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第88話 続・山田オッサン編【56】
とある休日。
2人で買い物へ行こうと玄関を出たところで、番犬を連れた隣人の兄貴と出くわした。
「これはこれは、一太郎さんと同居人さん。こんにちは」
相変わらずそこはかとない筋モンの空気を纏い付かせて秋葉楓が言い、番犬が相変わらず獰猛な目で無言の一瞥をくれた。
「はぁ、どうも」
にこやかな挨拶に山田が気の抜けた返事を投げ返したが、佐藤は両手をポケットに突っ込んだまま黙って立っていた。
「お揃いでお出かけですか。仲が良くていいですねぇ」
「おかげさまで周りからはオシドリ夫婦って呼ばれてます」
もちろん嘘っぱちだ。
「夫婦なんですか?」
「事実婚っす。てかエリ──弟さんのところですか」
事実婚のひとことに眉ひとつ動かすこともなく、秋葉兄は短く答えた。
「えぇまぁ」
「そちらこそ兄弟仲いいっすよね」
山田は言って同居人を見た。
「お前は弟とほとんど往き来しねぇよな」
「しねぇ。兄弟でベタベタしたかねぇよ」
同居人のセリフに秋葉の番犬が嚙み殺しそうな目を投げて寄越したが、向けられた当人はどうということもないツラで手にしていた煙草を咥えた。もちろんマンション内の通路で火は点けない。さっさとこの場を切り上げたいジェスチャだ。
秋葉楓が改めて佐藤の全身を目で舐め、唇の端を曲げて笑みを作った。
「まぁウチは今、家庭の事情でちょっといろいろありましてね。ところで同居人さんは随分落ち着いた兄さんですけど、それこそどちらかの関係者じゃないんですよね?」
言われた佐藤は咥え煙草のまま投げやりな声でめんどくさげに応じた。
「そりゃ生きてる限りどっかの関係者ではありますけどね。幸い、そちらさんみてぇな筋には縁がねぇな」
あァ!? と番犬が声を上げたが、ボスに窘められて凶暴な怒気を全身に貼り付けたまま渋々引っ込む。
秋葉楓が感じ悪い目を興味深げに眇め、佐藤のツラをガン見した。
「怖いものは何もないって顔ですね」
「怖いモノがないんじゃねぇ、自分じゃわからねぇだけだ。何しろ俺の心臓はコイツの中に入ってるんで」
言いながら顎で示された山田が口を開け、その間抜け面を秋葉兄の視線が捉え、番犬の獰猛なツラに一瞬の空白が生まれたあと、一同は何事もなかったかのように解散した。
マンションを出ると佐藤は咥えていた煙草に火を点け、その横顔を山田が見上げた。
「お前の心臓、俺ん中に入ってんの?」
「一応言っとくけど比喩だからな」
「俺だってそれぐらいわかるっての。比喩じゃなかったら双発エンジンになっちまうだろオレ? てかだからつまりソレってどういうことなワケ?」
「俺の感情はお前に支配されてるって意味だろうが」
佐藤は煙を吐いて言い、山田は何か言いかけてやめた。
「それよりお前、エリカの兄貴にやけに気に入られてんじゃねぇか」
「はぁ? そうでもねぇよ?」
「相手はあぁいう業界だ、まともに関わらねぇようにしろよ。お前に何かあったら俺の命がねぇ」
「別に心配ねぇけど、俺に何かあったらナンでお前の命がねぇの? 俺ん中に心臓が入ってっから?」
「俺がカチ込むからだ」
「──」
それから2人は予定どおりスーパー目指してチンタラ歩いていたが、山田が突然ジャンプして大声を上げた。
「わぁ!」
「なんだ? まさかまたセミじゃねぇだろうな」
咥え煙草の佐藤に向かって、鬼気迫るツラで山田が喚いた。
「ヅラが!」
「あぁ?」
「ヅラが落ちてた!!」
「エリカのか?」
「違ェだろ! どっかのサンオツのだよ見ろアレ!」
山田の指差すほうに目を遣ると、黒々とした毛の塊がひと山こんもりと路面に貼り付いていた。
「あぁ、こないだの台風んときに飛んだんだな多分」
なくしたヤツ気の毒になぁ……のんきな佐藤の声を聞いて山田の目が三角になった。
「俺ぁ今、サンオツの頭が落ちててしかも踏みそーになったって思って超! ビビッたんだぜ!? なのにそのテンション!!」
またこのパターンか、と言いたげな佐藤がやれやれと溜息を吐く。
「佐藤お前、感情が俺に支配されてんなら一緒に衝撃受けてもいいハズだよな!? そうじゃねぇか!?」
「ヅラじゃなぁ……」
「じゃあ何だったら俺とシンクロすんだよ!?」
温度差に憤慨しながら道路を渡りかけた山田の向こうに、カーブの死角から突然クルマが現れた。
山田! という佐藤の声は急ブレーキの音に掻き消され、減速したワンボックスは一旦停まったものの、何事もなかったと見るやそのまま速やかに走り去った。
が、それでも、咄嗟に後ろから山田を引き寄せていた佐藤が滅多に聞かない大声で怒鳴った。
「バカ野郎!! ヨソ見しながら渡るんじゃねぇ! 子供かお前はっ!?」
耳元で喚かれて顔を顰めた山田はしかし、まだ佐藤の胸と貼り付いてる背中に動悸を感じて、しばしその脈動に意識を奪われた。
跳ね上がった山田の心拍数と同じ速さで脈を刻む、佐藤の鼓動。
山田はチカラを抜いて同居人に体重を預け、あぁそっかぁ──と笑った。
「お前の中には俺の心臓が入ってんだなぁ、佐藤?」
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