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5.苛立ちと躊躇い(5)
(冗談だろ……)
さっきまでの空気が嘘のように、部屋の中が静まり返る。突然二人きりになってしまった状況に、不本意にも頭が真っ白になった。
優駿を相手にすることくらい、慣れているはずなのに、どうしたらいいかわからない。
かと言って、ロビーまで行っただろう柏尾は恐らくすぐには戻ってこないし、そんな柏尾をこのまま時が止まったように待ち続けるのも居た堪れない。
仕方なく、宰はひとつ息をつき、それから半ば無理矢理に顔を上げた。これ以上不自然な間を置いて、変に意識していると思われるのも嫌だった。
「!」
宰と目が合うと、優駿は弾かれたように背筋を伸ばした。ずっと目を合わせようとしなかった宰とは裏腹に、優駿はひたすら宰を見詰めていたようだった。
かち合った眼差しが嬉しそうに緩められるのに、胸の奥がまたざわざわと落ち着かない心地になる。
(だから……いちいちそんな風に笑うなって……)
宰は数歩踏み出しながらも、逃げるように視線を下向ける。そしてともかく手の中の花と菓子折の包みを渡してしまおうと差し出して、
「これ、店からです」
「あ、すみません、ほんとに……。でも、せっかく来ていただいたのに、俺……」
けれども、優駿はそう言うなり、一度は受け取ろうと出した手をその場で握り込んでしまった。
「……?」
宰が瞬いて優駿の顔を見ると、
「あの」
珍しく言い淀むと同時に、これまた珍しく優駿の目が泳ぐ。
「き……」
「き?」
「すみません、俺、今日の夕方には退院なんです! すみません!」
シーツの上に落とした手で拳を作り、優駿はそこに額が擦れるほど深く頭を下げた。
「今日?」
「はい!」
「ちょっと待て、それじゃ、入院した理由は……」
宰が聞こうとしなかったため、柏尾もその詳細を無理に教えようとはしなかった。だから宰はその理由を知らない。ましてや、今日退院だなんて。
かと言って、柏尾も柏尾で、そうと知りながら見舞いに来たようには見えなかった。
と言うことは、柏尾も知らなかったと言うことだろうか。それとも、まさか知っていてあえて、なんてことは――…。
「理由は、その……」
半ば呆然としたまま、目の前で深々と下げられた頭を見つめていると、優駿がおずおずと顔を上げた。
「何て言うか……、じ、自転車で転んじゃって」
「自転車……」
「は、はい……でも、ほんと大したことなくて。どこにも傷はないし」
確かに、実際どこが悪いのかわからないくらい元気そうには見える。
しかし、自転車で転んだくらいで入院?
そんなに打ち所が悪かったんだろうか。
いまいち話が見えない宰は、訝しむように目を細めた。
「俺は、その、大丈夫だって言ったんですけど……っ、ど、どうしてもって押しきられちゃって……」
「だ……」
思わず誰に、と返しかけた言葉を飲み込む。
なのに背後からそれに答える声があった。
「私が言ったんです」
音もなく開かれたドアに続いて、小柄な少女がつかつかと部屋に入ってくる。腰まで伸ばした艶やかな黒髪を揺らしながら、少女は宰の横を通りすぎ、優駿の傍に寄り添うようにして立った。
「学生とは言え、小泉家の人間なんですから。家のことを考えるなら、検査だけでもしておかなきゃ。何かあってからじゃ遅いですからね」
「麗華……」
優駿に麗華と呼ばれた少女は、高くよく通る声を響かせ、こぼれそうなほど大きな瞳で、さも当然のように言った。
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