」
「そりゃそうです」
「じゃあ、あんたを降ろすまでには決めますよ」
それを聞いて、ふと窓の外に目を遣った。暗いフィルムの向こうを行き過ぎる風景は、少なくとも見慣れた帰宅ルートじゃない。そりゃそうだ。いくらチンタラ走ってるとは言え、クルマならとっくに着いてるはずだった。
今どこ走ってんの? そう訊こうとして隣を見た山田の頬を、突然男の手が掴んだ。
次の瞬間には、質問を吐き出すはずだった口を唇で塞がれて強引に舌を突っ込まれ、そのまま手荒くシートに押し付けられながら噛み付かんばかりの激しさで濃厚なキスを喰らっていた。
そしてボスのご乱心をミラー越しに目撃してしまったらしい番犬が、またギョッとして泡食ったのか一度クルマが大きく蛇行し、弾みで密閉されていた唇がブレた隙に山田は思わず喚いてしまった。
「コラッ、楓!!」
途端にまたクルマが蛇行して、テメェ! と番犬が怒鳴ったが、秋葉楓の声が菊池! と被さって運転席の怒気をぶった切った。
で、どうにかレクサスは軌道修正して走り続け、隣でシートに凭れて息を吐いた野郎はしばらく何かを考えるように目を伏せた。かと思うと唐突に伸ばしてきた手で胸倉を掴み寄せて再び唇に喰らいついてきたモンだから、山田は今度こそ舌を入れられないうちに押し返してまた怒鳴ってしまった。
「だからっ、楓!! このヤロウ!」
で、お約束のようにまたレクサスが蛇行。
──なんのコントだよコレ!?
もはやお笑いコンビに付き合わされてるような気分になった山田が何かツッコんでやろうと口を開いた瞬間、秋葉楓が唐突に目の前で相好を崩した。それはもう嬉しそうに。
「たまんねぇなぁ、一太郎さん」
「はぁ!?」
「あんたになら何度でも怒られてぇよ」
「え!? あんたまさかドM!?」
途端にクルマが蛇行。
ついに山田は運転席にも喚いた。
「いちいちフラフラさせんのやめてくんねぇ!」
「なんだとコラ!」
「菊池!」
「あ……すんません」
「てかちょっとさぁ、今ドコなワケ! そろそろ帰してくんねぇっ?」
「あぁちょっと遠回りさせてもらいましたけどね、もうすぐ着きますよ」
言われて暗い窓の外に目を凝らすと、辺りはいつのまにか見覚えのある風景に変わっていた。
そして言葉どおりクルマはほどなくマンションの前に滑り込み、さっさとドアを開けた山田の背中を秋葉楓の声が追ってきた。
「さっきの答え、決めましたよ」
「何の答えっすか?」
「惚れるの意味です」
「聞きたくねぇ」
「じゃあ言いません」
隣人そっくりの目付きの悪さで唇の端に笑みを浮かべた秋葉楓を、ドアの向こうに素早く遮断する。
幸いソイツが再び開くことはなく、運転手の気持ちを反映してか速やかに走り出したレクサスのケツをちょっと目で追い、山田は溜息を吐いてエントランスに足を向けた。
あぁクソ、面倒くせぇモン釣っちまったなぁ──
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