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第83話 続・山田オッサン編【53】
「ハロウィンですよ、山田さん」
ベランダで洗濯物を干しながら、隣人のボウズは相変わらずの目付きの悪さで言った。
「堂々と自分を脱ぎ捨てて別の何者かになることが許されるイベントシーズンです」
「なんでそういちいち詩的に誘うかな、あんたは」
山田は煙草を咥えたまま自分のパンツを干しながら言った。このパンツは風呂上がりに穿いて間もなく同居人の手で脱がされて、結局ロクに使ってもないのに洗濯機に放り込まれたヤツだ。
「じゃあストレートに言い直します。せっかくのハロウィンなんで山田さんをコスプレさせてください」
「なんかいろいろ日本語おかしくねぇか?」
「山田さんだってしたいですよね?」
「その強引さは血筋なのかよ?」
「そういう検証は専門外なんでわかりません」
「うまいコト言って躱したつもりか?」
「じゃあ仮装するかどうかはとりあえず置いといて、お茶でもにし来ませんか」
さすがボウズ──こんな目付き悪ィクセに甘言を弄して人心を操りやがる……。
僧侶でもないただの坊主頭に操られた山田は、洗濯物を干し終えると先日カーチャンが持ってきた贈答用の菓子の山から適当な数箱を手土産に選んでノコノコと隣家を訪ねた。
筋モンのお家柄で女装趣味にハマッてる坊主頭の自宅は、まず三和土から見る限りは少なくとも標準的な独身野郎の部屋から大きく外れてはいなかった。ただ不自然なほど片付いてる。鈴木んちも片付いてるけど、あっちは不自然なほどモノがないと言ったほうが正しい。
「紅茶とコーヒー、どっちがいいですか?」
エリカがキッチンから訊いて寄越した。
コーヒーと答えながら目を遣ると、エリカの背後には何だかやたらコジャレた調理器具が並んでいて、食器類もカフェっぽいテイストのモノだらけだった。
「もしかしてそのへんにあるモンも写真用の小道具なのか?」
「えぇまぁ。でも実用してますけどね」
「あんたの生活の中心は女装とインスタか?」
「生活の中心はあくまで仕事ですよ」
「仮の姿だよな? 仕事中に突然電話ボックスで着替えたりするんだよな?」
「山田さん、スーパーマンの仮装でもしたいんですか? 残念ながらウチには女物の衣装しかないんですけどね」
「お茶だけしに来いって言ったよな、エリカ」
「そんなに警戒しなくても服を剥ぎ取って着替えさせたりしませんよ」
「じゃあいいけど、でもあんたが今からコスプレするってんなら付き合って見学するぜ?」
「要するに見たいんですか?」
「うんまぁ、そういうワケじゃねぇと言ったらウソになる」
というわけでコーヒーを受け取った山田は、エリカの変身をつぶさに見物させてもらうこととなった。が、ソレ用の部屋は飲食禁止とのことで、とりあえずマグを手に入口から室内を見学。
「──」
一体どんな亜麻色の髪の乙女が暮らしてんだってツッコみたくなるその部屋は、女子向けインテリアの通販サイト画像からそのまま持ってきたかのような、おそろしくガーリーで鬱陶しいほど女子力の高いオフホワイトとピンク溢れる空間だった。
山田は全面バラ柄のカバーに覆われたベッドに目を据えたまま、頭に浮かんだ恐ろしい疑問を素直に口にした。
「まさか夜そこで寝てねぇよな?」
「寝てますけど何か」
その光景は想像しないことにして、速やかに話を逸らす。
「やっぱハロウィンはそれっぽい女装すんの?」
「もちろんです」
この、ツラに似合わないモチベーションの高さ。
「どんな格好すんの?」
「今年はスタンダードに魔女にします」
「え、普通すぎねぇ?」
「メインはあくまで女装ですから、テーマは二の次なんですよ」
「そんなモンなのか?」
しかしエリカが出してきた魔女のコスチュームは山田の想像と違い、真っ赤でやたら露出度が高くてレーシーでセクシィなミニのワンピだった。
「──」
山田は無言で、目付きの悪いボウズと真っ赤な小悪魔衣装を見比べた。
「何か?」
「いや……俺に構わず続けてくれ」
「じゃあ失礼して」
エリカはそう言うと、言葉どおり山田に構わずTシャツもジーンズもさっさと脱ぎ捨てた。
そしてパンイチで赤いワンピに向き直った瞬間、その引き締まった後ろ姿に山田の目は否応なく釘付けになってしまった。
ボウズの背中のド真ん中、正確には左の腰から始まり背骨に沿いつつ肩胛骨の間にかけて、身体をくねらせながら這い上ってるのはそれこそ目付きの悪い龍の彫り物だった。周りにさりげなく散っているのは紅葉だろう。
龍の鱗、赤い葉の一枚一枚、その陰影までが見事に表現された緻密さに目を凝らしながら山田は思った。
コイツ──自分のフルネームを背中に彫ってやがる!!
とんでもない自己愛表現に鳥肌が立ったが、かろうじてノーコメントでやり過ごすうち、ソイツは血の色をした布地で覆われた……と思ったらすぐにまた半身を表した。
何しろその衣装ときたら、背中が半分以上露出するデザインときたもんだ。おかげで山田は堪らず口走ってしまった。
「龍出てんだけど!」
「あ、えぇ? わかってますよ」
しかもまだノーメイクでヅラも被ってないモンだから、そこにいるのは小悪魔衣装を着たボウズというただの変態野郎に過ぎなかった。
「早く! 早くヅラ被れ!」
「そう急かさなくても最後には被りますから」
「最後!? 最後なのかよヅラ!?」
「そんなにヅラが気になるんですか?」
変態小悪魔は思案げなツラでしばし山田を眺め、クロゼットの中に並ぶヅラの列からシルバーのストレートロングを出してきたかと思うと、おもむろに山田の頭に被せた。
「あ、うん」
なんかひとりで納得しつつ、山田の顔周りにハミ出てる自毛を隠してみたりしてやがる。
「……ナニしてんの?」
「いや、悪くないですよ」
「いやいや、煽てたってやんねぇからな?」
「別に煽ててるわけじゃありませんがね」
真っ赤なセクシィコスチュームに身を包んだボウズは、己の仮装の一部──悪魔のツノを象った赤いカチューシャ──を山田のヅラの上から嵌めると、険のある眼差しを更に眇めて言った。
「でもやってくれるなら悪いようにはしませんし、新しい自分を佐藤さんに見てもらうってのも、お2人にとってなかなかの刺激になると思いますよ?」
「──」
「平穏な日常もいいモンですけど、たまには空気を入れ換えてみたらどうですかね」
「──」
その夜、今日も休日出勤していた同居人が帰宅するなり山田は玄関先で飛びついて痛切な心情を吐露した。
「佐藤よう、オレは今日また危うく悪魔に魂を売っ払うトコだったぜ! 何しろアイツときたら小悪魔コスプレなモンだからよう! マジで悪魔の囁きなんだぜ!?」
「そうかそうか、またエリカに誘惑されたのか」
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