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4.想定外と予定外2(3)

     *  *  *    宣言通り、足繁く通う優駿の顔を、宰は以前にも増して見ないようになっていた。  あんな夢を見たからと言って、自分では特に気にしていないつもりだった。  なのに「何かよそよそしいわね」と薫に突っ込まれ、そのせいで変に気まずいような心地になってしまったからだ。  しかも、あれから何度も同じ夢を見ていて、それがなぜかも解らないまま、おかげで寝不足にもなり、さすがにこのままではどうにかなってしまいそうで、 「はー。まさか熟睡したいために誘われるなんてね」  堪えきれず宰は久々に自分から声をかけたのだった。 「嫌ならいいですよ。他当たりますから」 「他って」  行きつけのバーを後にして、ホテルまでの道のりを並んで歩いていたのは柏尾だった。  相変わらず可愛いげのない言い方しかできない宰に、あくまでも普段通りに苦笑しながら、 「そんな誰でもいいみたいなのは感心しないなぁ」 「アンタに言われたくないです」 「はは、言い返せない」  柏尾は戯けるように小さく肩を竦める。 「でもまぁ、変なのにだけはひっかかるなよ」 「余計なお世話です」  言われても、やはり宰は素直にはなれず、かと言ってほどほどに酒の入ったその目は既にとろんとしていて、足取りもだんだん覚束なくなってきていた。  柏尾が腰を抱こうとすれば「独りで歩けます」と突っぱねるものの、そのくせ時折ぐらりと体を傾かせては柏尾の方に寄っていく。  そうしているうち、大きくふらついた宰の頭がこつんと柏尾の肩に触れて、その時、 「あれ? 美鳥さん?」  通りすぎた脇道の方から声がした。 「!」  宰の足が止まった。  遅れて立ち止まった柏尾が振り返ると、宰は顔を強張らせ、固まったまま動けなくなっていた。  コツコツと足音が近づいてくる。  柏尾が先に相手の方を見た。  柏尾には及ばないが、宰よりは長身で、どこかあどけない雰囲気を残したスーツ姿の男。男は宰の横顔が確認できるところまで歩いてくると、「あ、やっぱり!」と少し大袈裟に声を上げた。 「お久しぶりです。憶えてます? 俺のこと」  それから覗き込むようにして、まるで何事もなかったかのように話しかけてくる。 「……」  宰はそれに答えられなかった。答えられないどころか、まともに目を上げることすらできないままだった。  けれども、その男が誰なのかはすぐに分かった。見なくても間違いないと確信していた。 「美鳥さん? ……いや、美鳥先輩って言った方がいいのかな」  〝先輩〟――その言葉に、無意識に身体がぴくりと震える。  宰が何も言えないでいると、男は更に無遠慮に下から顔を覗き込み、 「嘘、マジで憶えてなかったりします?」  やはりどこか大仰に口元を押さえて僅かに苦笑した。  男は夢に出てきた後輩だった。  宰の心の中に、今なお消えることなく残っている苦い思い出。いくら忘れたいと願っても、なかなか忘れられないでいるその時の相手が、目の前に立っていた。 「ねぇ、先輩。俺だよ? あんなに先輩が――」 「ちょっと君、宰……美鳥に何か用? 悪いけど、こっちは急いでるんだよね」  男は何食わぬ顔で宰の肩に触れようとしていた。それを寸でのところで柏尾が阻む。次の瞬間、柏尾は宰の腕を引き、否応なく自身の後ろにその身を追いやっていた。 「――…」  男は驚いたように口を噤んだ。  束の間沈黙が流れると、周囲の喧騒の中、耳につくのはどこからか聞こえる酔っぱらいの笑い声や、学生が騒いでいるような声ばかりだった。  宰はようやく顔を上げた。 「……へぇ」  やがてため息混じりの声を漏らし、男は表情を変えた。 「先輩、まだ男が好きなんだ」  嘲るように向けた眼差しは、先刻までとは打って変わって別人のようだった。別人のようだったが、宰はその眼差しに憶えがあった。  それは夢の中――遠い記憶の中で、男が宰に最後に向けた眼差しと同じだった。

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