87 / 201
第87話 続・山田オッサン編【55】
佐藤弟と山田妹夫婦が、ついに引っ越して同居を始めることになった。
転居先は山田母んちの近くだとか、いっそ佐藤の実家の近くだとかあれこれ検討したらしいが、結局は次郎がせっかく今の保育園に慣れてきたってコトを考慮して近隣で探した挙げ句、
「え──ここ?」
山田は口を開けて目の前の2人を見た。
弟妹夫婦は、なんと兄貴たちが同棲するマンションの空室に入居を決めたというのだ。
「何階?」
「この上よ」
妹が答えた。
「え、上のどこ?」
「だから、この真上」
「──マジで?」
山田が横に座る同居人に目を移すと、佐藤は咥え煙草のままちょっと眉を上げてみせた。どういうジェスチャなのかサッパリわからなかったから素直に訊いた。
「どういう感情表現?」
「だから、まぁ止める権利はねぇっつーか、別にいいんじゃねぇか?」
「あっそう、まぁそりゃそうだけどよ。てかまぁいいんだけど別に」
で、とにかく弟妹と甥っ子の3人家族は兄貴たちの頭上に越してくることになり、契約の都合や何かで2週間後には引っ越しだという慌ただしい話で、その際には前日からバタバタするから次郎を預かってほしい旨の依頼があった。
ちなみに今日は次郎は、また鈴木本田コンビと出かけてるらしい。
「別にそんなのはいいけどよう、でもよく空いてたなぁ」
山田兄が言うと、
「2部屋空いてたよ?」
佐藤弟が言い、
「そう。だから鈴木さんと本田さんも引っ越して来たらちょうどいいのにねって言ってたの」
山田妹のセリフに兄貴2人が目を交わした。
「ちょうどいいって何が?」
「だって次郎がすぐ会いに行けるし、最近ほとんど同居してるも同然でしょ? あの2人」
──ほとんど同居?
兄貴2人はもう一度目を交わした。
──ンなコトになってんの知ってたか?
──いや知らねぇ。
そんなアイコンタクトのあと揃って佐藤弟を見ると、あ、うん、と曖昧な頷きが返ってきた。
「休みの日しか知らないけど、次郎を預けに鈴リンとこ連れてったら修ちゃんが大抵いるのは、まぁ……事実だよ?」
「──なぁ佐藤」
弟から兄貴へと目を転じ、山田が言った。
「俺の記憶が確かなら、鈴木んちはワンルームでベッドはひとつだよな」
「少なくとも、こないだ見舞いに行ったときはひとつだったな」
やたらムーディだったヘッドボード周りのライティングを思い出し、兄貴2人はしばし無言になった。
「ベッドがひとつだと問題なの?」
山田妹の美しい顔面に怪訝そうな色が浮かぶ。
「いや、だってンな、いいトシこいた野郎2人が日常的にひとつのベッドで寝てるとかな? おかしいだろ?」
「お兄ちゃんたちは寝てないの?」
「いや、あのな? 俺らと同じ基準で考えていいならそりゃ、別にいくらでも寝ていいけどな? アイツらも」
「待って待って、そういうの俺まだ聞きたくない。イチさん最近オープンすぎ!」
「はぁ? 何がだよ」
「兄貴との仲を認めすぎだってのっ」
「何の文句があんだよ?」
これは佐藤兄。
「事実なんだからしょうがねぇだろうが」
「ナニその勝ち誇ったよーなツラ? いい気になってっとそのうち捨てられちまうぜ?」
兄弟の応酬は聞こえないフリをして、山田は妹に目を向けた。
「そういや本田んちは行ったことあんの?」
「ううん。たしかまだ実家でしょ? 本田さんて」
「あぁそうだっけ」
「だからいつも本田さんのほうが鈴木さんちに行ってるのよね」
「いや、だからの意味がわかんねぇんだけど」
「だってご実家じゃ2人きりで夜を過ごすわけにはいかないじゃない?」
「──」
それから週が明け、朝イチで喫煙ルームに向かった山田は鈴木と本田の2人に出くわした。相変わらず煙草を吸うでもない本田は、コンビニコーヒーを手に鈴木の隣に貼り付いている。
その距離の近さ──言ってしまえばその値はゼロだ──を見ながら山田は箱から煙草を抜き、慎重に口を開いた。
「なぁお前ら、ひとつ訊くけどよう……最近半同棲状態になってるってホントかよ?」
すると2人は同時に異なる反応を示した。
「そんなワケないじゃないっすか、言いがかりはやめてくれませんかね」
灰皿に灰を落としながら平素と変わらぬツラで鈴木が言う横で、
「やめてくださいよう山田さん、半同棲だなんて嫌だなぁ」
両手で掲げたコーヒーの紙カップで顔を隠し、剝き出しにデレる本田。
「本田くんこそやめてくんないかな、その反応。誤解されるから」
「何が誤解なんですか?」
言った乙女ゲー王子の華奢な指が鈴木の髪に触れるのを見て山田は戦慄した。
その恋愛ゲームの仮想彼氏的な仕種にじゃない。触られた上司が迷惑げに背けたツラの、しかしどことなく甘ったるく見える色合いにだ。
先入観による錯覚なのか、それとも──もうひとつの可能性に慄く山田に、もはやいつも通りの調子に戻った鈴木が訊いて寄越した。
「で、何なんスかねその質問の意図は?」
「あぁ……えっと、じつは紫櫻たちがウチのマンションに引っ越して来ることになってな?」
「へぇ、ついに親子3人で同居するんですね」
「まぁ、やっとな」
「山田さんたちと同じマンションだなんて、何かと便利になりますねぇ」
これは本田。
「まぁな。そんでよう、決めるときに2部屋空いてたから、お前らも2人で引っ越してくりゃちょうどいいのにとか紫櫻が言うモンだからよう。どうせ半同棲なんだし、次郎も喜ぶしとか言ってな? だからいくら何でもそりゃあねぇよなぁって思ったんだけどさぁ俺だって?」
煙を吐きながら努めて何気ない口調で水を向けた途端、妙な沈黙が訪れた。
後輩2人はやけに神妙な目をそれぞれ宙に投げ、それぞれ煙草を吸うかコーヒーを飲むかして何やら思案げなツラでチラリと目を見交わしたあと、またしても神妙な目をそれぞれ宙に投げ、そんな彼らを無言で眺め続けるサンオツ先輩もツッコみたいひとことを口に出せないまま、時間だけがひたすら流れていった。
否定──しねぇの……?
ともだちにシェアしよう!