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6.優駿と宰(3)

(何やってんだ、あんなとこで……)  優駿は時折取り出した携帯で時間を確認しながら、諦めきれない風に店先をじっと見据えていた。その足元は既に泥だらけで、それどころか髪まで濡れているらしく、短めの毛先が幾筋も額に張り付いていた。  間もなくその正面にさしかかり、優駿との距離は最も近くなった。それを宰は素通りした。色々と気になりはしたものの、見なかったことにしたかったのも本心だったからだ。  けれども、結局次の信号を待たずして車を転回させる。 (……まさかこの雨の中、ずっとあそこで俺を待ってたとか言わねぇよな)  思い至ると、そうせずにはいられなかった。 「っとに、冗談じゃねぇ……」  こんな風に振り回されるのはもうたくさんなのに。  宰は密やかに奥歯を噛み締めながら、来た道を戻った。  やがて進行方向に対し、左手に立っていた優駿の前に車を寄せた。 「……わっ」  突然目の前に車が止まったからか、優駿は仰け反るようにして後ずさった。ぱしゃりと思い切り水を踏む音がして、跳ねた泥水がジーンズに新たな染みを増やす。 「な……、え?」  優駿はそろそろと身を屈め、怪訝そうに車内を覗き込んだ。  宰は運転席から手を伸ばし、助手席のドアを開けた。 「乗るなら乗れ」 「え、えぇっ?」  顔を見せる間も無く言い付けると、優駿は戸惑いも露わに立ち尽くす。だがそう言った相手が宰だと気づいた瞬間、一気に目を見開いた。 「み、美鳥さん!」  若干ひっくり返った声を上げ、危うく持っていた傘まで落としそうになりながら、それでも目だけは宰から離さない。 「良かった、会えた」  呟いた優駿の顔が、みるみる嬉しそうに綻んでいく。そのあまりに幸せそうな表情に、思いがけず宰は胸を衝かれた。 「いいから早く決めろ、車が濡れる」  ざわめく胸中を隠して、どうにか平然と言葉を紡ぐ。普段と同じ平板な声で優駿を急かし、何事もなかったかのように前方に向き直った。 「乗らねぇなら乗らねぇで別に――」 「あ、いえっ、乗ります!」  宰の声を遮るように、聞き慣れた歯切れのいい声が車内に響く。優駿は弾かれたように助手席へと乗り込んだ。 「美鳥さんの車って、白の普通車じゃなかったですっけ……」  上背があり、体格も悪い方ではない優駿にとって、宰の車は少し窮屈そうだった。だからと言ってそれに何を言うでもなく、優駿はただそわそわと車内を見渡している。  宰は眼前を見据えたまま、溜息混じりに答えた。 「……車検を機に変えたんだ。たまたま身内から安く譲ってもらえることになって。古い車だったしな」 「あ、そうなんですね。だから俺、気づかなかったんだ。白い車しか見てなかったし」  納得する優駿を尻目に、宰は静かにブレーキを踏んだ。差し掛かった信号が赤になったからだ。 「まぁ、それはともかく……何だってこんな雨の中――あんなところで何してた?」  改めて訊くと、優駿は居住まいを正して宰へと向き直る。 「はい、あの……俺、美鳥さんが仕事終わるの待ってて……。でも、よく考えたらスタッフの人の出入り口とか知らなくて」  答えながら優駿は、無意識にだろう濡れた袖越しに腕をさすった。声音も震えるみたいに時折上擦って、そのくせ浮かべられる笑みはいつにも増して嬉しそうだ。 「だから、とりあえず店の出入口が見渡せるあの場所で待ってみようと……」 「誰かに聞こうとか思わなかったのか。――の前に、なんでいつもみたいに店内(なか)に入ってこなかった?」 「……何となくです」  すっかり血の気をなくした顔色は、最早青褪めていると言うに近いのに、それでも優駿は「寒い」の一言すら口にしない。どころか、少しばかりはにかむようにするだけで、依然として笑顔を崩さない。

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