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第86話 続・山田オッサン編【54-3】#

「あぁ?」 「あんときお前言ったよな、焼くかって──そうしてぇなら……やれよ」  その目の硬さに、さっきシンクの前で見た深淵のような色が重なってしばし言葉を失った。  確かに言った憶えがある。煙草を吸いながら山田を抱いて、そのクソ忌々しいホクロに火種を押し付けてやりたいと本気で思った。  今だってそうしたくないと言えば嘘になる。でもそんな瑣末な独占欲よりも遥かに優先すべきものの存在が、あまりにも大きい。  佐藤は山田の指を避けて熱を持つモノに触れ、上体にのし掛かってノド元で囁いた。 「お前の身体が堪らねぇほど好きだ。だから焼かねぇ」 「──」 「コイツが気に入らねぇことを思い出させんのは確かだけどな、お前に傷を付けてまで手に入れたいものなんか何もねぇよ」  言って唇を合わせ、深く喰らいついたまま腹の底に押し入ると、山田が佐藤の背中に爪を立てて腰を反らしながら喘いだ。 「ン……んっ」  どう足掻いてもこれ以上は不可能なところまで埋め込み、一分の隙もなく山田と繋がって初めて、ようやく自分という人間が完成する。いつからだろうか、そんな錯覚をおぼえるようになったのは? 「あ──さと……」  啜り泣きのような声を漏らし、ゾクゾクするほど艶っぽいツラで息を吐いた山田が、佐藤の頬に指を這わせて掠れた声で呟いた。 「堪らねぇほど好きなのは……身体だけかよ?」 「──」  佐藤はその濡れた目を眺めてから小さく笑うと、耳に唇を押し当てて山田の望む言葉を押し込んだ。脳ミソに刻み込むように、ゆっくり何度も。  ひとこと口にするたび山田がイキそうに喘ぎ、中をヒクつかせて先端を濡らした。      弛みきったツラで盛大に煙を吐く山田の隣で、佐藤も煙草に火を点た。 「満足したか?」 「はぁ? ナニ言ってんの? それは俺のセリフじゃねぇ? ヒトのケツを自分のモンみてぇに好き勝手使いやがってよう」 「お前こそ何言ってんだ? お前のケツは俺のモンじゃねぇか」 「じゃあ何か? お前のクソも俺のケツから出てくんのかよ?」 「俺は出さねぇ、入れるほう専門だ」 「──」 「大体お前、肥ったの何のってパンイチで大騒ぎしたのはやりてぇアピールなんだろうが?」  途端に山田の目が三角になった。 「はぁ誰が! てか俺のセンシティブな悩みを性欲にすり替えちゃうワケ? てかすり替えたよな佐藤お前?」 「すり替えたんじゃねぇ、正しく受け取ったんだ。そもそもな、そんな悩みがあったらあんな大メシ喰らうのはおかしいと思わねぇか」 「お前のメシが美味ェからいけねーんだろ!? そうでなくても食欲の秋だっつーのに!」 「言い逃れを思いつかねぇからって逆ギレすんな。じゃあ不味いメシ作りゃいいのか?」 「ナニ言ってんの? お前は俺の胃袋を掴んでんだぜ?」 「胃袋とケツの穴だろ?」 「──」 「あのな山田。前にもしたよな? こういう話。いい加減まどろっこしい手を使わずにストレートに言やいいじゃねぇか、やりてぇならやりてぇって」  山田が何か言おうとしたが、佐藤は無視して続けた。 「ケツの話だけじゃなく、要求があればちゃんと口に出せ。お前の考えてることなんか大抵は丸わかりだけどな、意図的に隠されるとさすがに伝わってこねぇし」  一旦言葉を切って灰皿に灰を落とす間、反応はなかった。煙草を咥えて目を遣ると、山田は息を潜めるような表情でこちらを窺っていた。  その指先から立ち昇る紫煙を数秒眺め、また山田に視線を戻して佐藤は言った。 「玄関で俺を待つぐらいなら、早く帰れって連絡を寄越せ」  その瞬間浮かび上がった、虚を衝かれたような頼りなさ。それが玄関先で布団に埋もれていた寝顔を不思議なくらい明瞭に思い出させた。 「俺は別に……ンなの」 「何もいっぺんに全部曝け出せとは言わねぇ、だから今は何と言い訳しようと構わねぇよ。けどな山田」  山田の指先から煙草を摘み上げ、灰皿に捨てる。 「お前よりも優先するものなんかねぇ、それだけは憶えとけ」 「──俺がメタボなサンオツでもかよ?」 「安心しろ、お前はメタボなサンオツになんかなれねぇ」 「ならねぇんじゃなくてなれねぇの?」 「残念ながら無理だろうな」  何だよ、と言って山田がようやく笑みを見せた。  佐藤も煙草を咥えた唇を斜めにして笑い、山田の腹に手のひらを這わせた。 「何だったら、ダメ押しの確認でもしておくか?」 「え?」 「して欲しけりゃ言えよ、要求を口に出す練習だ」 「ナニ言ってんの? 俺はして欲しいとか全然──あ……」

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