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5.苛立ちと躊躇い(4)

「……っ、!」  突然のことに、反応が遅れた。  それでもはっとした瞬間には、柏尾の身体を強く押し返していた。持っていた花束がばさりと音を立てて足元に落ちた。 「……俺とアンタは、こう言う関係じゃねーだろ……」 「じゃあどういう関係なの。ヤりたいと思ったときにヤるだけの関係?」 「そ、れは……」 「まぁ間違ってはいないよな。大丈夫だよ、どうせ誰も見てない」  拭うように手の甲で口許を押さえる宰に、柏尾はちょっとふざけただけだよ、と床の上の花束を拾い上げながら小さく笑った。  壁のネームプレートに、『小泉優駿』と書かれているのを確認してから、柏尾が軽くドアを叩く。すると間も無く「はい!」と聞き慣れた声が返って来た。 「え! わ、チーフさん?!」  先に部屋に入った柏尾の顔を見るなり、ベッドに横になっていた優駿は勢いよく上体を起こした。 「あー、そんな。横になったままでいいのに」 「いえ、だって、チーフさんが来てくれたってことは、お店に伝わっちゃったってことですよね? ……ごめんなさい、俺、誰にも言わなくていいって言ってたんですけど」  申し訳なさそうに頭を下げる優駿に、柏尾は「いやいや」と首を振る。  そしてベッド脇へと歩み寄る傍ら、ちらとドアの方を見た。 「別にこっちも無理して来たわけじゃないから……な、ほら、お前も入れよ」 「え……?」  優駿が微かな声を漏らし、その視線の先を追う。 (お前とか……)  そこは美鳥でいいだろ。  心の中で呟くものの、ここでそう口に出すわけにもいかず、ドアの外に立っていた宰は諸々煩わしく思いながらも優駿の前に姿を現した。 「えぇっ?! みっ……、みみ……っ」  これ以上ないくらいに目を見開いて、口をぱくぱくさせる優駿の他に、部屋には誰もいなかった。いなかったが、窓寄りに設置されたカウチには小ぶりなショルダーバッグや薄手のカーディガンが置かれており、誰か付き添いか先客が来ているような気配はあった。たまたま今は席を外しているだけなのかもしれない。 「み、美鳥さんが来てくれるなんて……夢みたいです」 (だから大袈裟なんだよ)  柏尾の数歩後ろに立ったまま、宰は小さく息を吐く。形式的な会釈と共に、言葉少なに「どうも」とだけ挨拶をすると、後はもう我関せずとばかりに目を逸らす。  そんな宰の態度に、柏尾が少し呆れたように笑いながらも話を切り出した。 「……じゃあ、俺から」  宰は内心ほっとした。このまま柏尾に任せられれば、自分は何もしなくていいはずだ。してもせいぜい帰りの挨拶をしてドアを閉めるくらいで、それ以外はただ時間が過ぎるのを待っていればいい。 「あ、電話」  なのにその直後、まるでそんな宰の心を読んだかのように、柏尾の携帯に着信が入った。 「ごめん、ちょっと電話してくる」  おかげで柏尾はすぐさま踵を返し、すれ違い様に持っていた見舞品を宰に押し付け、足早に部屋を出ていってしまう。 (は……? え?)  断る間も無く渡された花と品物を抱えて、宰は呆然と立ち尽くした。  とどめとばかりに響いたドアの閉まる音に、ぴくりと僅かに肩が揺れた。

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