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第81話 続・山田オッサン編【51】

 無色透明、赤、緑、青、黒、黄色、ピンク、水色。  出入りの業者がノベルティのサンプルだと言って大量に置いてったプラスティックの下敷きが回ってきた。 「おぉ、なんか懐かしいなぁ!」 「好きな色取って回してください」  山田の机にドサッと下敷きの束を置いた隣席女子が言ったが、彼女は一枚も抜いてなかった。 「いらねぇの?」 「だって使い途がないんですもん」 「そうなんだよなぁ、今どきはよう……でも欲しくなんねぇ? こういうの」 「そういう男子的貧乏症の発想は持ち合わせてないんです」 「若ぇのにナニ言ってんのナオミちゃん、人生遊び心が大事だぜ?」  赤い下敷きの外袋をバリッと開けながら山田が言うと、まだ20代のナオミは首を傾げた。 「そんなものが遊び心とどう関係あるんですか?」 「ンなモン決まってんだろ?」  言うが早いか下敷きでナオミの頭の天辺を擦り始めると、わぁ! って叫んで避けられた。 「やだもー山田さん!! 何すんですかっ」 「ちょ、避けんの早すぎねぇ!? まだ全然立ってねぇし髪!」 「小学生ですかっ、てかソレ髪の毛纏めてる子にやったらほとんど犯罪ですからね!?」 「ナニ言ってんの? それぐらいの分別はあるっつーの俺だって。ナオミは何にも頑張ってねぇからやったんじゃん」  ナオミによって二課部屋から叩き出された山田は、下敷きを手にブラブラと廊下を進んだ。  しばらく行くと田中に出くわした。 「おぅ山田」 「なんかすげぇ久々な気がするぜ田中」  ますます子育てに追われる田中は最近、喫煙ルームにもあまり姿を見せない。タバコ臭をつけて帰るとヨメさんに怒られるらしい。  ──墓場だぜ全く……。  いや、ただ墓場で眠るだけならまだいい。しかし田中のソレは地獄だ。山田は思ったが口には出さず、下敷きの刑に処しないことで憐憫の情を示した。 「お前、何持ってんだ?」 「いや別に、あー田中、また近々飲みに行こうぜ? 焼き鳥屋のサンオツデーにでもよ」 「あぁいいな」  口約束だとわかっていて交わす言葉の、なんと虚しいことか。山田は下敷きを閃かせてじゃあなと言い、再び歩き出した。  しばらく行くと部長に出くわした。 「あ、お疲れさま山田くん」 「様っす……」  上の空で返事をしながら、山田の目はハゲ部長の頭部に残る心許ない毛束に吸い寄せられていた。  あぁああアレ擦りてぇ──!! 「どうしたの、山田くん」 「あの、大事な御髪を下敷きで擦らせてもらえたりしませんよね」  思い切ってダメ元で訊いてみたら意外にも即答が返った。 「山田くんが下の毛を擦らせてくれるなら喜んでやらせてあげるよ?」 「断念します」  山田も即答で返し、再び歩き出した。  しばらく行くと鈴木に出くわした。 「──」 「──」  先輩と後輩はしばし、無言で対峙した。  何しろ鈴木の手には緑の下敷きがブラ下がっていたのだ。  2人の間に緊張が走り、空気が張り詰めるのを体感した瞬間、山田はカーペットを蹴って飛び出していた。 「不意討ちなんて卑怯っすよ山田さんっ」 「俺の辞書にはそんな言葉は載ってねぇっ」  30代のリーマン2人は会社の廊下で取っ組み合って下敷きで互いの頭を擦り合った。 「ワハハ鈴木てめぇ! すげー立ってやがる!」 「山田さんが立たないのはコシがなくなってるからじゃないんスか!?」  通りかかる者たちは皆、彼らを避けてそそくさと行き過ぎる。誰も止めないモンだからいやが上にもヒートアップして行く下敷きバトルが最高潮に達しようとしたときだ。  行く手の角から野郎とジョシの2人連れが現れた。  サンオツになってくると若い女子をいちいち全員把握してもいられないが、とにかく溢れんばかりに若くて滴らんばかりにセクシィでギュッと抱いたらポキッと折れそうに細い、どっかの課の女子社員にぴったり寄り添われて現れたのは乙女ゲーム王子こと本田修一郎だった。  彼ら全員が互いの存在を認識した瞬間、本田の顔面にわかりやすく3つの感情が浮かんだ。  ──鈴木さん違うんです彼女は!  ──鈴木さん髪立ってるの可愛いです!  ──鈴木さん! 山田さんとそんなにイチャついて!  が、どれも声にならないうちに熱の冷めた表情の鈴木が、 「山田さん、勝負はお預けっすよ」  そう言い捨てて髪をひと房おっ立てたまま下敷きを手にクルリと背を向け、何事もなかったかのように立ち去った。 「鈴木さん!」  慌てた本田が後を追って駆け出すと、残された女子が小さく舌打ちするのが聞こえた。 「撮り損ねたわぁ……」  呟いて山田の視線に気づいた途端、お疲れさまでぇすと笑顔を作って遠ざかって行った彼女は何か予想外のことを残念がってたらしい。  遊び相手がいなくなってしまったから、山田はとりあえず一服することにした。 「あれ佐藤」  喫煙ルームに行くと同居人がいて、何やら難しいツラで煙草を咥えたまま手にした書類を眺めていた。 「あぁ山田」 「ココは仕事を忘れるための小部屋だぜ?」 「まぁな」  短く言って眉を顰め、灰皿に灰を落とすツラを見ながら山田は煙草を咥え、火を点ける前に手を伸ばして佐藤の頭を下敷きで猛然と擦った。 「お前な!!」 「わは、すげー立った!」  眦を吊り上げる佐藤に構わず山田が大喜びすると、敵は毒気を抜かれたように溜息を吐いてヒップバーに体重を預けた。 「全く──」  煙草を咥えた唇の端を曲げて笑い、貸せよと手を出して寄越す。  一拍迷って素直に差し出した下敷きを受け取った佐藤は、そのまま手を伸ばして山田の頭を擦り、試すように浮かせて覗いて小さく笑った。 「懐かしいな」 「ナニそのテンション!? ありえねぇ!」 「あぁいや悪ィ、ちょっと忙しすぎて切り替えがうまくいかねぇんだ」  そう言いながらもダラダラと山田の脳天を擦り続けては、フワッと髪を立ててニヤニヤする。 「何だよ、ひとりで楽しんでよう」 「いいじゃねぇか、ストレス解消させろよ」 「もー、ちょっといっぺん返せよ」  下敷きを取り合って笑い合っていたふたりは、ふと揃って入口に目を向けた。 「──」 「──」  陽炎のような殺気を揺らめかせた本多昴が、黒い下敷きを両手にブラ下げ、ガラス戸の向こうに立っていた。

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